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幸田露伴の随筆「蝸牛庵聯話・義経・弁慶」

 江戸の気風を持つ者の言語や関東の庶民の言語・歌舞伎がかりの六方言葉・奥浄瑠璃の言葉などには、皆共通するものがある。柳亭種彦のような俗語に関心を持つ者が、もしこれ等に関する著作を遺して呉れていたら、どんなに嬉しかったかと思うが、仕方が無い。時は既に過ぎ世もまた変わり、今は種彦が着手したような雑書に出会うことも得難いので、春耕夏耨の不足によって秋収冬蔵の十分では無い感が、少しするのである。学問があり才能がある者の文章は、好んで昔のことを著述するにしても今の正しい文でこれを綴るので、その当時の言語で伝えるような書物は、徳川時代末期になってもそう多く世に出ていず、言語研究の材料とするようなものは甚だ少ない。「衣川合戦の事」は何時の時代に誰の手によって書かれたものか、もとより地方のものなので総て明らかでない。しかしそれが徳川時代中期より後のものでないことは推測できる。「衣川合戦の事」はその始めから終わりまで、言葉であって文章ではなく、古風を継承しないで時風に拠るのを面白く思う。
 
衣川合戦の事
 
 何はあ(***)長崎太夫の助をおっぱじめ(*****)、三万余騎が一手になって高館の御所へ押し寄せたア(**)、今日の打手は如何なる者ぞと問った(***)れば、泰衡の家の子に長崎太郎太夫といったアげ(*****)だ。そこで判官殿が腹立って、せめて泰衡錦戸なんどであんべい(****)なら、最後の軍もしもし(***)べい、吾妻の方のやつばらが郎党どもにひん(**)むかい(***)、弓を引いた矢を射るは、かったいと棒打ちだア(**)。(癩者と棒打ちの俗諺は何時頃できたか)あれらが手にはかかるまい、いっその事に潔く自害を致すべいとおっしゃッたア(*******)。弁慶が承り、これはげにはあ(****)御尤もそうだアけれども、義経が打っ手に恐れ仰天(**)して、一矢も射ずにおめおめと腹かっ切ってくたばった(*****)と後日に取沙汰申しては、腰抜け武士の名が立つべい、自害はちっと(***)お待ちやれよ(***)。我々九人の者共が命を捨てて防ぐばい。かなわぬ時は御自害おそくはあるまいもんだもさア(******)。かまえて早まりなさるなと諫め申せば尤もと奥の一間にお入りやる。さてはあ(****)此処に北の方の乳母親十郎権ノ守と御厩の喜三太と家の上につんのぼり(*****)、遣戸格子を楯にかき、さんざんに射たアげだ(****)。大手には西東の武蔵坊、片岡、鈴木兄弟と、鷲ノ尾、増尾、伊勢の三郎、備前の平四郎、たんだ(***)八騎がひかへたア(**)。常陸坊をおっぱじめ(*****)、十一人の者共は今朝から近所の山寺を拝んで来べい(***)と云ったアけが(******)、出るとそのまま帰らずに、かけおちをしたアげだ(**********)。云うばかり無い事だアもさ(****)。弁慶その日の装束には、黒革おどしの大鎧の裾金物に蝶々をこがねをのべてほりものの、ひっかちゃっか(*******)と打ったのを着て、大長刀の真ン中をしっかりとひん握り(****)、うち板の上に突っ立って、今日の寄せ手の奴ばらがりうんのつらが(利運の顔付だろう)憎いぞや、ちっとも困らぬ体を見せ、舞いを舞いて、あざけるべい(******)、囃せや囃せや殿原たち。此れはいかさま尤もだア(********)、心得たりと、鈴木兄弟、扇を持って楯板をはたらはたらぶったき(**********)(はたるはたりと打ち叩き)拍子を取って進めれば、弁慶その時ふんばたかり(******)、扇をさっとおっぴらき(*****)、われがね声をつっぱり上げ(******)、うれしや滝の水、日はてるともたえず、とうたり、あずまくだり(東下り)の奴原が兜をかぶった細首を、我が長刀でぶっ切って(*****)、衣川の川下へつんながしてくれべい(**********)と、寄せ手の者共これを見て。やっちゃアやっちゃア舞い申した、寄せ手と申すは三万余騎、そっちはおぞくて(****)(恐ろしくて)物狂いか、舞いをばおきにしめされ(*******)(止めてくれ)と、どっと笑えば、弁慶、何はあ三万騎も三万騎による(**)べいぞ(***)。十騎も十騎によるべいぞ(*****)。うぬら(***)如きがここへ来て戦い好むがをかしさに舞を舞うて笑うぞよ、いわれぬ(****)悪口云おうより、ひっちゃらかして(?)いめさせろと嘲笑っていたるげだ(**)。いでいで敵の奴原に、手並みを見せてくれべい(****)と、鈴木兄弟弁慶も、くらいこえたア(食らい肥えた)馬に乗り、くつばみ(銜)をひんならべ(*****)、ひっかり光る(きらめき耀く)名作の太刀をするりとひんぬいて(*****)、兜の真っ向にひっかざし(*****)、どっとおめいてかけたれば、秋の嵐のちりあくた、木の葉をまぜて一(ひと)まくり、ぶっちらかす(******)が如くにて、こけつまろんず(****)、逃げて行く。やあやあおのれ等、きたないぞ、口には似ない事だアもさ(****)、さてさて弱い奴だア(***)、あぜに(なぜに)そがいに(そのように)不覚だア(**)、返せ返せと呼ばわっても、返し合する者もない。かかる所に鈴木の三郎、てるいの太郎に寄せ合わせ、やあ、にしゃアだれぞ(お前は誰だ)。身内(みうち・泰衡方)のさむらい高春だア。そんなら(****)(それなら)にし(お前)が主人と云うその泰衡という者は、鎌倉殿の郎党だア、にしが主人のおほぢ清衡、後三年の時、八幡殿の郎党であったアげだ(******)、その子に武衡、その子に家衡、その子に秀衡、その子に泰衡、(述法は素朴、拙にして妙)されば、我等が御館殿にも五代相伝の郎党だア(**)、この重家は昔から鎌倉殿の重代の侍だア(**)、おのれ如きは重家が身に取って不足なア相手だもさ(*********)、されども弓矢を取る身には、会うがかたきだ、おもしろい、いざ組むべい、と近寄れば、いちあし出して逃げて行く、やあやあてるい、引き返せ、泰衡が家人には、恥ある者と聞いたっけが(******・恥を知る者と聞いていたが)、恥あるべいものだアあぜ(**)に後ろを見せるぞや、きたならしい奴だアぞ(***)、とまれとまれ、と云い掛けられ、返し合わせて右の肩先ぶっきられ(*****)、あとをも見ずして引いてのく、鈴木は既に弓手に二騎、右手に三騎きっぷせて(*****・切り伏せて)、七八騎に手を負わせ、我が身も数か所痛手を負う。何はア(***)在所紀ノ國の藤代をつん出た日から(*******)命をば君にささげ奉る、今思わずも一か所でうっちぬ(****・打っ死ぬ)は嬉しいこんだぞ(****)弟よ、死出の山で待つべいぞ、かならず犬死すまいぞ、とこれを最後の詞(ことば)にて腹かっ切ってうっちんだア(******)。その時弁慶、馬ひっすえ(****)、音にも定めて聞いたんんべい(******)、今日ここで眼にも見ろ(**)、鈴木三郎が弟に亀井の六郎、生年は二十三、弓矢の手並みは人々に知られたア(**)身なれども、あづまの方の奴原は、いまだどいつ(***)も知るまいぞ、いで物みせよう、というままに、大勢の中へ割って入り、手に向かうを幸いに、弓手にひっつけ(引き付け)、右手におっつけ(****・押し付け)、切ったり張ったり働けば、しゃっつら(*****・しゃは勢いをつける語でつらは顔面である。しかし或いは正面の意味があるのかも知れない)向ける者ぞ無き、敵五六騎打ち取って数十人に手を負わせ、我が身も大事の疵あまた、これでははアもう(****)ならぬ(***)と、鐙の上帯おっくつろげ(******)、胴ばらをかっきって(*****)兄の死んだる所へ行き、同じ枕につんのめる(*****)。さても武蔵は長刀で大勢にわたりあい、かれに打ち合い、これに打ち合いするほどに、のど笛をぶっさかれ、さっささっさと血を流す。常の人にてあんべいなら(******)、血酔い(出血に酔いおののく)なんどもすべいのに(*****)、弁慶は気を張って、血が出ればなお血そばへして(そばうは常軌を失ってたかぶるのである、戯れ、狂い、亢進する、皆そばうである。血酔い、血そばへ、何れも義経記の言葉で、奥州の言葉とは云えない。)人を人とおもわばこそ、前へだらだら流れる血は、鎧を伝ってまっかいに(*****・真紅)あやち(綾なす血)になって流れるを、敵は指さし、あれを見ろ(**)、あの弁慶めはあんまり(****)に物くるほしさにうろたえて前にも母衣をひっかけ(****)たか、あれほどのふてもの(****・これも義経記の言葉、常人ではない者。)に近くへ寄るな、あぶないぞ(*****)、手傷を負ったら痛かんべい(*****)、げにげに(****)、おやおや(****)、おっかない(*****)と手綱を控えて刃向かわず、弁慶手傷を負いたれば、倒れるようでは起き上がり、のめる(***)ようでは立ち直り、走り働く勢いに、しゃっつら(*****)向ける人ぞなき。かかる所へ増尾の十郎、ならびに備前の平四郎、かたきをえらく(***)打ち取って、我が身もそこら深手を負い、自害しおって(****)、うっちんだア****)。片岡、鷲尾、一ツになり、武蔵と伊勢の三郎と一所になりて戦いしが、増尾の十郎、平四郎、伊勢の三郎、片岡も、敵大勢を討ち取って、おのおの所々にて討ち死にす。されども弁慶まだ死なず、群がる敵をおっぱらい、はらいのけて、よろよろと御前に参り、しゃっつくばい(*******)、弁慶めが参っては、と申し上げれば、判官殿、法華経八の巻讀(*)んで(**)いた(**)ア(*)を(*)読みさして、弁慶いかにもおもしゃれば(******)、いくさは限りになって候、備前、鷲ノ尾、増尾、片岡、鈴木兄弟、伊勢の三郎、おのおのが思いのままに働いてどいつ(***)も討ち死に仕る、今は弁慶一人になり申した、もはや我等もうっちぬべい(******)、それだあ(****)から(**)今一度君の御目にかかろうと、これまで只今参ったもさ(*****)、君御先立ち候らわば死出の山にてお待ちゃれよ(******)、弁慶先立ち申したら三途の川で待ちますべい(******)、噂ばかりの死出の山、三途の川が若し無くば、何処ぞで、待とう(***)、待たっしゃれよ(*******)、と云えば判官今ひとしお、さても名残りが惜しいぞよ、死なば一所と云ったアに(*****)、今は我等ももろともに打って出べい(***)と思えども、されども寄せ手の者共は不足なアかたきだもさ(**********)、弁慶をを内に止めうとすれば、味方は皆々うっちんだアと云うなれば(**(**********)、自害の場所へ雑人を入れたら大事、弓矢の傷、あしようのも(******)、かじようにも(******・如何にも)今は力に及ばない、読む御経も今少し、ちくとんばありで(********・少しばかりで)読み果てる、その間はうっちぬな(*****)、我等を守護しろ弁慶とおもっしゃったアれば(**********)、さん候、その義は心得申したと御簾を引き上げ、つくづくと君のしゃっつら(*****)打ち護り、名残り惜し気に泣いたもさ(*****)。かたきの近づく声を聞き、御いとま申すと、つい起ったが、また立ちかえり、このような歌を詠んであげたもさ。
 
   六道のちまたに我をまてよ君おくれ先立つたがいありとも
 
 かく忙しいその中にも君を思って未来まで離れぬ心がたのもしい。御返歌に
 
   後の世もゆかりかわらで紫の雲の迎えに共にのぼらん
 
とおもっしゃったアれば(**********)、弁慶は声を上げて泣いたアげだ(****)**)。弁慶は表へ出て長刀の柄をふんだめて(*****・踏みためて)、一尺ばあり(***・ばかり)へし折って、折れをからりとうっちゃって(******)、あっぱれ中々よいもんだ、えせかたうど(同志)の人々は足手まといで悪かったが、ひとりになって働きよい。きっとふんばり、ふみかため、敵が向へば寄せ合わせ、はったと薙ぎ、ふっと切り、馬の太腹、手も足も尻もふぐりも嫌なく、はらりはらりと薙ぎ立て、切り割り、たたきつけ、馬から落ちれば首をはね、めったやたら(******)に死に狂い、あだ一人に切り立てられ、刃向かう者は無かりけり。鎧に立つ矢は数知らず、折り懸け折り懸けへし折れば、簔を被たアに似たアもさ(*********)、真羽(鷲羽)や鷹の羽、くろっ羽、白羽、あるいは染め羽、射立てた矢、風に吹かれて武蔵野の尾花の靡くに似たアもさ(*****)。さて八方を駆け回り、狂いありくを寄せ手の者、あれあれ見なさろ(****)、よの人は討ち死にすれども弁慶は、狂い廻りてまだ死なない(****)。けでん(***・不明)ふしぎなるだアもさ(*********)。あんちう事だか(*******)、合点が無い(*****)、聞きたるにまさる強い奴、我等が手にはかけずとも、南無塩竈大明神、どうぞ(***)あいつを、竈の中サぶっこんで(*********)、ゆで殺してたび給え、どうぞ殺してくれなさろ、と尻込みをして呪ったげだ。武蔵は敵を打ち払い、長刀サアを杖につき、仁王立ちにふんばたかり、せせら笑って立ったる意地悪(***)そうなしゃっつらを、物によくよくたとうれば、おらが隣り(*****)のおふくろが嫁をいぶした面に似た(**********・いぶすは燻すで、他の言葉に換えられない味がある。足利期の小唄に、人の妻を見て吾妻見れば深山の奥のこけ猿眼が有眼にしょぼ濡れてついつくばうたにさも似た、と唄いとどめたのに似て甚だ可笑しい。)かまえて用心しなさろ(****)と手招きをして尻込みし、近づく者は無かったげだ。さる者の云ったアには(******)、剛の者は立ちながら、うっちぬ(****)ことがあると云う、立ち往生ではあるまいか、あれ、殿原よ打ち寄せて、ちょっと当たって見なさろ(****)と下知をすれどもふりをふる(*****・ふりは首、首を振る)その中に強い武者が出で、おれが一トあたり、あたって見べい、と云うままに、馬乗り出して近づいて、持ったア弓サア(***)****)おっとりのべ、餌さしが雀をさすように弓はずを持ってちょいと突く、うっちんだア弁慶が、ぱたらどう(ぱったりどう)と、ぶっかえる(*****)、持ったア長刀ひっかりと、ひらめくように見えたア(****)を、わっと叫んで馬上から、ぶっころばって(*******)、どっさりと、落ちると鼻面をぶっかいて(*****)両手で押さえてつん逃げたを、笑わぬ者は無かったもさ。弁慶がうっちんでも立ちすくみしておたアのは、君を守護してやるべい(****)と思い込んだア(****)一念が、凝り固まったアもんだんべい(******)、げに(**)、はあ(**)、そうでもあんべい(********)かと、人々感じ申したげだ。
 奥浄瑠璃は芭蕉の頃にはすでに地方のものとして見られていたことが、七部集の連句にも見えている。これは浄瑠璃と云うものでは無くて、義経記を奥州言葉で訳したようなものである。題して義経記奥州本と云うが、義経記奥州本と云うものが有って、その一部の残存したものが、この「衣川合戦の事」だとは考え難い。「安永八年亥年正月二十六日、以水戸彰考館古蔵本之」と奥書にあるが、その伝来は定かでない、むしろ安永もしくは安永に近い頃に成立したものではないかと思われる。文中の判官の歌は、義経記では、「後の世もめくりあへ染む紫の雲の上まで」とある。この田舎めいた歌いように比べると、文中の歌の方は却って技巧に優っていて怪しく思う。この一巻は誰かの戯作として出たものではないかと思われる。もしそうでないとすれば、安永前後の言葉を考える以外に取り得が無い。安永前後の言葉を考える材料は甚だ多いが、このような書を取り上げる必要はない。ただその文詞の粗野で滑稽なのが人に笑いを起させるので、閑談の材料に取り上げただけである。
 
注解
・六方言葉:歌舞伎の奴物といわれる演目の中で使われた独特のせりふ。
・奥浄瑠璃:近世の東北地方において盲法師や修験・巫女・陰陽師などによって語られた語り物。
・柳亭種彦:江戸時代後期の戯作者。「偐紫田舎源氏」などで知られる。
・春耕夏耨:春の耕作、夏の雑草取り。
・秋収冬蔵:秋の収穫、冬の貯蔵。


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