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映画ドラッグ 娯楽のコスパ / 涙を流す無駄
「ちょっと時間ができたな。映画でもみて時間を潰すか」
30分ほど予定外の余暇ができてしまった。
せっかくなので、ひさびさに娯楽を楽しむことにした。
網膜とダイレクトに繋がったデジタルビューが、いくつかの映画を映し出した。
自分は適当に最新作として上がっている、映画を複数チョイスする。
そして、30分ほどのうちに十数本の映画を堪能した。
かつては映画を見るために映画館という専用の建物にいき、そこに座り、またそこで約2時間程度の時間をかけて視聴していたらしい。
いまでは信じられないことだ。
娯楽を楽しむための時間は限られており、映画以外にも娯楽はゴマンとある。
映画にしかない楽しみもあるのだろうが、それは代替の娯楽に流れない理由にはならなかった。
インターネットの普及時期のアップロード動画などの文化の後押しもあり、人は長い動画を視聴することに耐えられなくなった。
そのため、映画はだんだんと短くなっていった。
が、展開を早める、や、物語を短くするというようなレベルでは短くするにも限りがある。
また製作費の高騰への反動もあり、そこで、映画はいつのまにかぶつ切りのダイジェストが主流となった。
とはいえ、きちんと終わらせないと、視聴者はなっとくしない。
そのため、ダイジェストとともに補足が字幕や言葉が丁寧に入る。
もはやどんな大作も、ものの数分で終わる。
視聴者は、ざっくりと内容を理解し、数分のうちに「物語」を堪能する。
こんなもので楽しめるのかって?
そこはしっかりとしている。面白くなければ結局のところ、見ようとは思わない。
視聴するとともに意図された感情が湧くように、デジタルビューが網膜から刺激を与え、感情を揺さぶってくれるのだ。
だから、泣ける超大作を見て、泣けなかった、ということもない。
きちんと、期待に見合った感情を想起させ、泣かせてくれるのだ。
過去には2時間使って、「つまらなかった」という感想を抱くこともあったそうだが、いまの仕組みからしたら地獄でしかないだろう。
どんな作品もキチンと楽しませてくれる。
そう作られ、そう、感じさせてくれるのだ。
最近はもはや、映画を見ずにその感情体験だけを起こしてくれるエンターテインメントも登場し始めている。
きっと今後はそれが主流になる。
極力、時間をかけずに、楽しめるのだ。これ以上コスパのいい娯楽はないだろう。