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「90年代伝説的編集者の現在」について、お話を聞きました。

最近、お世話になっているデイリースポーツが運営するニュースサイト「よろず〜ニュース」さんで、美術作家の岡本奇太郎さんを取材させていただきました。内容は、ムック本『危ない1号』などを編集していた(一時期は編集長もされていた)、編集者でライターの吉永嘉明さんについて。

2014年頃に消息を絶った吉永さんと直前まで交流し、今も所在を探しているという岡本さん。「当時、吉永さんの家はゴミ屋敷のような状態になっていて」といったお話から始まった取材は、『自殺されちゃった僕』(2004年/飛鳥新社)や、そのほかのインタビューでは語られていないエピソードがたくさんありました。「よろず〜ニュース」で掲載できなかったそんなお話をご紹介します。


◆影響を受けた、「見るドラッグ」

ーーー岡本さんは、色々なインタビューで吉永さんに影響されて、美術作家になられたとお話されていますよね。

岡本奇太郎さん(以下、岡本で表記)そうですね。『自殺〜』にも一部書かれていましたけど、吉永さんは重度のうつ状態になってから、気持ちを紛らわすためにコラージュ作品をつくってたんですよ。分厚い本に、いろいろな雑誌のページを切り貼りして。

ーーーそれを初めて見たときは、どんなふうに思われたんですか?

岡本 単純に、すごいなって。吉永さん自身、いろいろなところで書いていますが、長年のドラッグ体験というか、違法薬物で磨かれたであろうビジュアル世界が広がっていたんですよ。本人も言ってましたけど、「見るドラッグ」っていう感じで。一冊通して見るだけで結構疲れるくらいの濃厚さがありました。

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ーーー岡本さんもその時のインパクトをずっと覚えていて、ご自身もコラージュ作品を作ろうと?

岡本 出版社に勤務していたときに、吉永さんの真似をして、毎日のように徹夜しながら作品をつくってみたんですよ、分厚い本に切り貼りするスタイルで。完成するまでに三ヶ月近くかかりました。で、かなり気に入ってたんで、毎日リュックに入れて持ち歩いていたんですけど、ある日たまたま誕生日の友達がいたんで、プレゼントしたんです。そのあと惜しくなって、またつくってみたんですけど、しんどくなって途中でやめました。それから10年近くは離れていましたね。

ーーーそれから作品づくりを再開されたきっかけは?

岡本 街なかでとあるチラシを受け取ったときに、「これをコラージュ作品にしたら面白そうやな」って思って、一回つくって。それからちょこちょこ作ってInstagramにアップするようになったんですけど、半年くらい経ったころに、アートギャラリーの人から「作品を販売させてもらえませんか?」っていう連絡が来たんです。

ーーーいきなり、連絡が来るってすごいですね?

岡本 ほんとラッキーでしたね。そのとき、ちょうどリオのオリンピックのときで、なんとなく次の東京オリンピックまでは作品づくりを続けてみようかなと思ってはいたんですけど。

ーーーじゃあ、期せずして早い段階で評価されたと。岡本さんの人生にかなりの影響を与えた吉永さんの作品は、いつ頃、初めてご覧になったのですか?

岡本 これがね、初対面の時なんですよ。

◆期待を裏切らない。「お金を貸してくれませんか?」

ーーーそもそも、吉永さんを意識されたのはいつ頃なんですか?

岡本 15年くらい前に複雑な女の子と付き合っていた時期に、たまたま本屋さんで『自殺〜』っていうタイトルが目に飛び込んできて、「ぼくのいまの心境にピッタリやな」って。それで、その本の中に、今はガスも水道もない外人ハウスで暮らしてるって書いてたんで、「この人、ちゃんと生きてんのかな」って気になって。それが最初ですね。

ーーーそれで、吉永さんと仕事をしたいという気持ちに?

岡本 えぇ。でも当時、吉永さんはあんまり仕事をしてなかったようで、ほぼ社会との接点もなかったので、どこに連絡すればいいかがわかんなくて。たしか、携帯電話も持ってなかったと思いますね。だから、吉永さんと出会う可能性がありそうな人に、「吉永さんがいたら、すぐに僕に連絡ください」って言ってまわってて。それで、知り合いの編集者の人から「吉永さん、見つけたよ」って連絡があって、初めて会うことになるんですよ。当時編集していた雑誌に今の吉永さんの心境を書いてもらおうっていうことで。

ーーー初めて吉永さんにお会いした印象はいかがでしたか?

岡本 ん〜……。やっぱり、うつ状態だったんで、吉永さんのことを何も知らない人が会うと、ちょっとびっくりするかな。例えば、ちょっとしゃべったと思ったらずっと黙り込んだりとか、返事のタイミングがだいぶ遅れるとか。そういう感じでしたね。ただそのときにね、コラージュ作品を持ってきてたんですよ。それで作品を初めて見て、なにコレ! ってビックリして。

ーーーその状態で、お仕事をご依頼して快く引き受けてくださったのですか?

岡本 はい。ただ、吉永さんは「こういう状態なんでちゃんと書けるか不安ですけど、そんな熱い思いで言ってくれるなら書いてみます」っていう感じだったと思います。前向きな感じで、イラストを挿れたいっていう話になって、ねこぢるさんの旦那さんだった山野(一)さんを紹介してくれるとか、そんな感じでしたね。あと、ぼくと吉永さんの自宅が近かったので、その日途中までいっしょに帰ることになったんですよ。そのときに、吉永さんが「お金を貸してもらえませんか?」って。

ーーー初対面ですよね(笑)

岡本 吉永さんの本に経済的に困ってるって書いてたんで、驚きはしなかったですね。逆に有名な歌手が自分の持ち歌を目の前で歌ってくれたような感覚で嬉しかったですね。「さすがやな」って。それでそのとき、財布に入っていた5000円をお貸ししました。

ーーー本には、コンビニの深夜バイトなどをされていると書かれていたと思うのですが、当時吉永さんはお仕事をされていなかったんですか?

岡本 雑誌にちょこちょこ単発で原稿を書いたり、あとはコラージュ作品を売ったりっていう感じだったと思います。コラージュは、吉永さんがよく行ってた上野のヘッドショップとか、マニアックな洋書屋で5000円ぐらいで売ってたんですよ。そのうち、10万円でも買いたいっていう人がいっぱいでてきて、「物好きな人たちがいて助かる(笑)」って言ってましたね。

ーーー初めての原稿を受け取った感想はいかがでしたか?

岡本 面白いなと思いましたよ。内容も、『自殺〜』の頃とはかなり違っていて、前向きなんですよ。吉永さんがやっていた、コラージュ作品の制作って、実は“コラージュ療法”って言って、カウンセリングなどで用いられる立派な治療法のひとつだったようなんです。吉永さんはそんなことを知らずにやってたみたいですけど。それをやりはじめてから、状態も良くなってきてたので、アートの話やコラージュ療法について書いてくれました。その原稿が周囲からの反応が良くて、定期的にお仕事をお願いできることになったんですよ。

ーーー吉永さんもかなり喜んだんじゃないですか?

岡本 そうですね。ぼくのことを「岡本くんは青山(正明)さん赤田(祐一)さんに次ぐ天才編集者だよ!」って(笑)。もちろん吉永さん以外、誰もそんなこと言ってないですよ(笑)。

◆「ダメ人間」というレッテルを剥がしたい

ーーーそんな吉永さんとお仕事をご一緒すると、何かしら大変な面が多いような気もするのですが……。その辺りはいかがでしたか?

岡本 まぁ、大変といえば大変な部分もありましたね(笑)。当時はすでに、メールで原稿のやりとりをするのが主流だったんですが、吉永さんはワープロしか持っていなくて、原稿が入ったフロッピーを受け取りに行くっていうのがひとつの仕事だったんですよ。調子が悪くて、原稿が進んでないなと思ったら、吉永さんが好きなブラックの缶コーヒーと「ハイライト」のタバコを差し入れに持っていって、「来たよー」みたいな感じで。気を紛らわせて、元気づけて書いてもらうっていう感じですかね。

ーーー依頼した原稿が間に合わなかったことは無いのですか?

岡本 一度も無いですね。だから、今回取材を受けた理由でもあるんですけど、吉永さんのことをよく知らない人が、吉永さんに対して“ダメ人間”というレッテル貼りをしているのを見聞きすることがあって。何年もいっしょにいたぼくから見ると、そんなことないよって。当然、うつ状態だったので、調子が悪い時はありましたよ。でも、仕事もちゃんと責任感をもって、やってくれていましたしね。

ーーーあの本を読むと、確かにそういう印象で受け取る方も多いと思います。今回の取材で、ほかにも何人かの方にお話を聞いたのですが、ほとんど悪い話は聞きませんでした。仕事関係の方ばかりでしたが、「気さくな方でしたよ」とか「穏やかな人でした」という評判が多かったです。

岡本 そうなんですよね。音楽やアートについては、めちゃくちゃ詳しいですし、頭もいい。編集者としても一流だというのが、ぼくが接した吉永さんの印象です。

ーー仕事以外の場面では、どんなご関係だったのですか?

岡本 先ほどもお話したように、自宅が近かったので頻繁にぼくの家に来て遊んでいました。よくやっていたのが、ぼくがDJの真似事みたいなことをしながら、アートや音楽の話をしたり。吉永さんはお酒を呑まないので、タバコを吸いながら、ぼくはお酒を呑みながら、二人っきりで話し込む感じでした。

ーーーーそのときに、何か印象に残っている出来事はありますか?

岡本 いろいろありますが……。とにかく音楽にこだわりがある人なんで、こっちが気軽に曲をかけても、このアーティストのこの曲は良くない、あっちは持ってないのかとか(笑)。散々ダメだしされた後に、卓球のボールが跳ねる音をサンプリングしたCOMPUTERJOCKEYSの『PING PONG』という曲をかけたら、「昔よく妻と卓球をしました」って急激に落ち込んだり。元気づけようと次にピストルズをかけたら、「パンクならクラッシュの方がいい」ってまたダメだしされたりとか(笑)。

あと、吉永さんの作品をじっくり見ている時に言われたことが、かなり印象的で。「岡本くんさー、丁寧に見てくれるのはありがたいけど、例えばこの絵は誰の作品かわかるの?」って言われて。「いや、わかんないです」っていうと、「編集者だったら気になったものは全部聞いて、どういうものかを勉強していかないとダメだよ」みたいな。

ーーーものづくりに携わる者としては、一瞬ピリっとなりますよね(笑)。

岡本 えぇ。「感覚だけで貼ってる」って言ってたけど、「ぼく自身はこれがどういうものか全部わかってる」って言ってて。文化的な背景とかスタイルに共感できるものを貼ってるから、「『この絵は誰ですか?』って聞いてくれたら全部、説明もできるから、そういう感覚は編集者として持っていた方がいい」みたいなことは教えてもらいました。

ーーー長らく病気を患ったり、全盛期のような仕事はしていなくても、そういった姿勢は常に持っておられたんですね。確かに、一流編集者だと思います。ひとつ、聞きづらいお話なのですが……その当時は薬物などはされていなかったのですか?

岡本 「もうやりたいとも思わないし、やりたかったとしても買うお金がない(笑)」って言ってましたね。ただ、うつ状態を緩和させる薬は処方してもらっていたようです。

ーーーじゃあ、吉永さんの意識の中で、早くうつ状態から脱したいという思いを持たれていた?

岡本 吉永さんにとって、薬を服用するっていうのは、ぼくらで言うコーヒーを飲むとか、ご飯を食べるみたいなもんで、生活の一部だったんじゃないかな。あるのが当たり前でしたし、上手に乗りこなしているように見えました。

ーーーそういう関係でお付き合いをしながら、2014年に突如消息不明になるんですよね。失踪した頃は、お仕事や交流はあったのですか?

岡本 実は、ほんとうに直前まで連絡をとっていたんですよね。

◆鬼畜系からの転向。人生を変えた女性アーティスト

ーーー消息を絶たれる直前のお話を教えていただいていいですか?

岡本 その時は本当に仲の良い先輩と後輩みたいな感じの付き合いでした。ただ、吉永さんはお酒を呑まないので、頻繁に会うってほどじゃなかったんですが、ぼくが呑み友達をつかまえられなかった日は、「今何してますか?」って電話して会ってましたね。で、あるときに、久しぶりに電話して、体調をたずねると、「元気ー、元気ー!」って、めっちゃ元気になってて。それで、「もうぼくはね、うつとは無縁の人生を送れる。だからいつでも会えるよ」って。ぜんぜん、人格が変わっていて。それで、ぼくの自宅で会うことになったんです。

ーーーそれだけ元気になったのは、なぜだったんですか?

岡本 話を聞いてみると……「すごいものに出会ったんだよ。西野カナちゃんって知ってる? 西野カナちゃんに出会って、人生が変わった」って。

ーーー変貌ぶりが、すごいですね……。

岡本 ほんとにそうで、それまではマニアックなジャーマントランスの話を切々と語っていたのに、変わりようがハンパないなって(笑)。「カナちゃんは、愛と友情をテーマに歌ってて、歌詞に励まされて前向きな気持ちになれたんだよ」って、めちゃくちゃ魅力を力説されて、「いっしょにカナちゃんのコンサートに行こう」って誘われたんですよ。おじさんが一人で行ったら変な人って思われるから、「岡本くんは若いから一緒に来てくれると助かる」って。単におじさんが二人になるだけではとも思ったんですけど、とにかくいっしょに行く約束をしたんですよね。

ーーー実際に二人でコンサートに行ったんですか?

岡本 いや、それが約束の日になっても連絡がなかったので、ぼくの方から電話をしたら、「ごめん。今日、調子悪くてさ、外に出られそうにない」って。それはもう仕方がないなって思って、「じゃあまた元気になったら連絡くださいよ」って言って、電話を切ったんです。それから、一切連絡が取れなくなったんですよ。

ーーーえ? そのタイミングで消息がわからなくなったんですか?

岡本 えぇ。吉永さんから一向に連絡が無かったんで、こちらから電話をしてみたら、「現在、使われておりません」っていうアナウンスが流れる不通状態で。しばらくして、ぼくがとあるアートの展覧会に参加したときに、たまたま吉永さんの知り合いの方がたくさんいて、その中で吉永さんからよく仲の良い友人と聞いていた、アーティストのKCさんがいらっしゃったので話をしたら、「じゃあ、いっしょに家に行ってみようか」って。それで、実際に行ってみたんですけど、もうそこには吉永さんはいなくて。ぼくも、電話がつながらない状態になったとき、すぐに自宅へ行けば良かったんですけど、気分の浮き沈みが激しい人なんで、いつもの感じで「また、連絡が来るだろう」って思ってたんで。

ーーーそれから、消息はまったくわからない状態ですか?

岡本 そうですね。思い付く限りの方々に話を聞いたり、Instagramに投稿したりしたんですけど、今のところはわかっていません。

ーーーどこで、なにをされているんでしょうね?

岡本 まったくわからないですね。パソコンを使わないんで、文章で生活するのは厳しいだろうし。ただどっかで何事もなく暮らしているような気もするんですよね。

ーーーじゃあ、再会の可能性は決してゼロではないですね。

岡本 そう思ってます。元気な状態で再会できたら、文筆業もいいんですが、吉永さんはアート活動の方がより輝ける気がして、そのサポートができればと思うんですよね。吉永さんにはこの原稿をどこかで目にしてもらって、早くぼくに連絡してきてもらいたいですね。

Profile.岡本 奇太郎さん
兵庫県姫路市生まれ。大学在学中から雑誌の編集に従事。出版社勤務時代に、吉永嘉明のコラージュ作品に影響を受け、創作活動を開始する。以降、コラージュやシルクスクリーンなどの手法を用いた作品を制作し、個展開催、国内外のアートフェアやグループ展に参加。また、アパレルブランドとのコラボレーション、ミュージシャンへのジャケットアートワークの提供のほか、自身がこれまでに影響を受けた芸術を紹介するアートエッセイ『芸術超人カタログ』(双葉社発行『小説推理』)などの執筆活動も行っている。

岡本奇太郎さんのInstagram⇒ https://www.instagram.com/okamotokitaro

プロフ


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