正月の過ごし方・娘と過ごしたお正月 なぜ初詣にいくの?
今年は元旦から能登半島地震が発生し大変な被害をもたらした。
犠牲になった人たちへ謹んで哀悼の意を表するとともに、被災者の方々には心からお見舞い申し上げる。
天災に負けず、少しでも明るく、希望が持てる一年でありますように。
年末年始を大阪で過ごす
私の例年の年末年始の過ごし方は、まず近所の氏神様に詣で、昨年無事に過ごすことができたことへのお礼と本年もよろしくお願いいたします、とご挨拶し、そしてご先祖が眠る菩提寺にお参り。ここでも感謝と今年も引き続き見守ってくれるように祈る。
私の場合、菩提寺があり檀家でもあるので、氏神様(神社)とお寺両方にお参りする。
ところが、昨年は娘から連絡があり、ぜひ年末年始はうちに来て一緒に過ごしてほしいとのことであった。
娘には煙たがられることが多い世の父親にとって、よもやこのような誘いを受けるとは。
さすがの私も嬉しく、舞い上がってしまった。
考えてみれば、彼女とはもう5年ぐらい会っていない。孫にも会いたいし、行ってみるかと重い腰を上げることにした。
娘は今年三十路。一男一女の母である。
幼稚園のころまで東京で一緒に住んでいたが、その当時の私の妻(彼女の母親)が物騒な生活に耐えきれず、彼女を連れ実家の北海道に帰ってしまったのだ。
その母親は彼女が高校生の時にガンで亡くなり、それから大学を卒業するまで一人暮らし。
私は毎月一週間、必ず北海道を訪れ、彼女との時間を持つようにしていた。
「そりゃ・・・無学なこの俺を
親にもつ お前はふびんな奴さ
泣くんじゃネエ 泣くんじゃネエよ
あんな薄情な おっ母さんを
呼んでくれるな
おい等も泣けるじゃねえか
ささ いい子だ ねんねしな」
大ヒットした一節太郎の「逃げたぁ女房にゃ未練はなぁいがぁ~」でおなじみ、浪曲子守唄のセリフである。
業界では同じ境遇の輩が多い。ふとした時に「無学」の部分を「893」に変え、しんみりと歌ったものだ。
まったく不徳の致すところだ。 https://note.com/7810sukechiyo/n/n9c751cf75433
大学卒業後大阪に嫁ぎ、ソーシャルワーカーの職を得、立派に働いている。
この話は相変わらずの説教オヤジの私が、年越し、正月と娘と過ごす中で 娘からの質問に答えていくことを通じ、日本のお正月について書いたものである。
急ぎ年越しそばを買う
31日の昼過ぎ、娘の住まいがある最寄りの駅に到着した。
婿殿、娘、孫二人、一家総出のお出迎えであった。
婿殿は一度会っただけだ。はにかんでいる。怖いのかもしれない。
孫たちも大きく、可愛くなっていたが、突然のスキンヘッド登場に面食らっていた。
「家までは歩いて15分ぐらいだから街案内がてら歩いて行かない?」
「いいね。真ん中に大きな川が流れていて、いい雰囲気だね。
だけど郊外のわりにずいぶん人が多いね」
「普段は少ないけど、お正月だからみんな帰省で帰って来てるんじゃない」
「そうか、東京に人が少なくなる分、こっちが増えてるってわけだ」
「晩御飯はビーフシチューでいい?」
「いいよ。じゃ、年越しそばはその後だな」
「え、年越しそばって、別に食べないよ」
「えっ、お前んちは大晦日に年越しそばを食べないのか?」
「よく話には聞くけど私、そんなの食べたことないよ」
「子供のころ食べただろ」
「全然記憶にない」
父親の体たらくで年越しそばの記憶のない子、その意味も知らない子に育ってしまった。
私自身、年越しを彼女と過ごした記憶はほとんどない。
自分の不甲斐なさを深く恥じた。
「年越しそばは古くから伝わる日本の伝統行事で、一年を振り返りながら来年への祈願とともに食べるものだ。古くから伝わる、いわば年越しの風物詩のようなものだな。縁起物でもある」
「へぇ、いつ食べたらいいの?」
「決まった時間はないよ。大晦日に食べ終われば、いつ食べてもOKだ。昼に食べる人もいるし、除夜の鐘を聞きながら風流に12時近くに食べる人もいる。そばは低カロリーだから夜遅くに食べても大丈夫だ。もちろん夕食に食べる人も多い。」
「一年の厄災や苦労を切り捨てて翌年に持ち越さない、というのが年越しそばの意味だ。だから、年越しそばは大晦日に食べるもので年が明けてから食べるのはよくないってことだ」
「ただし、そばを残してしまうと、新しい年は金運に恵まれずに小銭にも苦労する、といういわれもあるから、いつ食べるのか、ということよりも残さず食べることが大切だな」
「ヤバァーイ。大みそかは日本中でそばを食べてるんだ」
「日本中とは限らない。実は、大みそかは、年越しうどん、という地域も存在する」
「あっ、わかった。讃岐うどんの香川県だ」
「その通り。他にも群馬県、大阪府、秋田県でも、年越しうどんを食べる家庭があるらしい。ただ、これらの地域は小麦粉の生産地域で普段からうどんを食べているから、大みそかもうどん、という流れだね。
でも、香川県以外は、普段はうどんでも、大みそかだけはそば、という人の方が多いようだ」
「香川県は頑なに “うどん” なんだね」
「そうだ。それに香川県は今不気味なことを提唱している。
それは “年明けうどん” だ。
年明けうどんのHPによると、年明けうどんとは、純白で清楚なうどんに紅いトッピングを添え、年の初めに食べることで、その年の人々の幸せを願うもの、だそうだ」
「この動きは、初期のバレンタインのチョコや恵方巻の海苔と同じように 業界団体やうどん企業がプロモーションとして主導しているものだけど、そのうち年末年始の縁起を担ぐありがたい風物詩として定着するかもしれない。年越しラーメンや年越しパスタもきっと出てくるぞ」
「変なのっ!」
「ま、とにかく大みそかは全国的に “年越しそば” であることに、間違いはない」
「じゃぁ、年越しそばはいつから始まったの?」
「その起源は江戸時代中期と言われている。そのころ、商家主人が忙しい晦日(月末)に働いてくれた奉公人をねぎらう意味で「三十日(みそか)そば」が食べられていた。この三十日そばが年越しそばの起源だと言われてるんだ」
通説では、この三十日そばの習慣が一般的に広まったのは、原料であるそばの実が非常に栄養価が高く、江戸時代に流行した脚気(かっけ)という病気に効果があったことや、ハレの日に食べる縁起物ものでもあったことが、お正月の準備が終わった大晦日に年越しそばを食べる現在の風習につながったという。
年越しそばはどんな意味がある
「縁起物って言ってたけど、年越しそばにはどんな意味があるの?」
「まずは、厄払いだな。そばはほかの麺類に比べて切れやすいから 一年の厄災や苦労を切り捨てて翌年に持ち越さない、という願いを込めて年越しそばを食べる、これがもっとも有名な説だ」
「そして、長寿祈願。そばは細く長い麺なので、延命や長寿を祈願して食べる。あとは健康祈願。そばの実は、激しい雨風を受けても、晴天になり日光が当たるとすぐ元気になる。このことから健康への縁起を担ぐものとして食べられるようになったといういわれがある」「他にも、金箔を延ばすときもそば粉を用いたことで、そばは金を集める縁起物であるという考えや、昔、金細工職人はそば粉を団子状にして金粉や銀粉をくっつけ、団子を水に入れてそば粉を溶かして金粉銀粉を集めていたことで、金運上昇、など、いくつかの説がある」
「へぇ、めっちゃ面白いね。絶対に食べなきゃ。途中でスーパーがあるから、年越しそば買ってから帰ろ」
というわけで、私たちは近所のスーパーで大騒ぎしながら、そばと油揚げ、ネギ、天ぷらなどの具を購入し家路についた。
途中、ぐずり始めた男の子を抱っこしていた婿殿がなんとも嬉しいことを申し出てくれた。
「お義父さん抱っこ代わってくれませんか」
うちの婿殿は本当に好青年だ。きっと会社でも出世するに違いない。
人見知りをしない孫に頭をピタピタされつつ、娘宅に到着。
子供用のスペースが広く取ってあるのは仕方がないとして、掃除が行き届いていて、整理整頓されている。感心、感心。
あれ、さっぱりしているのはいいが、正月飾りがどこにも見当たらない。
正月飾りについて
「正月飾りはしないのか?」
「うん、特にしないよ。なんだかよくわからないし・・・
しなきゃだめなの?」
「そうだ、しなきゃだめだ」
「えー、何で? 何を飾るの? いつ飾るの?」
娘は年越しそばで日本の正月というものに興味を持ったらしく、矢継ぎ早に質問してくる。
「うーん、まず日本のお正月が何を意味するかを理解しないとな」
「そうだね。それで何?何なの?」
目が輝いている。
「神道を知っているか?」
「知ってる。天照大御神なんかのことでしょ」
「おぉ、よく知ってるな」
「神道は日本特有の宗教だ。自然崇拝や先祖の霊、また八百万(やおよろず)の神などという。そういった自然発生的な神々の観念に基づく信仰が基盤になってる」
「神道の神々は、海の神、山の神のような自然界や自然現象を司る神々、商売や学問の神々、縁結びなど人間関係の神など、その数と種類の多さから「八百万(やおよろず)の神」と言われている。聞いたことはあるだろ」
「八百(やお)」は数が極めて多いことだ。万(よろず)はさまざまであることを意味している。だから八百万の神とは、多種多様な数多くの神という意味だ。決して神様が800万いる、ということではないぞ」
「その八百万の神々の中で一番偉いのが天照大御神だ」
「へぇー、そうなんだ。面白い」
「それで正月飾りとどんな関係があるの?その前に、そもそもお正月って何?」
「新しい年を迎えれば祝いたくなるのは当然で、お正月そのものについては、どの国にも新年を祝う文化はあるよな」
「日本の場合、“年神様“を迎える、というのが大事なテーマだ」
「年神様とは神道の考え方だ」
「つまり、お正月はそれぞれの家にやってくる“年神様“をおもてなしする、神道の行事なんだよ」
年神様って?
「年神様って誰?」
「年神様は新しく迎える年の安全と豊作を約束してくれる神様だ」
「そして年神様を迎えるうえで大切な意味を持つのが、門松、しめ飾り、鏡餅などの正月飾だ」
「門松、しめ飾り、鏡餅はどんな意味があるの?」
「まず、門松。これは年神様を迎え入れるための目印になる」
「へぇー、神様のくせに目印がないとどこの家かわからないんだ」
「そこはつっこむ所じゃない。俺だってまさか年神様が目印を必要とする有視界飛行をするとは思っちゃいないけど、千年以上前からそういうことになっているから、それでいいんだ」
「しめ飾りは神様が宿る場所だ」
「鏡餅は穀物の神様としての年神様へのお供え物で、“鏡開き”で下げて食べる。鏡開きの日は地方によって違うから確認しないと。そして、年神様と一緒に食べるのが、おせち料理」
「みんな年神様をおもてなしするためのものだ。だからこの時期には多くの家でどんなにささやかな物であってもお正月飾りがあるんだよ」
「大変だ。なぁんにも用意してないよ。正月飾りはスーパーで売ってる? 売ってるなら今から買いに行こう」
「最近は室内用の正月飾りリセットが売っているけど、今日は大晦日だから、今から飾るのではもう遅い、手遅れだ」
「ガーン、もう遅いの?なぜ手遅れなの?」
「正月飾りを飾り始める時期は、正月事始めと言われる12月13日以降なら、いつ飾り初めてもいい。だけどやってはいけないとされる日がある」
「12月29日は“二重苦”につながるので避ける。そして12月31日は“一夜飾り”になって、縁起が悪い」
「そっかぁ、今日は大晦日だから縁起が悪いんだね」
「今回は心を込めて年神様を迎える、という気持ちでいよう。来年きちんとすればいいよ」
正月飾りは片付ける時期も大切
「正月飾りは片す時期も大切だ。“松の内”が過ぎたら片すこと。松の内とは年神様の滞在期間のことだ」
「松の内の期間は地方によって少し違いがあるけど、東京は1月7日、大阪は1月15日だったと思う。ご近所ではどうしているか確認してみたらいい」
「うん、職場の人にも聞いてみよう」
「松の内が過ぎたら、お正月飾りは“左義長(さぎちょう)”と呼ばれるお祭りで燃やし、炎とともに天へと年神様をお見送りするんだ」
「左義長は地域によって“どんど焼き” “とんど焼き” ”鬼火焚き”などと呼ばれている。この辺じゃなんて呼んでるのかな」
「近くの神社で、左義長や、お焚き上げがおこなわれているかどうか確認してみるといいよ」
「仕事だったり、時間が合わなくて左義長に参加できない場合はどうしたらいいの?」
「その場合は地域のゴミ処理方法にしたがって、燃えるゴミだな」
「えぇー、燃えるゴミでいいの?」
「もちろん、そのままゴミ袋に入れたらだめだよ。お塩やお酒でお清めをしてから、半紙や新聞紙等に包むこと。その紙でお正月飾りを包み、他のゴミとは別の袋に入れて出せばOKだ」
「なるほど、それなら後々面倒くさくなく飾れるね」
なぜ初詣にいくの
娘特製のビーフシチューのおいしい夕飯のあと、孫たちが眠くなる前に年越しそばをみんなで厳かにいただいた。
「お父さん、明日は大阪観光でもする?」
「それはいい。行きたいところがたくさんあるよ。じゃ、初詣に行ったあとで、大阪巡りしよう」
「えっ、初詣って、いくの?」
あきらかに面倒くさそうな顔をしている。
「行かなきゃだめなものなの?」
「行きたくなければ行かなくてもかまわないよ。思想、信条、宗教の自由は日本国憲法で保障されている。」
「そんな大げさな問題なの」
「最近のデータによると日本人の三割は初詣をしないそうだ」
「初詣とは、過ぎた一年を無事に過ごせたことに感謝し、新しい一年も息災に暮らせるよう、神仏に対しご挨拶に行くことだから、神様に感謝もお願いもご挨拶もしたくないなら行かなくていいんじゃないか」
「本当に行きたくないんだな?」
「やっぱり行きたい・・・」
「よし、じゃ、明日は初詣だ」
「初詣は神社に行くの、それともお寺?」
「どちらでもいいけど、正月は神道の考え方だし、神道は仏教伝来よりも以前に日本人の文化・生活の中に溶け込んで、大切にされてきた宗教だ。俺はまず自分の住んでる地域の氏神様を祀っている「氏神神社」そして先祖代々のお墓がある「菩提寺」に行くことにしている。
お前の菩提寺は大阪にはないから、氏神神社に行けばいいよ」
氏神様って何?
「氏神ってなに? 氏神神社ってどこなの?」
「氏神はその土地に住む人々を守る存在だ。お前はこの土地にとってはヨソ者だから、自分が住んでるこの土地の氏神神社にお参りすれば、この土地にさらに愛着がわき、今以上に住みやすくなるかもしれないよ」
「そうか、なんかお参りに行きたくなってきた。ここの氏神神社はどこだろう。生後一か月ぐらいにお宮参りに行ったところかな?」
「へぇー、お宮参りは行ったのか。感心だな。でも本当にお宮参りか? 一か月後検診じゃないだろうな」
「失礼だね。お宮参りよ。神社に行ったし、ご祈祷をしてもらったもん」
「最近は特に自分にゆかりのない有名な神社やお寺に初詣やお初参りをする人もいるから、一応調べてみよう」
「ここの氏神神社はどうやって調べるの?」
「簡単だよ。インターネットで調べられる。東京に日本全国の神社を管理・管轄している神社本庁という機関がある。そして都道府県ごとに神社庁という支部がある」
「大阪神社庁のホームページをみてみよう。ほら、地図や町名などから氏神神社を検索できるようになっているだろ」
「候補の神社が二社ある。近所とはいえ、氏子地域の境界線が微妙に異なっているから、明日この神社に電話して確認しよう」
「調べてよかった。お宮参りした神社じゃなかったよ」
氏神神社に初詣
翌朝、氏神神社を確認し、出かける前にお参りの練習だ。
「いいか、鳥居の前でお辞儀、手水舎(てみずや)で手を洗い、口をすすぎ、真ん中は歩かない。最初にお賽銭、そして二拝二拍手一拝」
「二拝二拍手一拝のところの注意点。これは大事だ。よく普通のお辞儀をちょこんとしている人がいるが、これは違う。拝というのは深いお辞儀のことだ。背筋を伸ばして90度に曲げる。これが拝」
「ちゃんと教われば全然ややこしくないね。うん、大丈夫」
「お賽銭はいくら入れたらいいの?」
「いくらでもいいよ。その時に自分が出せる精一杯を入れたらいい」
「5円玉じゃなくていいの?」
「ご縁がありますように5円、なんかは単なる語呂合わせだよ。5円硬貨が発行されるはるか前から神様はいるわけだから。こだわることはないよ」
一時間ほど参拝の列に並び、滞りなく初詣を終えることができた。
「お父さん、私気がついたことがある。神社参拝はきっとセロトニンを活性化させるんだよ」
「何だそれ?」
「“セロトニン”は “幸せホルモン” とも呼ばれるよ。心身ともに健康で幸せに暮らすために、とても重要な役割を果たしてくれているの」
「脳内には、様々な情報を運ぶ神経伝達物質が複数存在していて、その代表格の1つが“セロトニン“。リラックス効果があって、安心感や幸福感をもたらしてくれるのよ。だから別名 “幸せホルモン” 」
「あぁ、セロトニンが活性化されているぅ」
「本当かよ。お前、そういうことにはヤケに詳しいな」
幸せなんとやらのことはよくわからないが、神社参拝によって安心感や幸福感が生まれ、精神の安定につながったのなら、とてもよいことだ。
きっと彼女は参拝中に何か神々の気配を感じたに違いない。
私たちが心のよりどころとしている、日本の風土、伝統、文化、美意識。 神道が反映している日々の暮らしと年中行事、人生儀礼、しきたりなど 日本人の心に染み込んだものの一部でも彼女が理解してくれたのなら、それに勝るものはない。
その後は婿殿の車で大阪観光。
親子の絆を実感できた、楽しく充実した年末年始の時間であった。
最後までお読みいただきありがとうございました