見出し画像

幸田露伴の史伝「活死人王害風⑧」

 重陽が馬氏園中の全真庵に滞在するようになると、次第に仙気や道気が四方に香る。寧海の人に譚玉(たんぎょく)、字(あざな)を伯玉と云う者が在った。父は鏐鐐(りゅうりょう)の工人である。鏐鐐工は黄金や白銀を用いて物を造る、多くの工人は検量や出納の時に私腹を肥やすが、譚玉の父は正直善良で、人の称えるところであり、且つ情け深くて優しい。譚玉は幼くして利発、声音朗々、人はその平凡児で無いことを知る。六歳の時、遊んでいて誤って井戸に落ちる。人が急いで井戸に下りて之を救おうとすると、譚玉の落ち着いて水中に座っているのを見る。又、幼い時に家が火事に遭い、巨大な棟が寝台の前に落ちる。譚玉はまさに熟睡している。呼んで起こしたが少しも慌てるところがない。年十五にして詩を作る。詞旨は清警、その蒲萄篇は当時の人々に膾炙したと云われている。生長するにしたがい詩書を渉猟し、書を巧みにし、風貌・精神ともに飄逸、自ら淡泊を楽しむ。或る日、酔った道の途中で風雪に遇い、風痺(ふうひ・風邪が原因の関節痛による運動障害)の病(やまい)に罹(かか)る。そして歎いて云う、「吾が平生の行い、世に益すること無し、今また奇病に遇い廃人の身体になろうとする、天の助けはないものか、薬石は吾を治せないものか」と。朝夕北斗経を唱えて救いを求める。突然夢で大きな席が空に架かるのを見て、飛昇して之に近付こうとする。北斗星君(北斗神)が装束を正して坐っているのを見る。頭を下げ礼をして、恍然(こうぜん)として夢から覚める。それ以後は道を奉ずる心が篤くなり、重陽の馬氏園中における道法の卓越であることを聞くと、杖を突いて重陽を訪れ、風痺の病の癒されることを求める。重陽は戸を閉ざして入れない。玉は道理は自分にあると思い、自らを信じて退かない。終夕(しゅうせき)門を叩いてやめない。すると門が自然に開く、これは仙縁であると重陽が悦んで、玉を中に入れ、そして共に語る。談論機を得て、水魚交わる。夜が更ける。重陽は庵中に玉を泊める。外は雪が飛ぶ厳冬の時、庵中荒涼とする中、海藻を敷いて寝るが、寒くて眠れない。そこで重用は足を伸ばして玉に抱かせる。しばらくすると温熱で身体がぬくぬくし、汗が流れて身体を被い、蒸し器の中に居るような感じである。明け方になったので、重陽は盥(たらい)の余り水で玉に顔を洗わせる。これに従って玉が洗顔すると、風痺の病は大いに良くなる。ここに於いて大いに心服して重陽に仕える。居ること一月ばかりですっかり完治する。玉の妻の厳氏が庵にやって来て玉を連れて帰る。玉は一旦これに従って家に帰ったが、終(つい)に俗を棄てて道に入る。重陽は玉に、名は処端、字を通正、号を長真子と授けて、詩を贈って云う、

超出す 陰陽 造化の関、
一心 道に向かいて 回還する莫(なか)れ。
清虚 本(もと)是れ 真仙の路、
只(ただ)要す 安居養内の顔。

 修養数年の後に、重陽門下の四俊の一人譚長真と称えられるのが、即ちこの譚玉である。密国公の「譚真人仙跡碑銘」はその一生の行跡を記し尽す。長真の著わす詩詞「水雲集」一巻は長春の著わす「磻渓集」と共に今に伝わる。重陽門下の著述において、郝太古の著わす「太古集」は易理で勝り、長春の著わす「磻渓集」は詩藻で勝り、「水雲集」はそれに次ぐ。皆各々その風貌・精神に見るべきものがある。
 馬従義夫妻に道に向かう心が無いわけでは無いが、未だ急には従えない。重陽もまた之を強いることなく機の熟すのを待つ。十月初めに重陽は従義に改まって云う、「私は道に儒仏を取り入れて修める、お前は何で自ら決心しないのか、私はこれより庵を閉じて、斎居百日の行(ぎょう)に入りたい」と。従義はその言葉に従って小室を造る。重陽は内に籠って日に一食するのみ、冬は闌(たけなわ)、寒さ厳しく、風雪が四方から入るが、ただ筆と硯と机と席と布衣と草履だけがある中で、穏やかに和やかに神のような姿、寒谷(かんこく)に春が回(めぐ)り来たような様子である。時に窓の外に教えを乞い詩を求める者があれば、重陽はそれに応(こた)えて与え、綽々(しゃくしゃく)として余裕がある。ここに於いて従義も次第に重陽の道術の本物であることを思う。従義の居る場所は庵とは幾百歩も隔たり、また幾つもの街がその間に在る。従義は夜は自家の二階で寝る、門を閉ざして人を入れない。であるのに、時々重陽が突然入って来て、従義に対して親しく話しかけることがある。どこから入るのか知れない、去る時も追うことが出来ない。去った後で門を調べるが少しも出入りの形跡が無い。従義はその不思議に堪えず人を遣(や)って庵の中を見させると、重陽が厳然と黙坐しているのを見る。いよいよ従義は驚いて、重陽の道は通常の道ではなく、奥深い考えの及ばない所証(悟るところのもの)が有るように思う。
 重陽においては形(けい)と神(しん)との理(身体と精神・心との理論)を深く理解し、性(せい)と命(めい)との機(心性・精神と身体・寿命との関係)に精通する。まさにこのような事は不思議とするに足りない。しかしながら世の普通の人に在っては、誰が身の外に身が有り、神(しん)が外に出て神(しん)を現わすなどを思うであろうか。果たして重陽は神(しん)を外に現したものか、果たして従義はその形(けい)を見たものか。夢幻(ゆめまぼろし)のような話、今の人はすべてのような話を疑って、それは信仰の話だとし、夢の中の出来事だとする。それなので、有り得ない出鱈目な話だとして一笑に付して信じようとしない。しかしながら現在の「projection of the astral body(アストラル投射)」と云うものは即ち道家の「出神」であって、欧州人の考えに先立つこと数百年以前に、既に支那(中国)にその事がある。欧州人等の論議は実に後追いであり、珍しい事ではない。パリのCol.de Rochas (Colonel A. de Rochas?) やM.Hector DurvilleやDr.BaraducやパリのM.Charles Lancelin 等の話を聞くと、近頃の人は愕然として、精神と身体の事は我々平凡人の論じるようなものでは無いと思うようである。近頃の人の精神と身体との考えは、今だまだ浅いと云うべきである。重陽と従義のことはしばらく措くとしても、二千年も前に須菩提(しゅぼだい)は禅室において比丘尼等に先だって釈迦の成道出山を知り、頻婆娑羅(ひんばさら)が獄中に在って法悦を得たりしたようなことは何なのか。これもまた近頃の人の見解では只の夢幻(ゆめまぼろし)の事なのであろう。夢幻の事、夢幻の事、出鱈目な話、出鱈目な話、一切は夢幻、一切は出鱈目な話だとして、それで可(よ)しとする。今私は、果して出神が能く為されていたか否か、果してこの事が能く有ったか否かを論じるものではない。ただ王重陽が馬丹陽を教化しようとしたこのような伝説のあることを云うだけである。人は機関のようであり、食は石炭ようであり、石炭が燃焼して機関が動き、食が摂取されて人は活きるとするような尋常の見解を持つ者と、神(しん)と質(しつ)との一元か二元かを語り、またそれの分けられるか分けられないかを語るようなことは、俄かに出来ることではない。王重陽は云う、「仏者は性に精通するが命に明るくなく、儒者は命を語って性を云わない。吾れは性と命を兼ねて修める、即ち性命双修である。よって全真と名乗る」と。仏者も命を云わなかった訳では無く、また儒者も性を云わなかった訳では無いが、ただその命と性は重陽の云う命と性では無い。この全真の性命の道は自ずから独自のものであり、簡単には論じ難い。且つその道は修行によって悟ること(修証)を尚んで学識や知識を重要とはしない。重陽が神(しん)を外に現わして玄妙を示した話などを語るのは、無益徒労なことであり、私の文章の能くするところではない。
 重陽は初冬の始めから日々詩詞を示して従義に唱和させる。今現存するものに「重陽教化集」がある。大定二十三年に、国師尹、范懌、劉孝友、梁棟、劉愚之等の序を付けて出される。重陽の「贈詩」の一に云う、

一別す 終南 水竹の村、
家に児女無く 亦(また)孫無し。
三千里外 知友を尋ぬ、
引いて入る 長生不死の門。

 この他、蔵頭(ぞうとう・意味を隠して▢で表した字)や析字(せきじ・分解した字)の詩詞が多い。篇や章も常人に取って興味あるものは少なく、之を挙げるのも煩わしい。また之を読むのも煩わしかろう。
 また或る日、重陽は従義に梨一個を与えて食わせ、十一日後には梨一個を二分割して従義夫婦食わせ、十日を経るごとに分割を増し、三十日後に三分割し、四十日後に四分割して食わせる。そして百日後までに五十五個の分割した梨を食わせる。分梨十化というものが即ちこれである。当時の贈答の詩詞が「分梨十化集」に収められて今に遺る。百日経った大定八年正月十一日に、遂に従義は資産を子の廷珍輩に譲り、休書(離縁状?)を妻の孫氏に与え、服を替え簪冠(しんかん・道士の偃月冠と簪)を受けて、寧海の巨万の富者は突如として乞食(こつじき)の道士になった。当時の従義の心中の消息については、「道行碑」も「金蓮正宗記」も「仙源像伝」も一様に記していない。「分梨十化集」の巻末で重陽の従義に贈る詩に云う、

酒初めて醒め 夢初めて驚き、
月初めて明らかに 性初めて平らかなり。
若し覚悟せば 是れ前程あらん。

 従義が韻を次(つ)いで云う、

酔中に醒め 睡中に驚き、
暗中に明らかに 壺中(こちゅう)に平らかなり。
心開悟して 前程あらん。

 従義の「夢中歌」に、「焼き得て白く、煉り得て黄、便(すなわ)ち是(こ)れ長生不死の方(ほう)」という句の有ることで、重陽が命じて名を玨(かく)、字を玄宝と改め、丹陽子と名乗らせたことを知る。(⑨につづく)
 
注解
・譚玉:譚長真。王重陽の七人の高弟(七真)の一人。
・風痺の病:風邪が原因の関節痛による運動障害。
・北斗経:太上玄霊北斗本命延生真教。北斗星に対する信仰と長生を求める経典。
・アストラル体投射:アストラル体と呼ばれる人間の心霊部分が肉体を離れて漂遊する状態。幽体離脱とも呼ばれる。
・Col.de Rochas:アルバート.デ.ロシャス大佐。心霊現象に関する調査研究をした。?。
・M.Hector Durville:M.エクトール.デュルヴィル。フランスのオカルティスト、磁力鑑定家。?
・Dr.Baraduc: Dr.ヒッポリト.バラデュック。フランスの医師で超心理学者。図像を使用して思考や感情を描写したことでよく知られている。?
・M.Charles Lancelin :M.チャールズ.ランスリン。フランスの医師。幽体離脱としても知られるアストラルプロジェクションの分野における初期の実験者であったオカルト主義者。第二次世界大戦に先立つフランスのオカルト主義への関心の活発な時期に、多くの重要な本を出版した。?
・須菩提::釈迦十大弟子の一人。空の理解に優れ、釈迦から解空第一とされる。
・釈迦の成道出山:山での苦行を終えて下山した釈迦は、菩提樹の下で坐禅をして成道した(悟りを開いた)。
・頻婆娑羅:古代インドに栄えたマガダ国の王。
・獄中に在って法悦を得た話:子の阿闍世王(あじゃせおう)から罪を得た獄中の頻婆娑羅が釈迦仏から光明を受ける。
・全真の性命の道:重陽の全真教では、心と体は密接に関係しているとして、性(心・精神)と命(身体)を修める性命双修を教旨としている。その際、先ず性を修めて心を整えて丹を煉り、それを念じて身中にめぐらせ、身体を変容させて命(長寿の身体・仙)を得るとする。

いいなと思ったら応援しよう!