幸田露伴の小説「五重塔1~5」
五重塔
その一
木目(もくめ)美しい槻(けやき)の胴、縁(ふち)にはわざと赤(あか)樫(かし)を使った頑丈造りの長火鉢にむかって、話し相手も無く、唯一人少し淋しそうに座って居る三十前後の女、男のような立派な眉をいつ剃ったのか、痕も青々と見る眼も覚める雨後の山の色をとどめて、翠(みどり)の匂い一層ゆかしく、鼻筋ツンと通り眼尻キリリと上り、洗い髪をグルッと粗く丸めて引裂紙(ひっさきがみ)で髪元を結び、簪(かんざし)一本でグイと留めて、色気は無いが黒く艶ある髪の毛が、一ト筋二タ筋乱れて垂れて、浅黒い垢ぬけした顔にかかった趣きは、年増(としま)嫌いでも褒めたいような風体(ふうてい)、我が妻ならば着せてやりたい好みもあるのにと、好色漢が頼まれもしない余計な噂を蔭でするのをさっぱりと、見栄を捨てた堅義自慢の身のつくり方、柄(がら)の選びは野暮ではないが、粗末な二子(ふたこ)の綿入れに繻子(しゅす)襟(えり)かけたのを着て、どこにも紅(べに)くさいところもなく、引っ掛けたねんねこ半纏だけは往時(むかし)は何であったか、粗い縞の糸織りだが、これさえ何度も水を潜(くぐ)って来た物だろう。
今は台所で婢(おさん)の器物(もの)を洗う音がするだけで、家内(やうち)静かに他に人のいる様子もなく、何となく徒(いたずら)に舌先で爪楊枝を躍らせていた女、それをプッツリと噛み切ってプイと吹き飛ばし、火鉢の灰を掻きならして炭火を体裁(てい)よく埋めて、芋籠から小布(こぎれ)を取り出して、銀のように光る長五徳(ながごとく)を磨き落としを拭いて、銅(どう)壺(こ)の蓋まできれいにして、サテ南部(なんぶ)霰地(あられ)の大鉄瓶をきちんとかけた後に、大山詣りのついでに箱根へ寄って来た者が、姉御(あねご)へお土産とくれた寄木細工の小奇麗な煙草箱(たばこばこ)を、右手に持った鼈甲管(べっこうらお)の煙管(きせる)で引き寄せて長閑(のどか)に一服吸い、線香のけむるようにユックリと煙りを吐き出して、思わずしらず溜息ついて、「多分、良人(うちのひと)の手に入るだろうが憎いのっそり奴(め)が相手に立って、去年使ってやった恩も忘れ、上人様に胡麻(ごま)を摺り込んで、今度の仕事をやりたいと強引に身のほども知らずに願い出たとやら、清(せい)吉(きち)の話では上人様に依怙贔屓(えこひいき)のお心があっても、名も知れないのっそりに大切な仕事を任せるのは、檀家方の手前も寄進者方の手前も難しいでしょうから、大丈夫此方(こちら)へ命じられるに決まっている、万一またのっそりに命じられても、彼奴(あいつ)に出来る仕事ではなく、彼奴の下で働く者もいないだろうから、出来損なうのは眼に見えているというが、早く良人がいよいよ御用を命じられたと笑顔で帰って来ればよいが、滅多に無い仕事だけに是非してみたい引き受けてみたい、欲も得もどうでもよい、谷中感応寺の五重塔は川越の源太が作りおった、アア、好く出来た、感心したと云われて見たいと面白がって、何時になく仕事に乗り気になっておられるのに、モシこの仕事を他人(ひと)にとられたら、どのように腹を立てられるか肝(かん)癪(しゃく)を起されるか分からない、それも尤もであって見れば、傍(わき)から私(あたし)の慰めようも無いわけ、アア、何にせよ目出度く早く帰って来られれば好いが」と、口には出さないが女房気質(かたぎ)、今朝背後(うしろ)から自分の縫った羽織りを着せて、送り出した夫のことを気遣うところへ、表の骨太(ほねぶと)格子(こうし)を手荒く開けて、「姉御(あねご)、兄貴は、なに感応寺へ、仕方がない、それでは姉御に、すみませんがお頼み申します、つい昨晩(ゆんべ)酔いまして」と、後は云わず変な手つきをして話せば、眉根に皺(しわ)をよせて笑いながら、「仕方ないも無い、少しは締まるがよい」と云い云い立って幾(いく)干(らか)の金を渡せば、それを持って門口に出て何やらクドクドと押問答をした末に、こちらに来て拳骨(げんこ)で額をおさえて、「どうもすみませんでした、ありがとうござりまする」と、ぎこちなく礼をしたのも可笑しい。
注解
・火鉢:木製・陶器製・金属製の容器の中に灰を敷き詰めて、その上で炭火を焚いて暖をとったり湯を沸かしたりする家具。ここではそれが欅の木で出来ていて縁には茶碗などが置けるように赤樫の板が廻らしてある。
・長五徳:炭火の上で湯を沸かすための鉄瓶を受ける四本足の台。
・おとし:木製火鉢の中に在る銅板等で作られた灰入れ。
・銅壺:木製火鉢の中に在る湯沸かし道具。
・眉:江戸時代、既婚女性は眉を剃ることになっていた。
・髪型:洗い髪の根元を長い紙切れで結んで、髪をクルクル丸めてそこに簪を一本挿して留めた髪型。
・二子の綿入れ繻子襟かけて:二子糸(二本の単糸を縒り合わせて一本にした糸)で織った綿布の表布と裏布の間に綿を入れた着物で衿に繻子(サテン)をつかっている。・
・ねんねこ半纏:赤子を背負う時に羽織る半纏、子守半纏とも云う。
・婢:下女(女中)のこと。俗におさんと云っていた。
・大山詣り:当時は講中(信者仲間)を作って神奈川の大山阿夫利神社の奥の院に祀られた石尊大権現への参詣が流行した。そのついでに箱根に足を伸ばして箱根細工の煙草箱を買って来たものか。
・煙管:刻み煙草を喫煙する器具。煙草口と吸い口の間を竹などの管でつないであるが、ここではその管が鼈甲でできている。
・クドクドと押問答:当時は浅草の吉原に遊郭があって、遊女遊びなどをする者がいた。この清吉も吉原で遊んだが金が不足で支払いができなくて、店の者を同道して親方の家に来て清算したのであろう。
その二
「火は他(ほか)には無いからこちらへ来るがよい」と云いながら、重たげに鉄瓶を取りおろして、目下の者にも如才なく愛嬌を汲んで与える桜湯一杯、心に花ある待遇(あしらい)は口に言葉の棘(とげ)多いよりは嬉しく、悪い頼みをスラリと聴いてくれた上、胸にわだかまり無くサッパリと平常(つね)のようにされて、清吉は却って心恥ずかしく、どうも魂魄(たましい)の底の方がムズ痒いようで、茶碗を取る手もオズオズして進みかねるばかり、「すみません」と云うお辞誼を二度ほど繰り返した後で、ようやく乾き切った舌をうるおす間も無く、「今頃の帰りとは随分可愛がられ過ぎたねエ、ホホ、遊ぶのはよいが仕事を休んで母親(おふくろ)に心配させるようじゃ男振りが悪いじゃアないか清吉、お前はこの頃仲町(なかちょう)の甲州屋様の御本宅の仕事が済むと直ぐに根岸の御別荘のお茶席の方へ廻らせているではないか、良人(うちの)も遊ぶのが随分好きでお前達の先に立って騒ぐのは毎度のことだが、仕事をおろそかにするのは大の嫌い、今モシお前の顔でも見たら、また例の青筋を立てるにきまっているのを、知らないお前でもあるまいに、サア少し遅くはなったけれど、母親(おふくろ)の持病が起ったとか理由はどうともつくだろう、早く根岸へ行くがよい、五三(ござ)様も分かった人だから、一日を怠けずに働いたことに免じて、見すかしていたとしても旦那の前は庇ってくれるだろう、オオ朝飯はまだらしい、婢(おさん)や何でもよいからお膳をそちらへこしらえな、湯豆腐に蛤(はま)鍋(なべ)とは行かないが、新漬けに煮豆でかまわないから、二三杯かっこんで直ぐ仕事に行きな、ホホ睡くても昨夜を思えば我慢できように、精を出しな、辛防しな、いいからいいから、弁当は松に持たせてやるよ」と、苦(にが)くはないが効き目のある薬の行き届いた意見に、汗を出して身の不始末を恥じる正直者の清吉。
「姉御、では御厄介になって直ぐに仕事に突っ走ります」と、わしづかみにした手拭で、額を拭き拭き台所の方に立ったかと思えば、もう早くもザラザラッと口の中へ打ち込む茶漬五六杯、食って出て来て、「さよなら行ってまいります」と、肩と一緒に頭をツイと一ツ下げて煙管を収め、壺屋の煙草入れに三尺帯、さすがは気早(きばや)の江戸ッ子気質、草履を突っかけ門口を出る、途端に今まで黙っていた女が急に呼びとめて、「この二三日のっそり奴(め)に逢ったか」と火打ち石から火を飛ばすように、声をはしらせて問いかければ、清吉は振り向いて、「逢いました、逢いました、しかも昨日は御殿坂で例ののっそりが一層ノッソリと、死に損ないの鶏のように、グッタリと首を垂れながら歩いているのを見かけましたが、今度は此方(こちら)の棟梁に対抗して、のっそりの癖に望みをかけやがって、大丈夫だろうが幾らかは棟梁にも姉御にも心配させる、その面(つら)が憎くって憎くって堪らなくって、ヤイのっそり奴(め)と頭から毒気を浴びせてくれたのに、彼奴(あいつ)のことだ気がつかない、ヤイのっそりめ、のっそりめと、三度目には傍へ行って大声で怒鳴ってやれば、ようやくビックリしてフクロウに似た眼で俺の顔を見て、アア、清吉あーにーいかと寝とぼけ声の挨拶、ヤイ、貴様もずいぶん好い男になったなア、夢で紺屋(こんや)の干場(ほしば)へ上ったものか大層高いものを立てたがりやがって、感応寺の和尚様に胡麻(ごま)をすり込むという話しだが、それは正気の沙汰か寝ぼけてかと、ひやかしを真っ向からやったところ、ハハハ姉御、うすのろい奴というものは正直じゃアありませんか、何と返事をするかと思えば、私(わっし)もずいぶん骨を折って胡麻をすっているが、源太親方が相手なのでどうも胡麻がすりづらくて困る、親方がのっそり貴様やって見ろと譲ってくれれば好いけれどもとの馬鹿に虫の好い答え、ハハハ思い出しても、心配そうに大真面目くさく云ったその面(つら)が可笑しくって堪りません、あんまり可笑しいので憎気も無くなり、ベラボウメと云い捨てて別れましたが」、「それっきりか」、「へい」、「そうかい、サア遅くなる、構わないで行くがよい」、「さようなら」と、清吉は自分の仕事に出掛けて行く。後は一人で物思い。外では無心な子供たちが独楽(こま)当て遊びに声もかしましく、「一人殺しだ、二人殺しだ、ざまを見ろ、仇をとったぞ」と喚き散らす。思えばこれも順繰り競争の世の状(さま)である。
注解
・壺屋の煙草入:当時使われた壺屋制作の煙草入れ、それを三尺帯で締めた腰の横に挿んで。
・紺屋の干場:当時、紺屋(染物屋)の物干し場は風通しの良い高い場所に作られてあった。山本松谷・画「東 神田染物師の物干場に高く手拭染めを晒すの図」(明治33年)には一階の屋根上に高い足場を組んで三階相当の高さに大量の布を干す様子が描かれている。従って、物干場は二階の屋根より逢かに高い位置にあったようだ。
その三
「世に富み栄える人たちは、初霜月の更衣(ころもがえ)にも何の苦労も無く、紬(つむぎ)も糸織りも自分の好きなものを着て、寒さに向う貧者の心配も知らないで、ヤレ炉開きだ、ヤレ口切りだ、ソレ間に合うよう急いで茶室を仕上げろ、待合いの庇を修繕しろ、夜半(よわ)の村(むら)時雨(しぐれ)も一服やりながらで無くては窓打つ音も面白くは聞けない、と贅沢を云って、木枯らしすさまじく鐘の音も凍るようなつらい冬を、愉快なもののように心得ておられるけれど、その茶室の床板削りの鉋(かんな)を研ぐ手は冷えわたり、その庇の大和掻き結いで吹き曝されて、疝気(せんき)を起すこともある職人風情は、どれほどの悪業を前世にして来て、同じ季節に他(ひと)とは違って苦しみ悩まされるものなのか、とりわけ職人仲間の中でも世渡りに疎(うと)い人の好い吾夫(うちのひと)、腕は源太親方にさえ去年いろいろ世話してくだされた折に、立派なものだと賞められたほど確かだが、鷹揚な気質のために仕事も取りはぐれがち、好い仕事はいつも他人(ひと)に奪われて、年中嬉しくもない生活(くらし)に月日を送る味気なさ、膝頭の破れを辛くも綴(つづ)った股引(ももひき)ばかりを夫に穿かせ、妻の身として他(よ)人目(そめ)にも恥しいが、なにもかも貧乏がさせる不自由に仕方なく、今縫う猪之(いの)の綿入れも洗いさらした松坂縞、丹誠込めて着させても着させ栄えしないだけでなく、見っともないほど針目勝ち、それを先刻(さっき)は物事知らない幼心と云いながら、母さんソレは誰のだ、小さいから俺の衣服(べべ)か嬉しいなと悦んで、そのまま外へ駆け出して、珍しく暖かい天気に浮かされて、小竿を持って空に飛び交う赤トンボを叩いて獲ろうと、どこの町まで行ったやら、アア、考えると裁縫仕事も厭になってくる、せめて伎倆(うで)の半分も吾夫(うちのひと)の気が働いてくれたなら、コウも貧乏にはならないものを、技はあっても宝の持ち腐れの喩えのとおり、何時その手腕(うで)が顕われて人の眼に止まるという当ても無い。叩き大工、穴掘り大工、のっそりと云う忌々しい渾名(あだな)さえ付けられて、仲間内で軽蔑される歯痒さ恨めしさ、蔭でヤキモキと私が思うのに平気なのが憎らしい程だが、今度はまたどうした事か、感応寺に五重塔が建つという事を聞くやいなや、急にムラムラとその仕事を是非共する気になって、恩ある親方様が望まれるのも構わないで、欲深くもこのような身分で引き受けようと思うのは少し偉すぎると、連れ添う私でさえ思うものを、他人は何んと噂するだろう、まして親方様はさぞかし憎いのっそりめと怒っていらっしゃることだろう、お吉様はなおさら義理を知らない奴と恨んでいらっしゃることだろう、今日は大方、どちらに任すかを上人様がおきめなさるハズと今朝出て行かれたが、未だ帰って来られない、どうか今度の仕事だけはと吾夫(うちのひと)は望んでおられるが、こちらには分(ぶん)が過ぎるし親方様には義理もあり、親方様の方に上人様が任されればよいと思うような気もするし、また親方様が太っ腹であって別段怒りもなさらないのであれば、吾夫にさせて見事成就させたいような気もする、エエッ気がもめる、どうなる事か、とうてい吾夫にはお任せなさらないだろうが、モシもいよいよ吾夫がする事になったら、どんなにマア、親方様やお吉様が腹を立てられるか知れない、アア、心配で頭が痛む、またこれを知ったら女のいらない無駄な心配、それだからいつも身体が弱いと、優しくて無理な叱言を受けるだろう、モウ止めよう止めよう、アア、痛」と、薄痘痕(うすあばた)の蒼い顔をしかめながら、即効紙(そっこうかみ)の貼ってある左右の顳顬(こめかみ)を、縫い物をすてて両手で押さえる女の年は二十五六、目鼻立ちは醜くないが、旨いものを食わないので脂っ気少なく肌の荒れたさまも憐れな、粗末な着物にそそけ髪のますます悲しい風情でつくづくひとり歎く時、台所の仕切りの破れ障子をガラリと開けて、「母(かあ)さんこれを見てくれ」と猪之が云うのにビックリして、「お前はいつからそこに居た、」と云いながら見れば、四分板や六分板の切れ端を積んで現(あり)然(あり)と真似て建てた五重塔、思わず母は涙になって、「オオ好い子だ」と声曇らせて、いきなり猪之に抱きついた。
注解
・初霜月の更衣:旧暦の十月の衣替えの時期。
・紬も糸織りも:紬とは紬糸(繭糸に撚りをかけて丈夫にした糸)で織られた絹織物、結城紬などがある。糸織りは絹糸を使用した練織物、米沢織などがある。
・村時雨:晩秋から初冬にかけて、ひとしきり降ってはやみ、やんでは降る小雨。
・大和掻き結い:茶室の下地窓(壁土を塗り残して壁芯の竹をむき出しにした窓)に蔦などを結わえ付ける作業。
・疝癪:胸や腹を襲う痛み、疝気と癪。
・松坂縞:三重の松坂辺で作られた丈夫で細かい綿織物。
・針目勝ち:継ぎ接(は)ぎが多い。
・薄痘痕:疱瘡が治った後に残る薄っすらしたもの。
・即効紙:薬を塗った紙。片頭痛などの時にこめかみに貼った。
・そそけ髪:ほつれて乱れた髪。
その四
当時名代の大工川越の源太が請(う)け負って建てた谷中感応寺、どこに一ツの難点の有るハズも無く、五十畳敷の格(ごう)天井(てんじょう)の本堂、橋のような長い廻廊、幾ツかの客殿、大和尚の居間、茶室、修行僧の居室、庫裡(くり)、浴室、玄関まで、或いは荘厳を尽し、或いは堅固を極め、或いは清らかに、或いは寂びて、おのおのその宜しきに適(かな)い、規模は小さいが申し分ない。ソモソモ廃(すた)れた古寺を興してこれほどの大寺にしたのは誰か。法名を聞けばその頃の三才児も合掌礼拝するような、世に知られた宇陀(うだ)の朗(ろう)円(えん)上人(しょうにん)である、早くから身延の山に螢雪の苦学を積まれ、中年には六十余州に雲水の修行をかさね、毘婆舎那(びばしゃな)の三行に寂静(じゃくじょう)の慧(けい)剣(けん)を研ぎ、四種の悉(しつ)檀(たん)に済度(さいど)の法音を響かせられた七十過ぎの老和尚、骨は俗界の生臭い食物を避けられたので鶴のように痩せ、眼は人世のゴトゴタに厭きて半(なかば)睡っているようでいて、もとより壊(え)空(くう)の理を心得て欲望の炎を胸に揚げられることもなく、涅槃の真(まこと)を理解されて執着の色に心を染められることもないので、堂塔を興して伽藍を立てようと望まれた訳ではないが、徳を慕い風(ふう)を仰いで寄って来る学徒の大層多くて、それ等の者が雨露を凌ぐには古寺のままでは不便、今少し堂が広ければと独語(ひとりごと)されたのが根となって、道徳高い上人が新たに大規模な寺を建てると云われ玉うぞと、この事が八方に広まれば、中には弟子の利口な者が自ら奮って四方を馳せ巡って感応寺建立の寄附を勧めて歩くのもあり、働き顔に上人の高徳を述べ説き聞かせて富豪に勧めて喜捨をさせる信徒もあり、それでなくとも日頃から教えを喜び厚い信仰心を抱く信者がこのような雲霞(うんか)の勢で、上は諸侯から下は町人まで先を争って財を投じ、我(われ)が一番に福田(ふくでん)へ種子(しゅし)を投じて後の世を安楽にすると云い、富者は黄金白銀を貧者は百銅二百銅を身に応じて寄進したので、百川(ひゃくせん)が海に注ぐように瞬く間に金銭が驚かれるほど集ったが、それからは世事に長けた者が世話人となり用人となり、万事万端とり行ってやがて立派に成就したとは、聞くだけで小気味の好い話である。
であるのに、全て成就の暁に用人頭の為右衛門が普請に懸かった諸費用の一切を締めくくり、手抜かり無く決算したのに尚も大金が余った。サテこれをどうしようと、役僧の円道と共に髪のある頭と髪の無い頭を突き合わせて相談したが、別にコレと云う殊勝な考えも出ない、田地を買おうか畠を買おうか、田も畠も余るほどの寄進があれば、今更この浄財をそのような事に費やすことも無いと、考えあぐねて、面倒だ好きに計らえと皺かれたお声で云われるのは分かっているが、恐る恐る円道が或る時、「思われる御用途でも」と伺ったところ、「塔を建てよ」とただ一言云われた限(き)り振り向きもされず、鼈甲(べっこう)縁(ぶち)の大きな眼鏡の中から微かに眼の光りを放たれて、何の経だか論だかを黙々と読み続けられておられたが、いよいよ塔を建てることに決まって、例の源太に見積もりを出せと円道が云い付けたのを、知ってか知らずか「上人様にお目通り願いたい」と、のっそりが来たのは今から二タ月ほど前であった。
注解
・格天井:お寺の天井などに見る格子組の天井。
・庫裡:寺の台所。
・宇陀:奈良県北部地方。
・雲水の修行:僧形で諸国を歩き廻ってする修業。
・毘婆舎那:梵語ヴィパシャナーの音写。観・妙観・正見と漢訳する。止(禅定)と並べて止観といわれる。禅定によって得られる静かな心で対象をありのままに正しく観察すること。
・三行:三種の観法。
・寂静:煩悩や苦の無い悟りの状態。
・慧剣:煩悩を断ち切る智慧の力。
・四種の悉檀:衆生が仏道を成就するための四種の方法。
・済度の法音:煩悩に苦しんでいる人を救い悟りの境地に導く読経や説法の声。
・壊空の理:この世のものは全て仮のもので、何時かは消滅する実態のないものであるいう仏道の教え。
・涅槃の真:悟りの境地の実際に有るということ。
・福田:福徳の田。
・役僧:寺の事務方の僧。
・見積もり:見積書。
その五
紺とは云うが、汗に褪(さ)めて風に化(かわ)って変な色になった上に、幾度も洗い濯がれたために紺には見えない襟に、記(しる)した字さえボヤケた絆纏を着て、継ぎの当たった古股引(ふるももひき)を穿いた男が、髪は埃(ほこり)にまみれて白け、顔は日に焼けて品のない風采のなおさら品の無いのが、ウロウロと感応寺の大門を入りにかかるのを、門番が尖り声で「何者だ」と誰何(すいか)すれば、ビックリして暫(しばら)く眼を見張り、ようやく腰を屈めて馬鹿ていねいに、「大工の十兵衛と申しまする。ご普請につきましてお願いに出ました。」とオズオズ云う素振りが、何となく腑に落ちないが、大工と云うので、大方源太が弟子かなんぞを使いに寄越したものだろう推察して、「通れ」と一言横柄に許した。
十兵衛はこれに力を得て、四方を見廻しながら厳かな玄関前に立ち、「お頼み申す」と二三度云えば、鼠(ねずみ)衣(ごろも)に青(せい)黛頭(たいあたま)の可愛らしい小坊主が、「オオ」と答えて障子を引き開けたが、応接に慣れた者の眼(まなこ)素早く人を見て、敷台までも下りないで突立ちながら、「用事なら庫裡の方へ廻れ」と、情(つれ)無(な)く云い捨てて障子をピッシャリ、後はどこやらの樹で啼くヒヨドリの声ばかりして、音も無く響きも無い。「成程」とひとり言をしながら十兵衛が庫裡に廻ってまた案内を請えば、用人の為右衛門が勿体ぶった理屈顔をして出て来て、「見なれない棟梁殿、何所(いづく)より何の用事で見えられた」と、粗末な衣服(みなり)を早くも侮(あなど)る言葉づかい、十兵衞いっこう気にとめず、「私は大工の十兵衞と申す者、上人様にお眼にかかってお願いを致したい事があって参りました、どうぞお取次ぎ下されまし」と、頭を低くして頼み入ると、為右衛門はジロリと十兵衛の垢くさい頭から、白の鼻緒が鼠色になった草履を穿いた足先まで睨(ね)め下し、「駄目だ、駄目だ、上人様は俗用などにお関わりなされない、願いというのは何だか知らないが云って見ろ、用件によっては儂(わし)が取り計らってやる」と、サモサモ万事心得た用人ぶった才物ぶり。それを無頓着な男は不器用にも突き放して、「イエ、ありがとうはござりますけれど、上人様に直々(じきじき)で無くては申しても役に立ちません事、何卒(なにとぞ)ただただお取次を願いまする」と、こちらは心が一本気なので、先方の気に触る言葉とも思わずに押し返して云えば、為右衛門は腹の中で自分に頼まないのが憎くて怒りを含んで、「わけの解らない男だな、上人様はお前のような職人などに耳は貸されないと云うのに、取次いでも無駄だから儂が計ってやろうと甘くあしらえば、付け上がる云い分、もはやなにもかも聞いてやらない、帰れ、帰れ」と、小人(しょうじん)の常で語気たちまち荒くなり、取り付く暇なく云い捨てて立とうとするのに慌てた十兵衛、「ではござりましょうが」と半分も云う間もなく、「ウルサイ、ウルサイ、やかましい」と打ち消され、奥の方に入られてしまって、茫然と土間に突立ったまま、手中の螢に逃げられたような思いがしたが、仕方なく声を上げて再び案内を乞うと、人が居るのか居ないのか薄寒い大寺はしっそりとして、反響だけが我が耳に堕ちて来たが、咳声一ツ聞えない、玄関に廻って再び、頼むと云えば、先刻見た憎らしい小利口な小坊主が一寸顔を出して、「庫裡へ行けと教えたのに」とつぶやいて、早くも障子をピシャリ。
また庫裡に廻りまた玄関に行き、また玄関に行き庫裡に廻り、終には遠慮を忘れて本堂にまで響く大声を上げて、「頼む、頼む、お頼み申す」と叫べば、その声よりも大きい声を出して、「馬鹿め」と罵りながら為右衛門がヅカヅカと出て来て、「男共、この気違いを門外に引き出せ、騒々しいことを嫌われる上人様に知れたれば、儂等が此奴(こやつ)のために叱られるぞ」との指示、「心得ました」と先刻から男部屋にゴロゴロして居た寺男等が立ち向かって引き出そうとする。土間に座り込んで出されまいとする十兵衛。「ソレ手を取れ足を持ち上げろ」と、多勢が口々にののしり騒ぐところへ、庭の花を二枝三枝剪(き)りとって床の間の眺めにしようと、境内のあちらこちらを逍遥されていた朗円上人、木(もく)蘭(らん)色の無垢(むく)を着て左の手に女郎花(おみなえし)と桔梗、右の手に朱塗りの握り鋏を持たれたまま、図らずもここに来かかり玉う。
注解
・鼠衣:ねずみ色をした粗末な法衣。
・青黛頭:髪を剃った青頭。
・小人:小人物
・木蘭色の無垢:赤みのある灰黄色の布地で作られた柄の無い着物。
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