すぅさいど正当化白書

実母は籍を入れるなり発達障害を持つ小姑(私からすると叔母)から嫌がらせ等を受け小姑との関係は昔から最悪だった。ある日,産気づいてる実母に向かって『そのままトイレに流したら?』と言い放ったらしい。実母はその言葉で意地になり私を産むことを決意した。
私が成長するに連れて叔母と同様に発達障害の症状が顕著になりつつある事に私の実母は気付いてたのだろうが,自分の嫌いな小姑と同じ部類の人間が自分のお腹から生まれてしまったと云う事が明白になるのが怖いからなのか一度も検査に連れて行かれた事は無い。
今まで自閉症と云う言葉に出会って自分の言動と照らし合わせて医療機関のネット診断を受けるまで自覚は皆無だった。働き始めたら改めて近くの病院で診断書を貰い手帳の発行手続きをしないといけない。幼少に受けてればここまで悪化しなかったのにと親を恨みたい。

自閉症の典型になってしまった私はいつも白か黒の思考に苛まれて居るので,コレは自身の怠慢である節もあると思う。親からの叱責や鉄拳制裁なんて他の家でも更にある事だと思うが,私はコレに耐えきれなくて自分の親をどうしても良い親だと思えない。両親は一生懸命私に愛情を注いでくれてたつもりなのだろうが私は満たされなかった。愛は信頼の前に成り立つらしいが,どうやら親両親を信じきれなくなっていたらしい。

そうなってしまった原因は明確で,中学の時部活内で気性の荒い生徒がほぼ週替わりで他部員を当たり強く虐げる様になっていき,それを止めに入った私へターゲットが切り替わり,勝手にリュックを捨てられたり,鉄の定規を突き立てられて肉を抉られかけたり後ろからつけられて傘で殴られそうになったり,そんな仕打ちばかりで次第に休む様になってそれが大会の時にバレて親からは叱責と共に暴行を加えられた。叱責と言ってもほぼ恫喝に近くそれはいつも暴力と一緒だった。
仕方なくまた部活に通い始めて暫くしてもあの生徒は私をまだ恨んでいてラリーの練習中に口論になりジリジリと彼は私の元に近づきラケットを投げつけた。左目の下に当たり,数mmで失明だった。保健室に運ばれた顧問に今までの事を話すと『なんで殴り返さないの?』と旨の返答を得た私は呆れ果てた。同じ部員も助けてくれる人が居ないし,親も話を聞いてくれないし最後の頼みだった顧問も私を救ってくれない。
こんな事があったが私は親が辞める事を許してくれなかったので部活を続けざる負えなかった。毎日怖かったしとっても辛かった。未だにこの日々を思い出して眠れない夜がある。

この境遇から救われなかった事に腹が立ち関係無い人間まで恨んで気付けば誰も信じられない人間になってしまっていた。

母はよく『他人からバカにされない様な人になりなさい』と言っていた。コレが我が家の教育方針で私が私らしくある事をゆるされず,表面的な自由を与えられ人並み以上である事を強要されていた。自動車学校に普通二輪の免許を取得しに来た際も私には交通法規を頭に入れて運転をするスペックが無いにも関わらずそれを求められた。前提として私が人並みだと思ってる両親の目には,交通法規を覚えられないのも実施コースを覚えられないのも,教官の指示の通りの操作が出来ないのも怠慢意外に映らなく恫喝じみた叱責と暴力がまた毎日繰り返された。

コレで私から親への信頼は0になった。
愛は信頼が先に無いと成り立たないらしく,どれ程親が私に愛の口上を述べようと私はその言葉を信頼して受け入れる事は一切無く不快感を覚える他無いであろうと思う。私から信頼を復活することは完全に不可能だから親からの信頼と愛を確かめたい。その為に『大切なものは失って初めて気付く』と云う言葉の通り私が死ぬ事で確証の取れる本当の愛を知りたい。
両親意外の人の私に対する愛もコレで知れる。

他人に100%の信頼を預けきれない。白か黒,0か100の世界でしか生きられない私からすれば100%の信頼を置けないなら全て不審の対象者であって他人と信頼関係になれない。そんな私が愛を知る術はもうこれだけしか残ってない。

こうでもしないと私は一生癒えない渇きに喘ぎ苦しみ続けるのみ

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