放送演芸作家の高見孔二さんに、“しゃべくり漫才”について話を聞きました。
先日、ニュースサイト「よろず〜ニュース」にて、『しゃべくりを生み出す、漫才作家という仕事 世にも奇妙な職業図鑑』という記事を書かせていただきました。この道45年の大ベテラン、放送演芸作家の高見孔二(たかみこうじ)さんに取材し、漫才作家という職業の一端をご紹介しました。
実際の取材では、それよりもっと面白いお話がたくさんありましたので、このnoteでご紹介したいと厚かましくも再度、高見さんにお願いしたところ快くオーケーをいただきました。ということで、高見さんが辿ってきた演芸作家人生を振り返りながら、漫才作家の役割や漫才という芸能に関するお話をご紹介したいと思います。しゃべくり漫才の作り方について学びたい方や演芸ファンの方なら必見のお話が満載です!
漫才作家は兼業が宿命
―――先日は、無礼な取材依頼メールを送ってしまい失礼しました。
(※)漫才作家という職業を紹介する切り口として“絶命危惧職種”というタイトルを付け、高見さんに「そのタイトルは嬉しくないです」という旨の丁寧なご返信をいただいた経緯がありました。
高見孔二さん(以下、高見で表記)いえいえ。それよりもね、「専業の漫才作家についてのお話を聞きたい」という内容が気になりまして。メールにも書きましたけど、専業の漫才作家というのは過去も今もいないと思います。大阪だけじゃなくて、東京でもそうです。そのあたりを認識してもらった上で、お話ができるならと思いましてね。
―――ありがとうございます。ベテランや売れっ子の漫才作家さんの中には、専業もあり得るんじゃないかと勝手な思い込みがありまして。
高見 売れっ子の作家になると、漫才だけじゃなくて、芝居の台本を書いたり、テレビ番組の構成作家をやったりと、色々な台本を書くようになりますからね。逆に言うと、作家として食べていけるようになるまで、別の仕事と兼業でやっているという人が多いですよ。私たちの若い頃もそうでした。
―――高見さんが漫才作家としてデビューされた当時もですか?
高見 えぇ。プロとしてデビューしてから4、5年は、学習塾の経営をしながら漫才作家をやっていましたよ。同じ学校で学んでいた大池晶さんもサラリーマンとの兼業。なかなかね、漫才台本だけで食べていくのは大変ですから。
―――その状況でも漫才作家を続けようと思われた理由はなぜですか?
高見 それは、単純に面白かったから(笑)。「大阪シナリオ学校」に入学した頃からそうですよ。“近代漫才の父”とも言われる秋田實先生が名誉校長をされていたので、作家の織田正吉先生や足立克己先生をはじめ、桂枝雀さんら豪華な芸人の方々が講師に来るわけです。笑いのプロが直接、指導してくれるんですからオモロイですよね。「こんな世界で仕事をしたい」って、その頃から思っていたんでね。それに、在学中に「レツゴー三匹」さんの台本を書けたことも大きいかな。
―――同級生の方々と漫才台本の作品集を作られたのがキッカケですよね?
高見 そうそう。授業を受けるだけじゃなくて、こちらからも何か行動しようっていう話になってね。それぞれが書いた台本を寄せ集めて作品集を作って、当て書きした芸人さんに送ったんですよ。そしたら、「レツゴー三匹」の正児さんから連絡があって、「ええやん、オモロイやん」って言われて。それで、採用されたのが最初でね。あとは、順調に色々な漫才師さんの台本を書くようになったから、自然とこの仕事だけで生活できるようなりました。もちろん、漫才台本だけじゃなくて、先ほども申し上げたように、番組の構成とか、色々な台本を書くようになったからですけどね。
―――ということは、漫才作家として売れても、その他の台本を手掛けていかないと生き残るのは難しいと?
高見 趣味程度なら別でしょうけどね。ちなみに、私がその学校に入学したときに同級生が60人ぐらいいたと思いますわ。みんながみんな、プロになりたいというワケじゃないでしょうけど、今残っているのは、ぼくと大池さんだけですからね。
漫才師が求めるのは、構成と発想力
―――そもそも、漫才作家さんの仕事はどういう形で発生することが多いのですか?
高見 大きく分けて3つのパターンがあります。ひとつは、放送局。漫才番組を制作する時に「この芸人さんの台本を書きませんか?」と声が掛かる。あと、その番組に出演する漫才師さんからの要望で「高見さんに書いてほしいんですけど」って言われることもあります。それと、イベント会社や興行会社さんね。漫才師さんを起用して、いろいろなイベントをやる時にテレビで観たことあるネタより新作がほしいですよね。そのときに、依頼があります。あとは、漫才師さん直接からのご依頼です。
―――今のお話を聞くと、基本的には漫才師さんからの信頼があってこそ、広がっていく仕事ということですね?
高見 そうですね。全く知らない間柄だと、漫才師さんの方もこのセリフはどんな意味で書かれたとかパッと入って来ないでしょう。あと、注文を出しにくいっていうこともある。
―――そうした漫才師さんとの繋がりはどういうキッカケで生まれるのですか?
高見 色々ありますよ。ひとつは、シナリオ学校で講師をしていた足立克己先生から「書いてみるか?」って言われて。あとはね、秋田實先生と読売テレビの有川さんという人がやっていた「笑の会」という漫才の勉強会があったんですよ。当時、あんまり若い漫才師で活躍している人が少なかったんで、「じゃあ、作り手である漫才作家を育成しよう」という目的で始まった会です。そこで、オール阪神・巨人さん、太平サブロー・シローさん、ザ・ぼんちさんらと出会ってというのもあります。
―――今、名前を挙げられた漫才師の方々は、どちらかと言うと、自作自演の先駆けというかご自身でもネタを作られる方々だと思うのですが、それでも漫才作家さんを求められるのですか?
高見 この方々に限らずね、プロの漫才師さんは多かれ少なかれ、ご自身でもネタを作るんですよ。ただ、当時はね、劇場の出番もあれば、営業もある。それに加えて、テレビやラジオに漫才番組がやたらと多かった。すると、いくらプロの芸人といっても自分らだけでネタを作るのは大変ですよね。そこで、漫才作家に声が掛かるワケです。
―――面白いネタをどんどん欲しいと。
高見 そうですね。あと、その頃は今と違って、たとえテレビの漫才番組でも出演時間は10分が定番でした。その時間の中で、どういう流れをつくり、どんなふうに笑いの波を起こして、しっかりと全体としてのオチを付けるかっていうのは、かなりの構成力を必要とします。そこを求められますね。
―――今の時代のネタ番組は3〜4分ぐらいでしょうか。それぐらいの時間であれば、構成力はそれほど必要とされない?
高見 全く必要ないとは言いませんよ。だけど、それぐらいの時間であれば、ひとつの面白い笑いのパターンを見つけて、冒頭から面白いネタを羅列していけば3分はあっという間ですよ。だからね、漫才作家に依頼するよりも、自作自演でいいと。
―――なるほど。では、構成力が求められるということは、芸人さんの笑いのパターンさえしっかりと把握していれば、どなたの台本も手掛けられるのですか。勝手なイメージですが、西川のりお・上方よしおさんの漫才はちょっと難しいのかなと。
高見 確かにね(笑)。でもね、のりおよしおさんもそうですが、かなり個性的な漫才をされる方であっても台本は書けますよ。例えばね、昔あるベテラン漫才師の方から「たまには、僕らのも書いてーや」とお願いされて、台本を書いたことあるんです。その漫才師さんのボケはちょっと飛び抜けた発想が特徴なんで、そこに合わせようと思って台本を書いたら、「別に僕らに合わせんでもええよ。高見さん風に書いてや」って言われてね。その時にね、構成力もそうですが、作家なりの発想を求められているんやと。
―――その漫才師さんでは思い付かない発想を?
高見 そうそう。せっかく、作家に依頼してるんやから、その人なりの発想で台本を作ってほしいと。だからね、ベテラン漫才師さんから未だに漫才台本の依頼が来るのはそういうことちゃうかなと思いますね。自分らでは思い付かないことを求めているんでしょう。
―――漫才師の方々は、構成と発想力を求めているんですね。その部分で、高見さんの台本とピッタリと合う漫才師さんはいらっしゃいますか?
高見 うーん……。やっぱり、付き合いの長さもあるのかもしれませんが、宮川大助・花子さんでしょうか。大助さんの方は前のコンビ時代からの付き合いなので。漫才台本を作る打ち合わせでも、電話で「こんなん考えてるんやけど?」「それやったら、こんな感じでどうやろ?」とか、一言二言交わすだけで終わり(笑)。お互いに通じ合う部分があるから早いし、花子さんが言うからこのセリフは面白いっていうのもビタっとハマるしね。
―――“この人が言うから面白い”ということは、その芸人さん独自の口調や個性みたいな部分も反映させながら台本を書くのですか?
高見 例えばね、夢路いとし・喜味こいしさんの漫才でね、「1滴、2滴、3滴、4滴、ムテキ、カンテキ、還暦」というセリフがあるんですけど、普通の人が言っても何も面白くない(笑)。でも、お二人が独特のニュアンスでしゃべるから笑ってしまう。そういう部分も意識しながら書きますね。
―――芸人さん独自の個性や言い回しなども熟知した上で、台本を書く必要があるということですね。
制約の中でネタを成立させる才能を
―――冒頭のお話で言いますと、ネタの時間がどんどん短くなる中で、漫才作家さんへの需要も減り始めたのですね。
高見 そうです。漫才番組も減りましたし、それに合わせて漫才作家の数も減ってますわ。作家自体の人数も、現役だけで言うと20名ぐらいやと思います。
―――若手の漫才師さんはご自分でもネタを作りますし、ブレーンの作家さんもいらっしゃるとか。
高見 そうそう。ただ、私たちと違うのは、彼らはある意味で、漫才作家というより構成作家でしょうね。ネタのテーマやボケも考えるんでしょうけど、それよりも出揃ったネタをどう構成していこうっていうのが主な仕事やと思いますよ。
―――確かに今は、ネタのテーマというのはあまり重要視されていない気がします。
高見 ガラッと漫才自体が変わりましたね。私らがネタを考える時は、今の時代や時期ならどんなテーマが面白いやろっていうところから出発してましたけど、若い人は違うもんね。それより、次に控えているボケまでどれだけ早く到達できるかとか、そっちが重要で。これはやっぱり、「M-1グランプリ」の影響やと思います。あの4分間で、どれだけ笑いを取るかっていう競技なんで、それに合わせた漫才が増えてきています。
―――高見さんに限らず、今の漫才作家さんはそういうネタを作るのが難しいと?
高見 いえいえ、そういう意味じゃなくてね。作ろうと思えば作りますよ。例えば、「M-1グランプリ」で優勝したミルクボーイは、スタイルがきっちり決まっているから作りやすいと思います。あと、依頼はおそらく来ないでしょうが、ウーマンラッシュアワーもスタイルが決まってますから書けますよ。実際、NHKの番組では、学天即、チキチキジョニー、女と男なんかの台本も担当しましたし。
―――では、若い漫才師の方からアプローチさえあれば、漫才台本を作りたいというお気持ちなのですね。
高見 でもね、キャリアや年齢もかなり上なんで、相手も気を遣うでしょ(笑)。「ここは違うのにな」と思っても、言い出しにくいとか。演じる人が乗り切れていないと、ウケないしね。その辺が、むずかしいとこですわ。
―――漫才作家さんだけに限らず、どこの業界でも起こり得るお話ですね(笑)。では、漫才作家さんになろうという若い方も減っているのですか?
高見 いま、私が会長を務めている「関西演芸作家協会」で、「ボケ・ツッコミ検定」というのをやっていて、穴埋め形式でセリフの中にボケやツッコミを記入していくんですけど……やっぱり、漫才の型を理解している人は少ないですよ。こう言えば、こう返すっていうのが、わかってない。たまに、漫才に関する授業をやることもあるんですが、だいたい1時間ぐらい掛けてそのあたりを説明しないと理解できない。理解できたとしても、それをすぐに形にできるかっていうのはまた別の話やしね。
―――今までのお話で言うと、構成力や発想力、それと芸人さんの個性を熟知することが漫才台本において重要なポイントでしたが、これらの力はトレーニングで鍛えられるものですか?
高見 まぁ、面白い人は最初から面白いけどね(笑)。あえて言いますとね、とある行政の仕事で悪徳商法への注意喚起を落語として紹介する仕事があったんですよ。時間は10分ぐらい。しかも、行政の仕事なんで無茶苦茶はできない。この制約の中で、伝えるべきことを伝えて、ちゃんと笑いもとれるような台本を作れる人なら大丈夫ですわ。
―――制約の中で、笑いを生み出せるかどうか。
高見 そうそう。それだけ制約があっても笑いを作れるなら、プロとしての才能があると思う。ただね、悲しいことに、漫才台本より番組の構成作家の方が儲かるから、若くて才能がある人はみんなそっちへ行くんですよ(笑)。
―――なるほど(笑)。とはいえ、このインタビューを読む方の中には、いつか漫才作家になりたいという人もいるかもしれません。ひとつの制約として、高見さんから何かしらテーマをご提示いただけませんか?
高見 そんなん自分で考えな(笑)。自分でテーマを作って、どの漫才師さんを想定して、どう漫才を構成するか。ご自分で考えて書いてみてはどうですかね。この仕事はね、色々な漫才師の方にネタを演じてもらうことがいちばん楽しい。芸人さんの中には、漫才作家として活動されている方もいるんですけど、おそらく、もう自分ではできないネタを他の漫才師さんで試したいっていう気持ちだと思うんですよ。それができるんですから、楽しいですよ。私も未だにね、若い漫才師の方にネタを演じてもらうと、「こんなふうにしてくれたんや」って、面白いと感じることも多いですから。芸人さんでは味わえない魅力がある仕事ですわ。