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#02 I am what I read.

本棚、見てもいい?

うちに遊びにおいでとお誘いを受ける。でも唐突にこんなことは聞かない。考えようによってはセクシーな質問だからタイミングを見計って聞くのが私のルールだ。

長年親しくさせてもらっている日独翻訳家の百さんにも、知り合って間もなく本棚を見せてもらった。広辞苑や用途にあわせた辞典に加え、歴史、時事、自然科学、環境問題など日本語ドイツ語の本がずらりと陳列されていた。翻訳家としての原動力は、自分がいろいろな意味で面白いと感じたものを少しでも多くの人と分かち合いたい、その情熱と彼女の本棚は紛れもなく1対1だった。

本棚は語る

2年に1度位の頻度で日本に帰国する毎、10冊程本を買って帰る。オンラインで買うことは殆どない。馴染みの書店で時間をかけてあれこれと本を手に取りなら、"スポンテニアス" に選び、持ち帰る。はっきり言って重い。でも、この一連のわざわざ感が読書する時に付加価値を与えてくれる。久し振りに眺めてみると、まるで自分史年表。本のタイトルを読むだけで過去にどんな出来事があったか、 非公開の私を垣間見れられてしまいそうなラインナップ。"スポンテニアス" だからこそ、その時代折々の自分が象徴的に表れたのかも。本棚の一部は秘密にしておこう。

今はnote

アカウントを作って以来たくさんのnoteを読ませてもらっている。時間と共に私がフォローする人達がどんどん増えてきた。彼らが発信しているnoteは講演会やセミナーで聞くような真面目そのもの内容なのに、軽妙なリズム感で読める工夫がされていてとても楽しい。ポジティブなフィードバックの言葉が頭の中を駆け巡る。こうしてフォローの欄にずらりと勢揃いした彼らに共通項はあるのかしら。

過去の苦い経験

話は変わるが、今から3年程前「Leadership & Management 」将来有望視された中堅社員が集うという定評のワークショップに出席した(させられた)。主催はユダヤ系ドイツ人、泣く子も黙る凄腕鬼コーチ。理論から入り あり得ないようなシチュエーションでロールプレイを実践する。切り返しが上手くできず、しどろもどろになった。「日本人であることを忘れなさい」初日からそんなことをガツンと言われ、反発心から感情的になる自分。一度は断ったこのコースにもともと弱気参加だった事がテイクアウェイの少ない結果をもたらした。不甲斐ない、苦い経験。

ところが、凹んでいた私を驚かせたのはその数ヵ月後に公となったグループレベルのリストラのニュース。全体で500人位だったか、私のいる部署では最終的に60% が退職していった。組織としてリストラの理由はいろいろある。でも、腑に落ちなかったのはあのワークショップ。リードする対象相手が退職するのを承知だったボスは、なぜ私を 行かせたのだろう。 

noteも本棚

あれから2年。フラットヒエルラキーの新体制にようやく慣れてきている。仕事の内容によっては その都度  Top down/ Bottom up どちらの視点も必要だ。惨敗ワークショップだったけど脳にインプット された情報は、果たして私の思考パターンにちゃんと影響を与えているみたいだ。

それを承認してくれたのは、膨大な量のnoteから"スポンテニアス" に選んだ数々の投稿。キーワードはフロンティア精神とリーダーシップ。部下の有無ではなくて、個人が「意識」して行動すること。そう、私が私のリーダーだったのだ。それを気が付かせてくれたのは フォローの欄の彼ら。従来の固定観念にとらわれず、やりたい事をとことん追求しそれぞれのビジョンにむかって邁進をする現在進行形の人達。

これからも 新しくフォローするライターは増えていくだろう。そして、きっと私のスキ❤ なnoteは  " 今 " を映し出す鏡になってくれるはず。

ね、noteもセクシーでしょ?