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【ハリウッドの帝王スティーヴン・スピルバーグ】伝説の作り方を学ぶ
こんにちは!
住谷知厚です。
皆さん映画は好きですか?僕は好きです。
最近はあまり観れていませんが、心に残る思い出の映画がいくつかあります。
僕は海外の映画をよく観ていました。
海外映画と言えば、やはり「ハリウッド」がイメージされるのではないでしょうか?
映画撮影向きな気候や歴史的背景から多くの映画が、アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルス市の「ハリウッド」地区で撮影されてきました。
そんなハリウッド映画を手がける名だたる映画監督の中で、「帝王」と呼ばれる監督がいます。
映画界の帝王スティーブン・スピルバーグ
※写真O-DANから出典
スティーブン・スピルバーグ監督といえば、「ジェラシック・パーク」「JAWS」など、数々の名作を生み出してきた方です。
映画に詳しく無い方でも、名前ぐらいは聞いたことあるでは無いでしょうか?
スピルバーグ監督が手がけた映画は、大ヒットしているものばかりで、他にも「E.T.」や「インディ・ジョーンズ」最近のものだと、「レディ・プレイヤー1」なども代表作に数えられます。
映画監督になったきっかけ
そんな伝説級のスピルバーグ監督も、実は「ディスレクシア」と言う発達障害に苦しめられていた過去があります。
読み書きに限定した困難さを持つ疾患で、それが原因となり中学時代はイジメに合っていた過去がありました。
「トム・クルーズ」や「キアヌ・リーブス」などのハリウッドを代表する俳優二人も、スピルバーグ監督と同様で「ディスレクシア」に苦しめられたそうです。
スピルバーグ監督は、このディスレクシアの影響で同級生よりも2年遅れて学校を卒業しました。
そんな彼を救ったのが”映画製作”でした。
「映画を作ることで、私は恥ずかしさや罪悪感から解放されました。映画製作は、わたしにとっての『大脱走』だったのです。」と語る同氏。
※下記HPより引用
そこで彼の才能はどんどん開花していき、ハリウッド監督として大成功を収めます。
そしてハリウッドにはスピルバーグ監督が残した数々の伝説がありました。
【伝説その1】
17歳の頃、ユニバーサル・スタジオの見学ツアーに参加した際、何を思ったか、乗って来たバスには乗らずトイレに隠れ、閉園後、一人で悠々でスタジオを見学し始めました。勿論、関係者の人の直ぐに見つかったようですが、普通なら怒られて帰されると思いきや、この行動が面白いと思われ「通行証」を発行して貰ったというのです。
ユニバーサル・スタジオに通う中で人脈もでき、顔パスで入れるようになったという伝説。
【伝説その2】
顔パスになったスピルバーグは、ユニバーサル・スタジオ内に勝手に自分の事務所を作って居候したという伝説
これ本当なのだろうか?
でも、その後、「アンブリン」という短編映画を作成し、この作品を認められ、ユニバーサルと7年間の契約をしているんです。
※下記HPより引用
この2つの伝説が本当かどうか定かではありますが、もし彼が障害を抱えていなかったとしたら、映画製作のきっかけもなくなり、数々の名作映画が生み出されることはなかっただろうと思います。
最後に
周りの人や環境のせいにせず、ひたむきに努力を重ねていったスピルバーグ監督。
だからこそ、後世に残る数々の名作映画ができたのではないのかと思いました。
「ピンチはチャンス」「逆境があるからこそ人は頑張れる」そんな姿を体現しているスピルバーグ監督の今後の映画にも注目したいですね。
今回はこの辺で♪
《参考》
【スティーヴン・スピルバーグ編】少年期のハリウッド伝説から見る「発達障害の価値」
住谷知厚(すみたにともひろ)