空も飛べるはず
昔に想いを馳せることが多くなった。私も歳を取ったのかもしれない。いや、まだ20歳なんだけどね。
最近、充実しているせいか、よく『あの時○○していれば』に苛まれることがよくある。冷静になって、物事をきちんと処理できているからだ。
「あのとき、ちゃんと向き合っていれば」「あのとき、ちゃんと思いの丈をぶつけられていれば」「あのとき、泣かなかったら」
後悔先に立たずと、よく言われるのもうなずける。
私は近頃、人生の程よい手の抜き方というのを覚えた。人付き合いはつかず離れず、人の話はずっと真面目に聞くより3割くらい受け流していくことも必要で、誰彼にでも本音をペラペラと話さなくても良いということも。これが大人になるということなのか?
そう考えることで、反対に今の自分がありのままの自分でいられるような環境にすごくありがたみと大切さを感じられるようにもなった。かといって、その人たちに完全に依存しているわけではないし、周りも見えているし、客観的冷静的に物事を判断できている(はず)。
「もっと自分を大切にしなよ」
と、たくさんの人が言ってくれたけれど、以前は意味がわからなかった。でも、今ならわかる。
剥き出しの心臓を相手に見せたからといって、相手も見せなきゃいけない義務なんてないし、相手の調子によりけりでその心臓は抉られて相手の養分になることもあり得る。抉ってくる他人なんて大抵人の気持ちなんて考えられないほど自分しか見えていないくせに、周りには多大なる配慮を求める。
自分を大切にするとは、そのような人から距離を取り、自立心や向上心、自己肯定感を育んでくれるような人と付き合っていくことだ。
「周りの人のレベルがあなたのレベル」とは本当に真理だと思う。
ならば、私は今いい人生を歩んでいる。これからも何かに悩むことはあっても、それに依存させられたり、心奪われたりすることなどないように生きていきたい。
人との出会いは、運の要素がほとんどだし難しいけれど、本当に大切な人を大切にできるくらいの教養や知性や優しさは身につけていたい。
そうしたら、きっといつか空も飛べるはず。