三宅一生さんが貫いた「匿名性」と「自由」
ご存知の方も多いかと思いますが、ISSEY MIYAKEというファッションブランドをつくられた三宅一生さんが癌で亡くなったというニュースを目にしました。
これを受けてちょっと書き残しておきたいことができたので、今日はそんな内容です。
結論からいうと
今日のタイトルにある「匿名性」とは何かという話なんですが、結論からいうとISSEY MIYAKEのブランドの殆どにテキストのブランドロゴや文字が無いのはなぜなのか?というお話です。
多くのブランドにはブランドロゴやテキストの文字がプリントされていることが多いです。それは、ブランドデザイナーさんが「このブランドを作った方に対しての尊敬とその人の名前を使わないのはもったいない・沢山の人にこのブランド創設者の名前を知って欲しいという敬意」があって、服にブランドロゴがプリントされている事が多いと聞いた事があります。(海外とかだと特にそれが強いらしい)
ISSEY MIYAKEのプロダクトにはそれがありません。ブランドロゴがないのに「あ、これISSEY MIYAKEだ」ってみんな分かるんです。
これって凄いことじゃないですか?
名前が書いてないのに、名前が分かるみたいなそんな感覚です。
ぜひどんな見た目なのかも見て頂きたいのですが、プリーツという技術を代表とするPLEATS PLEATS ISSEY MIYAKEやHOMME PLISSE ISSEY MIYAKE。
ピースが集まったカバンBAO BAO ISSEY MIYAKE。
テキスト表現は全く加えていないのに、ISSEY MIYAKEのプロダクトである事が一目瞭然なんです。
匿名性の理由
これは僕の考えでしかないのですが、ブランドロゴやテキストを入れてない理由は「使いやすさを重視しているから」だと思っています。
三宅一生さんは戦争や原爆、高度経済成長。学生運動やその抗議運動を生で見てこられた方です。その時に若者が身分の上の人に対しての抗議をしているのを見た時に「服が高級な人のためのものではなく、Tシャツやジーンズのように使いやすくて、便利で、多くの人にとって身近なものであってほしい」という思いが強くなったと本で見たことがあります。
先程写真でお見せしたHOMME PLISSEはまさにそれで、ポリ100%なので家で洗濯できて、乾くのも早くて、軽くて、持ち運びがしやすいので旅行にもってこいで、とても使いやすく便利なんです。
"一枚の布"と"自由"
もし仮にISSEY MIYAKEのプロダクトにブランドロゴやテキストがあったらこれまでに書いていたようにはなっていないと思うんですよね。もしあった場合はISSEY MIYAKEのロゴの主張は隠せないし、三宅一生さんという人物像までちらつくかもしれない。自由度が減ると思うんです。だからこそ匿名性にこだわったんじゃないかなと思っています。
少しだけ話がそれますが、一枚の布という三宅一生さんが目指した服づくりであり、ISSEY MIYAKEというカンパニーに脈々と流れる血のような概念があります。
一枚の布。とは何か?
それは、インドのサリーや日本の着物から着想を得たもので、西洋とかだと身体のラインに合うように形成されるのとは真逆の手法。
つまり、東洋・西洋にあった「服を作るならこうするじゃん?」という概念にとらわれず、身体とそれをおおう布、その間に生まれるゆとりの関係を根源から追求するものとして、生まれたものです。概念みたいなものですよね。(ISSEY MIYAKEの服の裁縫部分が最小限であるのもそういった理由かと)
一枚の布を説明するのに打ってつけなのが、A-POCという技術です。( A Piece of Cloth =一枚の布の日本語訳の略)
このA-POCという技術については添付した記事を読んでいただきたいのですが、端的に言うとこの技術のもと生まれた服は、着る人が自由に服を変えられるんです。例えば、その服をハイネックを丸首にできたり、長袖を半袖にできたりするんです。
着る側が着たいように着れる自由度がある。
加えて、その自由さは作り手側にもあると思っています。ISSEY MIYAKEの店舗を手がけた建築家さんが時計のデザインもしていたり、使う素材だって新しい技術にチャレンジしたりしています。(最近では、鉄の錆を服に落とし込んでいました)
ISSSEY MIYAKEはトレンドや流行を追うブランドではないので、だから、ISSEY MIYAKEで生まれたものが流行になることが多いんだなとも思いますし、世界中から愛され続けているんだと感じます。
もしかしたらその流行を生み出せるブランド文化に、あのスティーブ・ジョブズは惹かれタートルネックを作るよう依頼したのかもしれませんね笑
さいごに。
ここまでをまとめると、服はもっと身近で使いやすくて便利なものであって欲しい。そのためには匿名性(作家性を隠すこと)が必要で、それゆえに着る側にとって自由度の高い服が生まれたというISSEY MIYAKEの歴史だと思います。
服の定義を広げ、ISSEY MIYAKEの掲げる理念や世界観に多くのファンがついているからこそ三宅一生さんが亡くなった今もブランドがなくなることなく続いているんだと思います。
三宅一生さんの言葉を一部引用して終わります。
三宅一生さんの死去は悲しいニュースでしたが、僕個人としては三宅一生さんの目指した服づくりとISSEY MIYAKEが体現している凄さに改めて気づけたので、これからもISSEY MIYAKEを愛し続けます。
余談ですが、六本木にある21_21 DESIGN SIGHTという美術館も三宅一生さんが作りたかったデザインミュージアムです。この屋根はまるで一枚の布を表現したかのごとく、一枚のでかい板がある屋根が特徴ですよね。
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