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幸田露伴の「二宮尊徳②(桜町)」

 当時、小田原の大久保侯は名君であられたが、我が領内に人格者で経営の才能を持った二宮金次郎と云う者が居ることを聞かれて、これを用いて領民の生活の安心を図ろうと考えたが、身分の低い者はたとえ才能がある者でも人が認めない世の中であったので、マズは二宮に普通の人にはとても出来ないことを命じ、それを成し遂げさせて、その後に他の者たちが僻(ひが)み心を抱かないようにした上で、政治に用いようと思い立たれた。
 ここに大久保侯の分家の旗本の宇津家は、四千石の領地を野州(やしゅう・栃木県)の桜町に持っていたが、領民の風気(ふうき)は極めて悪くて遊び歩く者が多く、昔は四千俵を納めていたところも、今は八百俵を納める程に田畑は荒れ廃(すた)り衰え、宇津家も大変な困難に陥っていた。そのため大久保侯はこれを心配して、家臣の中から有能な者を選らんで、少なく無い資金を使い復興を図られたが、一度(ひとたび)その地に入ると悪領民に欺(あざむ)かれる者も在り、処置できずに逃げ出す者も在りで、罪を受ける者が数人も出たため誰一人進んで桜町の復興を引き受けようと云う者が無い。大久保侯は二宮を此の困難な地に派遣しようと思い立たれた。そこで先生にこの事を任せることを命じたが、「私は農具を把(と)って田畑に立つことを知るだけで、里を復興して民を救うことなど中々できません。君命がいかに重くても私の力ではお受けできません。」と先生がお答になると、使者もその通りに復命したが、大久保侯はますます礼を厚くして何度も命じられた。しかし先生はひたすら自分の仕事に励んで、固辞すること三年に及んだが、大久保侯は懇命すること三年経ってもやめない。ここにおいて先生は決心され、文政四年の先生三十五才の時に、先ず桜町を観に行かれた後に、帰ってから侯に申し上げた、「桜町は土地が痩せ民は怠け衰廃が甚だしいと云えますが、軽薄な人情を改めて田畑の耕耘(こううん)を怠らなければ、復興の望みが無いこともありません。しかしその復興の資金がどれほど掛かるかは算定することもできません。殿は以前から復興を命じられる度(たび)に多くの資金を下賜(かし)されましたが業績は上っておりません、これからは資金を下賜なされないよう願います」と遠慮無く飾らずに云うと、大久保侯は不審気に眉を顰(ひそ)め、「資金を掛けてさえ復興できないものを、資金も掛けずに復興できる法があると云うのか」と問われる。「そのような資金を与えると、村長や村民がそれを奪い合い人情はいよいよ悪くなるばかりです、荒れ地を開くには荒れ地の力を用いるのが善いでしょう。たとえば一反の荒れ田を開いて産米が一石あれば五斗を食(しょく)し、残りの五斗を来年の開拓の資本にし、年々その様にしてゆけば、何億万畝(せ)の荒れ地を開くにも外からの資本は要りません。我が日本国の最初は全て荒れ地でした、今はこのように開けていますが、外国から資本を入れた訳ではありません。宇津家の領地四千石も復興の後には、それ程にはならなくとも二千石には必ずなりましょう」と滔々(とうとう)と理路整然に説明する。これを聞いて侯は喜び、「一切お前に任せる。勤め励んで我の為に荒れ地を開いて領民を安心させよ」と命じられたので、先生はついに命令を受託された。
 先生はつくづく思う。「私は一俵の米を種子にして、ようやく我が家の再興が出来て祖先を辱めないで済んだが、この度(たび)は殿さまに見出され桜町の復興の大事を命じられが、君命を達成するために桜町へ行けば、当然のこと我が家を顧みる暇は無い。そうなれば折角再興した我が家が再び廃れるのは目に見えている。家を思えば桜町の復興は覚束ない、どうしよう。」と考えられたが、「我が家は一戸、桜町は数百戸、ヨシ桜町の数百戸を救おう。」と決心され、先祖の墓に報告し、妻にも事情を話し、今年三才の弥太郎と云う一子を連れて遥々(はるばる)と下野(しもつけ)の国(栃木県)芳賀郡(はがぐん)桜町に着いた。
 桜町の陣屋は、屋根は破れ、壁は崩れ、茫々(ぼうぼう)と繁った雑草が軒の下を埋めて狐や狸の巣になっていて、見るも無残な有り様であったが、先生はそれを少しも厭(いと)わず、草を刈り払い破損個所を修理してそこに住み、日の出から日の入りまで何日も休まずに見て廻り、人民の善し悪し、農事の勤勉怠惰、土地の質、水の便利、田畑の境界などを見極められて、ついには四千石の土地の悉(ことごと)くを胸に納められた。その上で善を賞(しょう)し悪を諭(さと)して、荒れ地を開くことを教え、自分自身は手縫いの木綿の布着を着て、味噌を嘗め冷や飯を食い、艱難辛苦も物ともしないで、マズは農民達の手本となって頻りに勤め励まれた。ソモソモ先生の開拓の方法は、天地開闢(てんちかいびゃく)の初めを考え、その後の人民進歩の道筋を参照し、先ず一反の土地を開拓して一石の収穫を得たら、その半分を耕作用に充当し、残り半分を開田用として、毎年毎年そのようにして幾萬丁歩の荒れ地を開く手順であるが、桜町と云うところの人民は想像以上の悪者共で、枯れ木のような心には恵みの雨も感じることなく、ヤタラ理屈を張って悪賢く、怠けることだけは能く知っている輩(やから)なので、素直に先生の行いを学ばないだけでなく、却って正しい人を忌み嫌って様々に先生の事業を妨害する。その時、予(かね)て先生の復興事業を助けるために小田原から出張してきた役人共も、先生の深い心を理解できずに、人民と先生の考えが違うところを見て、大久保侯に讒言(ざんげん)をした。しかし正しいものが負けるハズ無く、大久保侯に呼び出された先生がその状況を明白に申し述べると、侯は却って讒言をした者等を罰されようとしたが、先生はこれを止めて、「讒言ではありません、彼等もまた忠義を尽くそうとしたことは同じです、ただ思い違いをしたまでです」ととりなせば、この事を聞いて役人共は大いに驚いて、自分を恥じ、先生の寛大なことに深く敬服した。
 開けても暮れても先生はただ一心に大久保侯の委託を果たして、桜町の復興を成し遂げようと、露ほども他の思いを抱かずに、役夫(えきふ)達より早く出て役夫達より遅く帰り、働く者を褒め怠ける者を励まして、監督すること少しも誤らず、熱心に事業に取り組まれたが、先生と共に役夫を指揮する役人共は、もともと此の事業に深い理解がある訳でも無いので、或る時一人の役人が、汗を流し鍬を揮って必死に働く役夫を見て、「このような者を見れば、さぞかし先生はお褒めになるだろう」と思って居ると、先生はその様子を見ていて褒めることなく、却って大声で、「お前は私を騙そうと、そのように見て居るところで激しく働くとは不届きである。一日中その様に働けるものなら、私が此処で見て居てやろう」と明らかに見破って、その正直でない者を責めれば、役夫は驚き恐れ入った。「サテも怪しからん奴だ、お前のような不正直者が居ては、他の者まで表面(うわべ)だけ繕(つくろ)って怠けるようになる。お前のような人を騙そうとする者は私が許さない。」と散々と懲らしめられると、一同は、「先生の見て居られるところは、我等のような浅はかな見方とは違う」と感心する。また年老いた一人の役夫は終日熱心に木の根だけを掘って、他の人のように荒れ地の鋤(すき)起こしなどはしなかったが、物井村の開墾が終って他村から来た者を帰村させる際に、その老夫に十五両の褒美を上げられて、「お前の数か月の働きを見ていると、他人(ひと)が疲れないで効果のあるところを選んで鋤鍬(すきくわ)を使い働くところを、お前は謙虚に休息もしないで、働きの目立たない木の根堀を担当し尽力したこと、誠にきれいな心掛けである。此の金は天がお前の心掛けを賞して下さるものと心得て、遠慮なく納めるがよい」と機嫌よく褒められると、老夫は涙を流して先生の深い恵みを悦び、皆々は先生が偽りと正直を見事に見破って、その善を褒め悪を戒められた深い心に感心した。
 先生が物井村の農夫某を改心させられた話がある。或る時先生の下僕(げぼく・下男)が先生の命令である家に使いに行く途中で、下痢か何かを催したのか急に厠(かわや・トイレ)に入ろうとしたところ、柱が歪み壁の代りに薦(こも)を垂らした倒れかかった厠があったので、慌ててその厠へ入ろうとして厠の支柱に触(ふ)れた途端に厠が傾き倒れた。家の主(おるじ)は大酒飲みの博奕(ばくち)好きの怠け者で、心の善くない男なのでこの状(さま)を見ると大いに怒って、「不埒千万(ふらちせんばん)、人の厠を何故(なぜ)壊す」と罵る。下僕は謝って、「私は二宮の下僕で、某の家に使いに行く途中、コウコウの始末で」とその事情を語るが、一向許してくれないで益々怒り、「二宮の下僕ならなおさら許さないオノレ此の侭では置かない」と、六尺棒を取って打ち叩こうとするので、下僕が驚いて逃げ帰るのを、「逃がすものか」と、追いかける勢いも凄まじく、仲裁する人がいたが少しも聞かずに打とうとする。先生は報(しら)せを聞いて悠然と起(た)たれてその場に出て、「少し触れただけで倒れる厠であれば、厠だけが脆(もろ)いのでなく母屋も定めし破損しているであろう、厠は勿論だが、そのついでに母屋も新しく造ってやろう、そうすれば私の下僕への恨みも消えるだけでなく、私の下僕の粗相の縁で家を新しくする幸いを得ることになれば、私の下僕はお前の恩人であろう」と云われると、主(あるじ)も流石に恥じて家に帰ったが、先生は約束通りに立派な家を建てて与えた。無頼(ぶらい)の主(あるじ)は且(か)つ驚き且つ感じて、先生の慈愛の広大なことに感動して自ら恥じ且つ悔いて、酒も博奕も止め、農業に心を尽くす良民に変った。これを見聞きした者は皆先生の寛大で広仁な心に感服し、桜町の悪風も次第に変化して行き善に傾き始めた。(③につづく)

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