幸田露伴・明治の東京で「雪前雪後」
雪前雪後
雨も好し、露も好し、霰も霙も空から降るものに面白くないものは無い、その中でも雪は特にめでたい。降ろうとして未だ降らずに灰色の雲が大空を蔽って、風の無い寒さに雀が膨らむ程度ならともかく、ソッと吹き下ろす風に連れてチラチラと降り出す始めから、軒の玉水が日に耀いて光長閑(のどか)に溶け尽くす終わりまで、何れも常にはない趣きがある。先ず冬の雪は、粉のように球(まり)のように笹の葉に冴えた音を立てて、樫の葉に堅い音を立てて、板庇に強く跳ね返りなどしてサラサラと降っている。見ても興趣あり聞いても面白い。又、春の雪が大きく軽やかに降って、落ちるとやがて水の昔に還る淡々(あわあわ)とした姿も好い。消えても消えても少しは積り、茅葺の屋根に鹿の子斑(かのこまだら)の夏の富士を見せ、松や栂や樅などの梢の雪が今にも落ちそうなのも趣きがある。しかし、降る雪を見て美しいのは、冬の末から春の初めの頃の暖かくはなって来たが未だ寒さ厳しい時である。寒さ甚だしくなく雪細かく無く、暖かさも今少しなので、雪は水気無く、姿好く、且つ大きく、且つ軽やかに、しかも一年の中で最も降る時節なので、その霏霏紛々と盛んに降る様子は、桜の花が春の空に翻るようで、蘆の穂綿が秋風に漂うようで、川の渡し場は対岸も霞んで見えず仙境の縹緲を想わせ、街では家々を美しく包んで常よりも高く見せ、鶴や鷺の羽毛が乱れ飛び舞い落ちるような景色は、見る眼もあやに美しい限りだ。総て降る時の眺めは広い所より狭い所が好い。雪は大層美しく清いことは清いが、もともと色を奪い光を遮るものなので、降りしきる最中は遠くは全く見えず却って狭くなり、近くは聊(いささ)か霞んで狭いところも却って広くなり、大川よりは山間の渓谷、広野よりは市中の庭園が好い。晴れた後こそ雪は見事である。塵を払い尽くした鏡のような一点の曇りもない空の青々と朗らかな下に、汚れ滓を拭い去った銀のように曇りなく地面は白く輝いて、見る目にも映えて遥かに開けている、常の日はただ裾寒い風が枯草を吹くだけの取り柄のない広野も今日は面白く思える。馬でさえ眺めると云う朝の日の光の大層華やかな中に、疎林に鳥は起ってまた還る。有りふれた郊外の様子だがこれも好い。西の京都は金閣・銀閣・真如堂・岡崎・東山・清水、皆画になる、栂尾・槙尾は見ていないので知らないのが口惜しい。木曽の寝覚めの床の巌は斧で削ったように千古冷ややかに峙(そばだ)ち、潭(ふち)は鮮やかに藍色を湛え、流れ出る水は雪の日に凍る寂しさに、緑に繁る梢も重く、雪の簪(カンザシ)を頂いた松の群れ立つ辺り、名も知らない鳥が姿も見せずに飢えて鳴くなどは、今も胸に鮮やかな二十年も前のことである。東の東京は、御堀の水おだやかに、浮き寝の鳥の夢も平和に、雪に閑とした街の昼もまた比(たぐい)無くめでたい。山王台は今も好いが、溜池の有った昔がいたずらに懐かしい、不忍の池の一望千頃(いちぼうせんけい)の景色は云うまでも無く、ささやかな石橋を渡って池中の弁天堂に行こうとすると、風に破れた蓮葉の残茎に少しの雪の白を見る、これも捨てがたい風情である。暮れてなお暮れ難い雪の闇夜に、何を云うのか鴨のさざめくのが聞こえる、水に色無く声に白ありと云うべきか、隅田川では待乳山を望む景色も好い、山に見晴らし台があって、台から眺める景色も好い。墨田の流れは碧く四方(あたり)は白く、実に武蔵野を分けて流れる川だと称えたい、籾蔵の稲荷や首尾の松の辺りも趣きが無くはないが、景色は次第に衰えようとする。相生橋の橋の長さや中島の小ささは取り立てて云うこともないが、南に涯(はて)し無い海を透かして鴎も雪に曇る渺茫とした景色を背景に、欄干の玉は連なり、樹立(こだち)には鷺が宿る。この風景は一幅の画のようで、欣(よろこ)ばしく、めでたい。此処こそ今の東京の雪の見所としたい。
(明治四十三年二月)
注釈
◦鹿の子斑の夏の富士:鹿の白い斑点のように雪の残る富士