お酒とタバコ

私は友達も居なく親からの寵愛を受けずに育った。こう云う点ではトー横の子達と同じ筈なのに,なぜ私は未成年時に酒もタバコもやってなかったのだろう…生きてたって良い事なんてありゃしない。だから寿命を縮める為に酒やタバコに手を出すと云う境遇は理解出来るが,私の祖父は中学の頃から酒タバコに溺れる生活を送っていたにも関わらず60を過ぎても何故か生きている。だから,私の中で人生に悲観してる事がお酒を呑んだりタバコを吸う理由にはならなかった。トー横に来た子らはみんな口を揃えて居場所を求めて来たと言うらしい。私も誰かに愛されて居場所と言える拠り所が欲しいけど,そもそもの話,私は愛の形を知らず大きくなってしまったので向けられた感情が愛だと証明する術を私は持ってなく,それが次第に鬱陶しく感じてしまう。そして誰かを愛そうにも結局自己愛へ帰結してしまい他人を愛せない。仮にこの自己愛へ帰結するまでのプロセスを世間で愛だと云うのであるのなら,自殺の日取りを決めて夭折までのカウントダウンを始め自己愛すら放棄してしまった私が誰かを愛すのは到底無理な事になってしまった。

お金が貰えるから働く。それと同じく人は自分の働きに対して相応の対価が見込める場合に行動する。ならば,幾ら愛したってその対価としてのレスポンスを払えない私は他人から愛される資格が無い人間と云う事だ。
持たざる者は持つべからず。漠然とした癒える事の無い心の乾きに苦しみ続けるのは私の人生に於いて確定された事項である。これが人生に悲観した主な原因で,トー横の子達は世間で認められる程綺麗な形で無いにしろ人を愛せる人間だからコミュニティを成立させる事が出来るんだと思う。私はコミュニティを成立させる為としての前提が破綻している。コレが境遇は同じながらもトー横の子達達の様にならなかった私と彼等の違いで世間からは罵られる事が多いトー横だが,私はそんな彼等より欠如していると云う事が彼らを見てるとヒシヒシと伝わって来る。

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