kaggleは楽しい。
未経験からデータサイエンスの世界に
飛び込んだ。
そしてもうすぐ、1年になる。
去年は、
ほとんどの事が、考えても出来なかった。
いまは、
だいたいの事が、考えたら出来る。
に変わった。
この場合の「だいたい」というのは
データサイエンスの様々な領域で見ると
全体の3割くらいだと思う。
けど、自分にとって「だいたい」と言えるほど
データサイエンスでの3割は大きかった。
図書館で借りた本を除いて、
これだけの本から知識を得てきた。
初歩的なものばかりだが、
この本達が安心と自信を与えてくれている
本屋は楽しい。
昔から本を読まないくせに、本屋が好きだった。
雰囲気か、何なのか、それはわからない。
本を読むようになった今でも、
本屋は楽しい。
一つ変わったことは、真っ先にデータサイエンスの売り場に向かうようになった。
正直、今でもよくわからない本が多いけど、
そこへ向かうようになったのは小さな変化だと思う。
本よりも自分を変えた存在がいた。
同じ職場で、年は1つだけ上の先輩だった。
その人は、口癖のように言っていた。
「分析がしたい」と。
自分で考えた方法で、分析をして
予想もしていなかったことが分かると
「これ、めっちゃ意外じゃない?」とその人は言った。
「キラキラした目で、、」という表現は
まさにこういう時に生まれたんだと思った。
それくらい、データを用いた「分析」を楽しんでいる人だった
考え方、スキル、知識。
1番近くでその人を観察した。
そして
誰かのようになりたいと
これほど思ったのは初めてだった。
その人みたいになりたくて、
その人に追いつきたくて、
その人に負けたくなくて、
人が変わったかのように勉強した。
有休を使って、カフェで勉強したのは初めてのことだった。
自分のアイデンティティ、ベスト3の一つが、
負けず嫌いなことだと思っている。
そのおかげで、高校サッカーでは国立にも立てた。
自分でも、自分は頑張っていると感じている時に
その人は言った。
「1日で1回もPC触らなかったら(勉強しなかったら)、ギルティを感じる」
実は彼はアメリカ人だ。
たまにそういう表現をする。
いや、そんなことはどうでも良い。
「ギルティを感じる」
その人は、長野へ旅行するときもPCを持っていき、分析を学ぶらしい。
やらないと、それは彼にとってギルティらしい。
「あぁ、この人には追いつけないかもしれない」
自慢の負けず嫌いでもそう感じるほど、
その人は大きく見えた。
そんなギルティさんが熱中していたことがある。
kaggleだ。
kaggleとは、ざっくり言うと、
一般企業や、その他様々な提供者が多種多様なデータを公開し、それを好きに分析して良いよ。というデータサイエンティストたちのプラットフォームだ。
分析大好き人間からすると、
子供にとってのトイザらスのような環境だと思う
しかもそれが無料で提供されている。
「kaggleは楽しいよ」
その言葉と、追いつきたい一心で、
kaggleの世界へ飛び込んだ。
勢いのままコードを書き綴ったが、
完全に知識不足のため、とてもじゃないが
楽しいとは思えなかった。
難しいことが、
考えても分からないことが、
波のように押し寄せてきて、
全速力だったスピードが、
気づけばジョギングくらいの速度になっていて、ついには足を止めてしまっていた。
朝起きても、PCではなく、
ただただ外を散歩をする時間が増えた。
そんな時、こんな言葉に出会った。
「勉強って、RPGのレベル上げみたいなんです」
ゲームみたいに、今はどの数値を上げるためにプレイしようかと考えたり、徐々に徐々に、キャラを育てるように自分を育てる。
「まるでRPGのようだ」という
なんだか使い古されたような表現に思えたけど、いまの自分には、グサリと突き刺さるモノがある言葉だった。
自分は今、RPGの中にいる。
そう思えてからは、
自然とやる気が満ちてきてた。
コツコツコツコツ、
1日ひとつでも
わからないことが、わかるに
変わるように
前へ進んでいる。
楽しくなかったkaggleだけど、
少しずつ分かる過程は、悪くない。
なりたい自分にむかって、
追いつきたい人にむかって
今日も明日も、kaggleを触ろうと思う。
そして、いつか追いつけるようにと思って、
あえて言うようにしている、kaggleが楽しいと。
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