【旅行記】関西・人形劇旅行⑧〜なにわ人形芝居フェスティバルその5〜
こんにちは。おおかみの人です。
今回のトップ画像は、なにわ人形芝居フェスティバルにて、三千佛堂での【現代人形劇の100年】展のようす。なお、写真の撮影及び掲載の許可は、人形劇の図書館館長の潟見さんにいただきました。
今回は(も)、思い出話のウエイトが重め。予めご了承いただきたい。
シアター☆パペッテリアさんとお別れして、お昼ごはんに屋台のたこ焼きを食べて、次のイマイアキさんの【サーカスの夜】の公演まで時間があったので、一心寺ロードに面した三千佛堂に入る。
三千佛堂に入ると、目の前に金ピカの仏像がどどん!!と何段もあって、仏様から見下ろされる。
さすがに3,000体はないとは思うが、それでも圧巻の光景だ。
入場して左手にひっそりとあった受付でスタンプラリーのスタンプを押してもらいつつ、左奥のギャラリーへ進む。
ギャラリーでは、西宮神社で行われていた【現代人形劇の100年】展をスライドし、もともとあった資料に新しいものを追加した、1日限りの特別展示が行われていた。
ギャラリーの中ほど、壁際のところに、布袋戲(ぽーてーひー)の人形が展示されているのを見て、わたしは懐かしい気持ちになった。
布袋戲とは?
それは、台湾の伝統的な手遣い人形劇である。
京劇のような派手なメイクと衣装が特徴的な人形で、それを手にはめて演技するのだが、なかなかアクロバティックな演出などもあり、手遣い人形でここまでできるのか!!とびっくりさせられる。
…と、ここまで書いたが、わたしは実際に布袋戲の劇を観たことがあるわけではない。見たことがあるのは、人形とその舞台だけである。
わたしが高校生のとき。修学旅行の行き先は、台湾だった。
飛行機に乗って台湾に到着し、その日の夜に京劇の舞台を観に行った。3泊4日ほどのスケジュールで、初日の京劇がいちばんインパクトがあった。ど派手な化粧と衣装、そしてパフォーマンス。
わたしには獅子舞が印象的だったのだが、それはまたの機会に綴ろう。
京劇の合間の休憩時間にロビーに出ると、そこにはちいさな人形と舞台が置かれていた。
現地のスタッフに、これはなんですか?と尋ねると、「これは、ぽーてーひー、というものです。人形劇ですよ」と教えていただいた。
ちいさな顔に人間の役者と同じような化粧が施され、赤色の豪華な衣装を着たその人形は、手に長い棒を持っている。如意棒…孫悟空の人形だった。
手でどんな操作をしているのかは分からなかったが、見ていると如意棒がくるくるとすごいスピードで回り始めた。
いったいどんな仕組みになっているのかはわからなかったが、この人形たちを手にはめて劇をするんですよ、と教えられ、面白そうだなあ…と思ったのを覚えている。
それが、わたしと布袋戲との出会いだった。
話を戻そう。
布袋戲の人形を見て、その場に立っていたスタッフの男性に「これはもしかして、ぽーてーひーの人形ですか?」と尋ねた。そう。そのスタッフさんこそがまさしく、この展示の主催者で、人形劇の図書館館長、人形劇・トロッコの代表を務める潟見英明さんであった。
「そうです、またの名を…」
布袋戲の別名は聞きそびれてしまったが、わたしは長らくお会いしたかった潟見さんご本人にお会いできてドキドキしてしまった。
何しろ、学生の頃から…せせくらせに在籍していた頃から、人形劇の図書館に行きたいと思いつつ、それが今になってもかなっていなかったのである。大阪にいた頃の滋賀県は、近くて遠かった。今となっては、遠くて遠く、なかなか行けなくなってしまった。
なので、長年の夢だった潟見さんに直接お会いするということが、今回やっとかなったのであった。
「この人形、売ってるんですよ」
と潟見さん。
え!?この貴重な布袋戲の人形は売り物だったのか!!衝撃を受けてしまった。
さすがにお迎えすることはできなかったが、ひとときだけでも懐かしい気持ちを味わえた。
人形劇関係の古本の販売も行われていて、最後まで購入するか迷ったのだが、これ以上荷物が増えると金沢まで持って帰れなくなってしまうと思い、泣く泣く断念。
書籍は、人形劇の図書館に今後訪れる際に浴びるほど見てこよう、と決意した。
今年2023年は、日本で現代人形劇が誕生して100年の年なのだそうだ。
1923年(大正12年)、まず「子どものための人形劇」が、幼児教育家の倉橋惣三によって始まり、その後偶然にも同じ年に、「新興芸術の人形劇」が、千田是也ら様々な芸術家によって花開いた。
この全く異なる人形劇の2つの流れが時を経てひとつになり、それが現代人形劇の流れとなっていく…
ということを、先日訪れた西宮神社の展示で学習した。
西宮神社での展示が行われていた頃、UNIMA(国際人形劇連盟)会員向けのイベントがあったそうで、その際潟見さんが1時間半かけてじっくり展示内容の説明を行ってくださったと聞いた。そのくらい、潟見さんは人形劇のことになると話が止まらないのだとも聞いた。
わたしが金沢の出身で、せせくらせという人形劇サークルの出身だということを伝えると、
「そういえばせせくらせからは何人かプロの劇団に行ってますね」
と、すぐに話が通じてびっくりした。
日頃からお世話になっている、人形劇団クラルテの大先輩と人形劇団京芸の大先輩の顔が思い浮かぶ。
わたしはプロではないけれど、これから人形劇を始めようとしている、せせくらせ出身の人形劇人のタマゴだと自称してみる。いつか自分の人形劇が日の目を見る日が来たらいいな、と思っている。
「金沢出身なんですねえ。金沢だと、金沢美大出身の…えーっと…長井さんだったっけ」
長井さん、長井望美さん。
人形劇団ネンネンネムネム!ねむり鳥の主宰をされている方である。
劇団のお名前も、主宰の長井さんのお名前も聞き知ってはいたのだが、まさか金沢美大のご出身だったとは!!知らなかったし、嬉しい気持ちになった。
ここでまた、自分の思い出話に戻る。
金沢美大の人形劇団といえば、わたしの中では【人形劇団サバラン】である。
どういう経緯でこの劇団を見つけたかはもう忘れてしまったが、まさか自分の故郷に同士がいるとは思っていなくて、大喜びしたのを今でも覚えている。
【乙女の暇つぶし】をコンセプトとしたこの劇団は、美大生ならではの独特なセンスで作られた人形や世界観が特徴の劇団だった。
なかなか公演に足を運べなかったりしたのだが、それでも観に行った劇のことは、頭に靄がかかりながらも覚えている。
いちばん印象に残っているのは、【忘れっぽい天使】だ。
サバランさんはこの演目でP新人賞に出場された。惜しくも受賞はならなかったのだが、わたしは現地の名古屋まで飛び、舞台を生で鑑賞した。
目を閉じた、三つ編みの少女が、演者の頭から吊り下がって、マリオネットのようになっているのが印象的に頭に残っている。
パウル・クレーの同名の絵から着想を得たというこの物語は、確か…事故で記憶を失った少女の物語だったと記憶している。
審査員たちの評価があまりにも辛口過ぎて涙が出そうになってしまったが、わたしはサバランさんの劇を推した。
実験的な内容の劇に取り組めるというのは、それだけでものすごいことだ。まして、人に見てもらえるだなんて、考えただけでドキドキする。
勇気を出してP新人賞に応募し出場したサバランの皆さんに拍手を送ったし、今も送りたいと思う。
ちなみに、同じ年にP新人賞を受賞した望ノ社さん、観客賞を受賞した人形劇団くりきんとんさんはどちらも今回のフェスで上演されている。このあとくりきんとんさんの劇を観に行っているので、記事をお楽しみに。
サバランさんは座長さんや劇団メンバーさんの卒業に伴って事実上解散し、【灯光式】という卒業式をもって活動を終えた。とても切ない気持ちになった。
今でもわたしは座長さんや何人かのメンバーさんと繋がっていて、サバランの皆さんはわたしの人形劇活動を応援してくださっている。ありがたいことだ!!この力を糧に前に進んでゆきたい。
大幅に話が逸れてしまったが、話を戻そう。
潟見さんによると、その昔金沢の片町のあたりには劇場があったそうで…。
うっ。
ここから先の話の続きがあったのだが、上手に覚えていないのと、他にお客さんが訪ねていらしたので、話を中断。わたしも次の演目の時間が迫ってきていたので、潟見さんに別れを告げ、展示をひとめぐりして三千佛堂を後にした。
西宮神社の展示から内容が一部変わって、また新たな勉強になったと思う。
時間があまりなくじっくり見て回れなかったが、今度は大津市の人形劇の図書館に赴いて、潟見さんの解説付きでじっくりと資料を見学させてもらいたい、と思った。
ほんのわずかの時間だったが、潟見さんの貴重なお話が聞けてよかったと思う。ますます人形劇熱が高まった。
三千佛堂で開催されていた【現代人形劇の100年】展の感想はここまで。今回も、ほとんどが自分の思い出話になってしまったことをご了承願いたい。短い潟見さんとの会話の中で、思い出したことがたくさんあったのだ。
次回は、このあと観劇したイマイアキさんの【サーカスの夜】について綴ろうと思う。
次回もお楽しみに。それでは。
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