大卒は「偉い」のか
先日4か月ぶりに美容室に行った15です。
(就活や自粛でなかなか行けなかった…)
本日は、そのとき美容師さんと話すなかで感じることがあったので自分の思うことを書きたいと思います。
テーマは、「大卒は偉いのか?」です。
きっかけは美容師さんと大学の話になったときのことでした。
私は「大卒って偉くないですか?」という問いに対して、すぐに答えることができませんでした。
どう答えるのが最適なのか、言葉選びにとても時間がかかりました。
結局私は、
『うーん、いろんな考え方をする人がいますよね…』
としか言うことができませんでした。
自分が考えていることを素早く言語化する能力と語彙力の皆無さに、とても悲しくなりました。
そこで本日は、「大卒は偉いのか?」と聞かれたときにどう答えるべきか、
自分の中で答えを出したいと思います。
「偉い」とは
そもそも、「偉い」とはどういうことであるのか。
その意味を再確認します。
「偉い」にもさまざまな意味がありますが、ここでの文脈に合うものを抜粋しました。
㋐社会的地位や身分などが高い。
㋑人間として、りっぱですぐれている。 の2つです。
たしかに、㋐の意味で大卒は偉いといえると思います。
つまり、社会的立場の優位性としての「偉さ」です。
私は学歴みたいな肩書で人を判断することに嫌悪を感じる人間ですが(固定記事参照)、
世の中にはそういう人がまだまだたくさんいます。
大卒しか入れない企業があったり、高卒と大卒で給与が違う労働環境があります。
しかし、㋑の意味で大卒は偉いかと聞かれると、私は必ずしもYESとは言えません。
つまり、「”大卒は人として立派であるか?”と聞かれると必ずしもそうではない」ということです。
”人として立派”とは
先ほど、「大卒は必ずしも人として立派というわけではない」という話をしました。
ここまで書いておいて恐縮ですが、「立派」の捉え方は人によって異なると感じたので、ここからは私の捉え方の「立派」で説明させてください。
私が思う「立派」は、
”人としてかっこいい、尊敬できる”
というイメージです。
高卒や短大卒の地元の友人は、すでに社会人として働いています。
大学生としてモラトリアムを楽しむ人間がたくさんいる中で、
一足先に社会に出て、厳しい環境の中で働く友人たちは、めちゃくちゃかっこいいです。
私は就活を通じて、「自分のやりたいこと」を見つけることは本当に難しいことであると実感しました。
辛くなったときも働き続けられるような「働くエンジン」を見つけること、自分が大切にしたいもの、自分が実現したい世界、なりたい像、
そして自分のやりたいこと。
どれも、自分の答えを出すことが本当に難しかった。
そんな私からすると、美容師さんや保育士さんなど、中学や高校の時点で「自分のやりたいこと」を見つけてそれに向かって努力している人は本当にかっこよくて、尊敬します。
きっと、大学生の中には
「とりあえず大手」
「とりあえず有名企業」
「内定もらえそうなところ」
とか、そんな理由から就活を始めて、あとから取って付けたように志望動機を考えた人がいると思います。
志望動機は自分や企業と本気で向き合って考えるもののはずなのに。
志望動機に模範解があってはならないはずなのに。
選考に合格するための話を考えて、いつの間にか志望企業から合格をもらうことが「最終目標」になっているような、そんな学生もいると思います。
働いてからの方が長いし、よっぽど大切なはずなのに。
(特に私の通う大学にはそんな学生が多いと感じます)
大学生って、社会人よりも自由に使える時間があると思います。
ただ、その与えられた時間をどう使うかは自分次第。
与えられた時間や機会を活かすことなく大学を卒業してしまう哀しい人がいる中で、大卒でなくとも、自分のやりたいことを見つけて夢に向かって頑張っている人は本当にかっこいいし、「立派」であると私は思います。
最後に
美容院での話に戻りますが、
どうやら美容師さんは”社会的地位が高い”という意での「偉い」
そして私は”人間として立派である”という意の「偉い」
で解釈してしまって、齟齬が生まれたのかもしれないと気づきました。
今度美容師さんとお会いしたときは、
とお伝えしたいです。
大卒について考えるきっかけをくれた美容師のお兄さん、ありがとう。
PS:髪色を変えて最後に髪を巻いてもらうと、美容室を出てからの自分に自信が持てるような気がします。気分も上がって、胸を張って歩くことができました。
美容院に行くことで、“見た目だけでなく気持ちも変わる”という情理的な価値を改めて感じました。
こんなご時世だからこそ、これまでは当たり前だと思っていたことのありがたみに気づかされます。
1日1日を大切に過ごさねば。
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