親子関係

両親が仲が良く、弟は優秀だった。
私には
すごく葛藤がある家庭環境であった。

ちなみに今両親のことが大好きで
弟と兄弟でほんとによかったと思う。
私の考える
幸せに欠かせないと思うのは最終的に
やはり親を愛することだと感じる。
両親に愛されることよりも
両親を愛することのが大事に感じている。

両親も人間だと理解し、
おこがましいけど
両親の未熟さを受け入れ許していく。
状況によっては難しい人もいると思う。

許せとか好きになれなんて
言えないこともある。そもそも人にこうすべきとか言いたくない。

ただ、
たまに今も他人から聞くことがあるのだが
親がこうだから、今自分は
不遇でこうなんだという生い立ちのせいでの
話に、時々疑問がわく。
親のせいで幸せになれないなんて
もったいない。人生の目的は
誰かのせいにしたり、誰かを恨むことではない。人生はなにがあっても
結果、恨みを超えたところ
楽しみ、幸せを感じることがなにより1番だ。
傷を話して楽になるなら話してほしいけど、その位置で止まっているのだけなことに
たまに腹立つことがある。
私も試してみたけど、生い立ちのせいで
今不幸だの話をしすぎると、、
同情してくれたとしても
最初だけで
ひとつも得はなかった。
人のせいで幸せじゃないって話す人の
話をいつまでも聞いてられないのは無理もないし、だから今のあなたは
どうするんだよ?
ってとこしか興味がわかないのも当たり前だと今なら思う。

特に40を超えて生い立ちに縛られすぎた話は

解決とはなくとも
多少の自己消化するまでの
膨大な時間があったろうに
もったいなさすぎる。ただ
私が痛みを忘れてしまい
人の気持ちがわからないようになって
イラつくのかもしれない。。

親以外でも
誰かに嫌なことされたとき
どうしてそうしたか?
相手から本心を聞くと、
大抵、相手に
傷があり拗らせていたりする
相手がなぜそうしたか
会話すると、その行為を
好きにはならなくても大まかには
許せることばかりだ。
親も同じだと思う。

自分の幸せのために
親を愛そうとする気持ちだけは
持っていたいと思う。

私はとにかく小さなときから
父が怖かった。ある日中学生で書道が
うまくできず叱られただけで
恐怖で泡を吹いて失神し、
倒れていたことがある。
勉強ができないやつは
生きてる価値がないと言われる食卓だった。
またピアノ練習中
怠けたら殴られ、前歯が三本折れてしまっていた。周りは血の海だった。
県庁所在地が言えず、徹夜させられ
小学校なのに寝不足だった。
おかげて今県庁所在地が言える。
大学までいくこと。など全て管理されていた。

たまたま小学校のときは
虐待に近い感じの家であり
学校でも、先生に嫌われていたのだろう、
私の悪いところを
全員で言う学級会が開かれ黒板に
私の欠点を書いていくなんてやつを
開かれていたりしていて、誰とも話せなかったり、同じマンションの男の子がうちに
侵入して、よく身体を触られていた。

重なりすぎていたのか
自宅で扇風機が回るのを
見ていて、あー早く来世がこないかなぁと
自殺願望をはっきり感じたことを
思い出す。

ただそんな苦しみをほとんど
誰かに話すことがなく、
私自身も悩みだと自覚していなかった。
すごく明るい娘として
生きていた。

ほんとは私は頑張らないでも愛されていると
思いたかった。
殴られたくなかった。
自由でいたかった。
無邪気でいたかった
母にも父を止めて欲しかった。
母の見て見ぬふりが辛かった。

そーゆー思いをなかったことにして
私の人生なんて順調なんだろうと
いうバカっぽい明るさで生きていた。

そうしたら
京急で失恋がきっかけで
壊れたのだと思う。

傷に蓋をしすぎて
パンクしてしまい、
普通の生活ができなくなってしまったように感じる。

それから冒頭に書いたように

幸せになるためには
何年かかっても、

親との関係を見直すことが
大事な気がした。

いつか死ぬまでに
親を愛せたらいいなぁって
思っていた。できなくても
その気持ちは持っていたいと
なぜか感じていた。


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