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幸田露伴の史伝「活死人王害風④」

 重陽が呂洞賓に遇った翌年、即ち正隆五年一月の夜、重陽はまた一道者に遇い共に月下で談論したところ、道者は云う、「吾は西北の大山の中に居る(西北の大山は終南山に当る)、そこには人が居て善く談論し、「陰符経」や「道徳経」の最も精通する所である。君は日頃からこの二経を好むと聞くが、試みに吾に随って往って、見聞きしてはどうか」と。重陽は心が動いたが躊躇して未だ決心出来ない。すると道者は忽ち柱杖(ちゅうじょう)を抛(なげう)って風に乗って去り、行方が知れない。重陽が驚いて辺りを探し求めたが杳(よう)として知れず、茫然自失の有様となる。これは「金蓮正宗記」に出ているところで、これも主観中のことか、それとも真実かは、時期も明らかでないので今これを詳しく知るのは難しい。
 同年の八月十六日、重陽が醴泉(れいせん・咸陽の西南の甚だ遠く無い所)を通り過ぎるとき再び道者に遇う、走り寄って道者に拝礼し、欣び迎えて酒館に入り共に飲む、ついでに道者の郷里を聞くと蒲坂県永楽鎮と云う。年齢を問うと二十二と云う。またその族姓を問うと黙して答えない。ついに筆と墨を求めて「秘語(ひご)」五篇を書いて重陽に読ませる。その一篇に云う、

驀(ばく)として秦地に遊び、
泛(はん)として長安に遊ぶ。
或いは 丹を市邑(しゆう)に貸し、
或いは 跡を山林に隠し、
因循 数歳、
観見(かんけん)す満目の蒼生 盡(ことごと)く是れ兇頑(きょうがん)の下鬼(かき)なるを。
今 吾が弟子(ていし)に逢う、
何ぞ 頓(とみ)に 俗海を抛(なげう)って 猛(はや)く浮囂(ふごう)を悟らざる。
好し 霞を碧嶠(へききょう)の前に餐(くら)い、
堪えん 気を松峰の下(もと)に煉るに。
造化を 斡旋し、
陰陽を反復し、
列宿を 九鼎(きゅうてい)の中に燦(さん)たらしめ、
萬花を 一壺の内に聚(あつ)めば、
千朝 功満ちて 名は仙都に掛かり、
三載 殷勤(いんぎん)にして 永く萬劫を鎮せん。
恐る 爾(なんじ)の来ること遅くして 身の泉下(せんか)に沈まんを。

その二の前半で云う、

莫(なか)れ 樽酒を将(もち)いて浮囂を恋い、
毎(つね)に鄽中(てんちゅう)に向(おい)て腰を繫がるるを作(な)す。
竜虎動く時 雪浪を抛(なげう)たば、
水声 澄む処 碧塵消えん。

 皆これ世を捨てて丹を煉ることを勧める語であり、且つ修道の方法を示すものである。造化を斡旋し陰陽を反復すると云い、列宿を九鼎の中に燦(さん)たらしめて萬花を一壺の内に聚(あつ)めると云い、竜虎動く時、水声澄む処と云うところなどは、紛れもなく丹家の秘事(煉丹術)である。重陽がこれを数度読んで正に妙理を悟ると、道者は戒めて云う、「天機(てんき・天から与えられたチャンス)は軽々しく漏らしてはならない」と。そして之を火中に投じて焼却させて、且つ云う、「悟ったら速やかに東海に行け、丘劉譚の中に一頭の俊馬がいる、よってこれを擒(とりこ)にせよ」と。云い終わって忽ち消える。
 道者は一体誰であろう。「正宗記」では蒲坂県永楽鎮に居ると云い、金源璹が撰した碑では濮の人と云う。そして共に年二十二と云うと記す。その人と云いその事と云い、解るようで解からない曖昧朦朧とした事で、強いてこれを論じても解らない者は永遠に解らない。しかし、解る者は論じなくとも既に(呂洞賓と)解っているであろう。
 ここに於いて重陽の道を修めようとする思いは愈々(いよいよ)募り、全く世事を顧みない。幼女を妻の実家に送りその生育と将来を託し、妻を棄てて出家して、自ら重陽子と名乗り、初めて真に道人となる。その翌年、即ち金の大定元年の重陽の年五十の時、即ち呂洞賓に遇って心機一転してから三年目、終南山の南時村と云う所に地を掘って土窟(どくつ)を作り、その中に安居して、ひっそりと世と絶縁する。一ツには資力が無くて屋根を葺いて室を構える力がない為であり、又一ツには一切を遮閉して、世俗との因縁を全て断絶したいと欲したのであろう。しかしながら真の目的はこの二ツだけではなかったであろう。思うに古(いにしえ)より、道を体得し、真を立証しようとする者は、大抵が皆一個独自の心、一個独自の身、一個独自の性命、一個独自の精霊を以て、直ちに宇宙に当り、厳しく古今に対峙しようとする。そのため、或いは土穴に潜み、或いは石窟に座し、或いは誰も行かない荊棘(けいきょく)の荒野に漂浪し、或いは鬼も住めない深山の険しい地で玄黙する。山に於ける釈迦も、野に於けるキリストも、洞窟に於けるマホメッドも、各々皆一個独自の純粋を以て、一心に時空に直面し、自らの由って来たところ、自らの去って往くところ、自らの此処に立つところを観、知というが未だ尽くされていない、情というが未だ真でない、意というが未だ十分でない渾然とした一体を以て、現実・非現実不明の境に入り、或いは人と環境と時とのゴチャ混じる地に出て、真(しん)に人我天地三世(じんがてんちさんぜ・自他・天地・過去現在未来)の源頭に立って、落処(らくしょ・落着のところ)を得ようとする。ここにおいて、食を断とうとしたのでは無いが自然に食も断え、坐を静めようとしたのでは無いが自(おの)ずと安坐し、目で見ることも耳で聞くことも忘れるようになった。これ即ち学問思弁や推量推測するのではなく無く、学問思弁や推量推測では到達できないところに到ろうとするのである。因縁和合や飲啄笑哭(いんたくしょうこく・日常生活)の辺りには無く、因縁和合や日常生活では達成できないところを達成しようとするのである。古(いにしえ)の道人にも才能に大小はあるが、皆ここにおいて、天地混沌とした陰陽未だ分かれる前の消息を探り、日月壊尽して金石灰塵する後の光景を探る。孔子は人生の聖人であるが、なお祈祷すると云う。祈祷とは何であろうか。荘子は山野の賢者であるが、なお心斎の説がある。心斎とは何であろうか。牛頭(ぎゅうとう)の懶融(らんゆう)は石室(いしむろ)で坐禅すること数年、五祖弘忍の点破するところとなったのは、世の禅を語る者たちの話題にするところであるが、志を持つ者が人を避けて岩窟に居るのは、独り懶融だけでなく勿論甚だ多いのである。重陽が土窟に在るのも不思議ではない。(⑤につづく)

注解
・陰符経:黄帝陰符経、道教の経典。
・道徳経:老子道徳経、中国・春秋時代の思想家老子が書いたと伝えられる書。単に「老子」・「道徳経」・「老子五千言」・「五千言」とも表記される。また、道教においては「道徳真経」とも云う。
・金蓮正宗記:前出。
・「秘語」五篇:醴泉で再遇した道人(呂洞賓)から授けられたという五篇の「秘語」のこと。
・丹家の秘事:丹術のこと。ここでは内丹の術か。
・因縁和合:因縁和合とは、物事が生じる直接の原因である「因」と、それを助ける間接の原因である「縁」が合わさって、結果が生まれ報となって現れることを意味する。
・飲啄笑哭:飲食泣き笑い。即ち日常生活。
・孔子の祈禱:天地の神に祈る。(論語・述而篇三十四)
・荘子の心斎の説:「荘子・人間世篇 」で顔回の問に答える形で孔子が云う心斎の説。心斎即ち心の斎(ものいみ)とは心を虚(むなし)くすることである、道は虚に集まるという説。
・牛頭の懶融・・・五祖の点破するところ:牛頭山で修業する懶融(法融)は中国禅四祖の道信から認可を受けたが、これを中国禅五祖の弘忍が中国禅の正統ではなく分派(牛頭宗・牛頭禅)であると暴露した。


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