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5人目の出産。神様にお願いしたら陣痛がありませんでした。

思考が現実化して戸惑った話でも紹介しましたが、思いもよらぬ形で願望は実現するものです。今回のお話は、私が5人目出産のときに実際に経験したことです。


私の出産記


一人目の出産

一度目の出産は22歳の時。初めての出産でしたが、当時の私は思いっきりいきっていましたので、怖いとは感じていませんでした。人類が始まってから代々、女性たちは出産の痛みに耐え、発展してきたのですから、自分も簡単に乗り越えられるイベントだと思っていました。
ところが、微弱陣痛で、30時間に及ぶ陣痛に耐えることになったのです。初産で体が固く、なかなか生まれません。しかも、長い陣痛で眠れていなかったので、陣痛が収まっている少しの時間でも眠ってしまうほど疲弊していました。何かを掴んでいないと耐えられないほどの痛み、いつ終わるかわからない恐怖。陣痛室と呼ばれるベットの上でひとりでひたすら耐える中、隣でいびきをかきながら寝ていた元夫のことを今でも思い出すのです。出産の恨みは一生もの。本当にその通りです。その後、やってきた義母に
「女の子だったの?次は男の子ね」
と言われたことも、一生忘れられないセリフ。この親にしてこの子あり。そんなことを産院で思ったのが今でも思い出されるのです。

二人目の出産

二人目の出産は一人目出産から1年1か月後のこと。出産の痛みは忘れると言いますが、最短で出産したため、はっきりと覚えていました。この痛みくらいなら生まれないと、ギリギリまで自宅で待機。いよいよな痛みになってから、病院に行きました。そして、去年と全く同じ状況で、隣のベットでいびきをかいている元夫。本当に信じられない神経です。一人目の母親教室(出産の心得や沐浴を習う教室)で、「陣痛中は赤ちゃんも痛い。母親が痛がっていると、赤ちゃんの心音が下がったり、あまりいい影響がない」と習ったので、私はなるべく声をあげないように注意していました。静かな陣痛だったので、元夫も安眠できたのかもしれませんね。今考えても腹立たしいですが、こういうところで家族のきずなを深められなかったから離婚したんです。そういうことです。この時生まれたのは、義実家念願の男児。出産後何を言われたのかは全く覚えていません。ただ、自分の母親に、1歳の娘を預けていたのですが、「泣いて大変だった。普段預けないのにこういうときだけ預けるな」と言われたとをよく覚えています。嫌な記憶ほど長く残るんですね。不思議です。

三人目の出産

3人目の出産は、それから10年後のこと。なんと長女とは1日違いの誕生日で、干支も一緒。不思議な感覚で迎えた出産はまさかの微弱陣痛。30時間近くかかったのです。10年たつと体はリセットされるのですね。人体の神秘です。違ったことと言えば、夫の献身的なサポート。産院の施設の充実。陣痛室から歩いていき、出産用の特殊な椅子によじ登るのが本当に苦痛だった10年前とは違い、陣痛室と出産室は一緒で、ベッドも同じ。動かなくていいのです。そして、助産師さんが腰をさすってくれたり、水のことを心配してくれたりして、傍にいてくれること。孤独感を感じる暇はありませんでした。夫も助産師さんが教えてくれた、陣痛が楽になるところを必死にさすってくれます。私の陣痛に付き合って、彼もほとんど寝ていなかったのに。手が痛くなるまで必死にさすってくれて、いきむ際も頭を支えてくれて、本当に二人三脚の出産。駆けつけてくれた義母も「よく頑張ったね」と声をかけてくれて、この違いに驚きを隠せませんでした。

四人目の出産

4人目は、前の出産から1年半後でした。またもや近いところで生みましたが、今までの出産よりも確実に痛い出産でした。どの兄妹よりも大きかったのもあると思いますが、桁違いの痛さでした。体が自然とのけぞり、声も漏れます。痛いと言ってはいけないとあれだけ耐えた歴史があるのに、「痛い、マジ痛い」と言ってしまうほど。その声も震え、夫も必死で腰をさすってくれていました。産道はできているので、出産自体はスムーズで4時間ほどで出産しました。出産時は義父が上の子を見てくれていて、出産後に、抱っこしていたら寝てしまったと連れてきてくれた時は、ほっぺを赤くして眠る兄になったばかりの息子が愛おしくて、幸せをかみしめたのです。大変だったのはその後。家族が帰り、一人で過ごしていた時、出血が多い気がして、当てていたものを変えようとトイレに行ったのです。下着もズボンも血で汚れていたので、着替えることに。ところが、半端ではない出血量だったのでしょう。新しく着替えたものも血で汚れ、次は床にも血が・・・。それを片づけ、トイレに座って、血を出してから着替えようと考えたのです。じょろじょろじょろ・・・と続く音。尿ではなく、血が流れる音です。いつまでたっても止まらない音に恐怖が広がります。これはいけない。そう思って、トイレについている呼び出しボタンを押しました。血が止まりません。呼びかけに答えたその後の記憶はありません。気を失ってしまったのです。この時に臨死体験らしきものも体験しましたが、長くなりそうなので別で書こうと思います。どれくらい出血したかはわかりませんが、夜通し点滴をしてもらい、子宮を冷やされ、その間震える私の体を看護師さんがさすってくれます。赤ちゃんを産んだばかり、先ほどやっと歩けるようになったばかりの息子。二人のためにも私は生きなければと、それしか考えていませんでした。その何日か後に、やっと点滴から解放され、自分でトイレに行ったとき、鏡に映る自分の顔を見てびっくり。幽霊のように顔が真っ白です。出血多量で、ヘモグロビン値が通常の半分以下になっていたので、そんな調子だったのですが、「生きていてよかったね」と鏡の中の自分に声をかけたのです。

五人目の出産

4人の出産を終えて、最後死にかけ、出産自体がこりごりでした。ですが、こちらの記事でも書いた通り、息子が上で娘がまだ待っているというのです。当時は占い師になったばかり。おかげさまで人気もあり、予約は順調です。できるならこの波に乗って、仕事を充実させたいとも思っていました。
でも、スピリチュアルな話に乗っかりたい気持ちもあり、女の子が欲しい気持ちもあり、最後の妊娠に臨むことに。4人目の出産から2年経過していますが、やはりあの痛みは嫌です。そこで私は、神様にお願いすることに
「神様、お願いします。仕事は頑張ります。子育てもちゃんとします。だから、お願いします。陣痛は嫌です。もう、帝王切開でもいいから。陣痛だけはやめておいてもらえませんか?」こんな自分勝手なお願いを毎日、神棚に向かって唱えていました。仕事は忙しく、出産のギリギリまで予約をこなしました。そして、出産予定日超過1日後。何となくおなかが重いような。そろそろ生まれるだろうと思っていたので、ベッドに入らず、ソファで陣痛を待っていました。時々重い感じはするものの、陣痛は来ません。ですが、鮮血が出たので、大事を取って入院することに。それから待てど暮らせど、陣痛は来ません。不思議なことに、子宮口は順調に開き7センチ。助産師さんが、おなかにつけられた機械の波形を見ながら、「いい陣痛が来ないわねー。痛くないの?」と聞きますが、「腰は重いですが、痛くはないです」と答えるしかありません。そこへ、先生がやってきて状況を聞いて、「破水させてみるか」といって、パチンと破水をさせてくれました。四人目の時もなかなか破水せず、赤ちゃんが降りてこなかったので、先生が破水させてくれたのです。破水させれば、ぐっと進むと知っている私。とうとう、あの地獄の苦しみの陣痛がやってくるのかと覚悟しました。ぐっと、おしりあたりに感じる重力、腰にずんときました。そこで内診していた助産師さんが言った言葉に衝撃を受けます。「全開10センチですよ。いきんでください」ポカンとする私。「え?全開なんですか?」「いきむって言ったってどうやって?」本当に意味が分かりません。通常なら、8センチくらいになると、いきみたくて仕方なくなります。体が勝手にいきみ始めてしまうのです。でも、全開にならないといきむのを許されません。それを我慢するのも出産の大変さの一つだと思っていました。そんなすべての常識を覆す五人目の出産。陣痛がないとうまくいきむことができないことを五人目にして知ります。「おっきいウンチを出すつもりで」と言われたので、そのようにしてみると会陰にとてつもない痛み。今まで経験したとのない種類の痛みです。五人目にして、初めて涙が頬を伝います。痛い。違う次元の痛み。ですが、二回目いきんだ後、「もういいですよ」という声。腹圧をかけるために体を起こしていたので、娘の頭が見えていました。助産師さんは重力で押し出されるように出てくる娘の顔を守るように指でサポートしてくれています。よく考えたら、こんな風に子供が出てくるのを見たのは初めてです。今までは、赤ちゃんを産んだ後は疲労困憊過ぎて、それどころではなく、陣痛から解放された安堵で頭は真っ白。私はずるりと生まれてきた娘を見ていました。
結局、陣痛来なかったな・・・そう呟きながら。夫もテニスボールをもってポカンとしています。

実現した陣痛なし出産のあと

出産経験者ならご存じかもしれませんが、産後には、後腹と呼ばれる、子宮が元の形に急速に戻ろうとする痛みがあります。5人目となれば、その痛みは陣痛よりきついのですが、この痛みはしっかりありました。しかも、4人目出産のときに死にかけたので、病院でも要注意人物です。5人目の出産後もやはり、大量の出血があり、子宮を収縮させる薬をガンガン入れられます。家族が帰った後しばらく、後腹にのたうち回り、全く眠れない状態ですが、病院の対応により、多めの出血で終わることができました。

産後は、退院後すぐにオンライン鑑定を再開。対面鑑定は産後20日あたりから再開して、子連れ占い師になりました。抱っこ紐に娘を入れ、起きたら授乳をしながらの鑑定。1歳前に保育園に入れるまでそれは続きました。神様との約束通り、仕事は頑張る、子育ても頑張るを現在も守っています。

神様に、陣痛だけじゃなくて後腹や出血も何とかしてもらえばよかったと思ったのは内緒ですが、陣痛がない出産を望み通り手に入れ、人生最後の出産を思い出深いものにすることができました。そして、神様と約束した、仕事を頑張る、子育てを頑張るというのも続きのように守られていて、仕事が入らないところがあるなと思ったら、そこで子供が体調を崩したりするのです。大いなる力に守られている安心感。これが、引き寄せの法則によって成し遂げたものなのか、本当に神様の計らいなのか、分からないですが、望んだことは、とんでもない形で実現します。常識を超えて、自分の想像も超えて。だからこそ、希望を忘れてはいけませんね。すべてに意味があるのですから。

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