私の念仏のツマヅキ
南無阿弥陀仏
往生之業 念仏為本
法然聖人の「選択本願念仏集」の冒頭の言葉である。
「往生之業 念仏為本」とは、簡単に言えば、浄土往生する業行は念仏が根本であるということ。
法然聖人と出遭った私は、その時から念仏を唱えはじめた。
朝起きて、夜寝るまで、気づいたら念仏を唱えた。
当時の私を見た人は、私のことを変人と思っただろう。
そんな生活もしばらくして、私の心にツマヅキが生じた。
念仏が私を救う業であることは分かった。
ただ、私は救われたとは、心から思えなかった。
頭ではわかる、ただその実感がなかった。
ここでまた私は迷ってしまった。
念仏とは何なのか。本当に私の救いはあるのか。
そうやって悩んでいる時に、また新しい出遭いがあった。
浄土真宗との出遭いである。