還暦過ぎた水瓶座が覚醒した話1月3日
日本人にとって外国人は『ソト』の存在であった。
『ウチ』には厳しくても『ソト』には甘くやってきた。
私が子供の頃、母は『ソト』に自慢したりはせず
(自慢できるようなことは何もしてこなかったが)
いつも『ソト』に対して『ウチ』を低くしているのが、子供心に疑問を持っていた。
誰かが来た時には、ゲスト→父→兄→姉、私、母の順になっていた。
『ソト』は基本的に上の立場。
『ウチ』には言いたいことはきちんと伝え、悪いところは直すようにさせた。
『着物警察』という言葉がある。着物の格や着付け等を判断し、注意する人たちのことを言う。着物に対して真剣に向き合っている人でもある。
うるさい存在でもあるが、『着物警察』は『ソト』の人には絶対口を出さない。『ウチ』の人には厳しくもある。
例えば海外に行った日本人(見ている人にとって『ウチ』の存在)が『ソト』できちんと着て欲しいからだ。
なんちゃって着物には全く口を出さない。それは『ソト』のことだから。
『ウチ』と『ソト』は場所や状況で色々と変わるが、『ウチ』には仲間内だからこそきちんとして欲しいという思いが強い。
日本人は家(ウチ)の中に人(客)を入れることを躊躇しやすいが、非日本人は家に入れることに躊躇しない人が多いように思う。
何故なら日本人にとって家は『ウチ』であり、自分=ウチを見られることをできる限り避けたい。 反面、非日本人だと『ウチ』に入れることができたりもする。これは同じ価値観を持っていないという安心からか。
ともかく日本人にとって日本を訪れてくる外国人は『ソト』の人だったため『ウチ』は見せずに外面を見せてきた。
政府も『おもてなし』などと言い出し、国民(ウチ)に負担をかけるようになった。
外国人はそれを盾に好き放題する。
そのうち健康保険、生活保障、教育まで『ソト』を有利にし、それを隠すことすらしないし、指摘されても変えようともせず、『ウチ』には不自然なほど辛くあたるようになっている。
『ウチ』はもはや奴隷扱いだ。
本来の『ウチ』には、同じ円の中の存在として形式上の愛が存在していたはずだが、今は単なる奴隷の集団としか見られていない。
国に自分の意見を伝えるのは投票しかないが、前回の選挙でも投票権がないのに投票した人や、勝手に時間を短縮したとか、不正が起きていた。
それに対してきちんと対策したとかの話は聞いていない。
次回も某宗教団体が手を回し、もっと手の込んだ不正の準備を計画していることだろう。
その辺りの監視をきちんとすることが必要になると思うが、一体誰を信じてそれを任せられるのか。今のままでは『ウチ』は無力だ。
同日選挙を口に出すということは、不正の準備はできているのだろうか?
『ウチ』等の日本を守るには『ウチ』等がまとまることしかない。