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劣等感とナナメ。そして、気づき。
初ノート。
私の好きなサクちゃんこと桜林直子さんが本を出したと言うので、遅ればせながら買って、読んでみた。(まだ途中だけど。)
心の隙間にすっぽりと優しく染み込んでくる生きた文章ともやもやした曖昧な感覚を言葉にすることの巧みさが本当に素晴らしく、またひとついい本に出会えたことが嬉しい。
「分からないから、分かるために書く。」
という文章を読んで、試しにやってみるかと自分が思っていることを書いてみた。
昔から強い人が好きじゃない。
強い人というのは、揺るがない自信があって、周りの目を気にせずに自己主張ができて、喜怒哀楽の感情を素直に表に出せて、リーダーシップがある人だ。
そういう人は大抵人気者で楽しい人だ。
つまり、人気者が好きじゃない。
なぜか。
それは「この人は自分のことを下に見ているな」と感じるからである。
実際の言動や振る舞い、そして時には自らの勝手な妄想から。
私は自分のことをナメているなという人に対して、下手に出たり、媚を売って、金魚のフンみたいな存在でもいいから、一緒にいたいとは思えない。
プライドが高いから。
するとどうなるか。
ひねくれてしまう。
天邪鬼になるのである。
例えば、そういう強い人たちはその自慢のコミュ力とノリを武器にすぐに友達の輪を広げていく。
女子とだって容易に仲良くなっていく。
これに対して、天邪鬼になっている私は、
「希薄なつながりなんて無い方がましだよな。
狭く深くが大切なんだよ。」
「女子とチャラチャラつるむなんて自分は好きじゃないから。」と。
その上、その人気者の周りにいる人たちまでなんだか好かない気がしてしまう。
本当はその中にもいい人、自分と合うかもしれない人はいるはずなのに。
食わず嫌いである。
そうやって強者を否定して、心の内で散々馬鹿にしていた。(自分は優しい人と思って、気づいてなかったけど。)
でも、そんなことを続けていると、その否定はブーメランとなって自分の楽しみや欲、居場所を奪う。
なぜなら、強者たちは自分が本当はしたいこと、羨ましいと思うことだってたくさんやっているから。
本当は、女子と仲良くしたかった。
深くなくてもいいから、いろんな人と喋って、多様な人間性に触れたかった。
つまり、
いま抱える生き辛さの原因や、なんか楽しくないの原因はそうやってひねくれて自分が本当に好きなものや楽しいこと、いたい居場所を感じようともしなかったからなんだ。
ひねくれた原因は強者にナメられていると勝手に感じていたこと、つまり劣等感である。
そして、劣等感を感じた時に、見返してやろうと努力してナメられない人間になる努力をしなかったからだ。
私は下に見られていると感じたら拗ねる。
ナナメになって、下を向いて、うずくまってしまう。
そうなってしまうのはプライドが高いから。
プライドが高くて、ナメられている自分自身を認めたくないからだ。
こうやって自分と向き合っていると気づいたことがある。
「私は自分のことを大切にしてほしいんだ。」
「尊敬してほしい。価値があると認めてほしいんだ。」
そう思い込みでもいいから思えるようになったらいいんだ。
ならば、そんな人間に努力をしてなればいい。
そのためにもまずは自分の弱さや足りない部分を受け入れて、素直に認めることからだ。
そして、もう一つ。
私を大切にして。
私を尊敬して。と言う前に、自分が他人に対して、そうするべきなんだ。
そんなことにも気付けないほど図々しい人間になってしまったのはなぜなんだろう。
その理由はなんとなくわかる。
小学校のときは、チヤホヤされていた。
自分が何もせずとも、周りにたくさん与えてもらえていた。
それを当たり前だと子供ながらに思ってしまったんだろう。
だから、大きくなるにつれて段々とその当たり前が当たり前じゃなくなってきて、でも認めたくなくて、苦しくなっていったんだな。
小学校のときはサッカーめっちゃうまかったもんな。