見出し画像

幸田露伴の随筆「蝸牛庵聯話・飯②」

 焦げ飯は既に焦げと云う。鍋釜の類を用いて飯を炊いて、その底に接するところを熱し過ぎて焦げたのだろう。しかし飯を作る方法は二ツある。蒸(ふか)すと煮るである。その器は甑(こしき)と鍋である。「周書」で、「黄帝始めて穀を蒸して飯を為(つく)る」というが、その時が蒸(ふか)して飯を作る始まりのようだ。「穀の始めて熟するを粟と云う、これを臼で衝き、その糠を篩(ふるい)にかけて除き、釜甑(ふそう)で蒸す、火で以て蒸気を挙げ、熟して飯となる、乃ち甘くして食うに佳(よ)し」と王充は「論衡」で詳しく述べて、「粟は五変して出来。生じて苗になり、成長して禾になり、三変して粲になる、これを粟と云う、四変して臼に入り米甲をだす、五変して蒸(ふか)し、飯にして食うべし」と、緯書の「春秋運斗枢」に備記されているのを見ると、漢の時は蒸して飯を作っていたようだ。我が国でも「和名抄」で、「(修+食)饙」を挙げて「かたしきのいひ」と云い、半熟の飯であると注釈し、「強飯」を挙げて「こはいひ」と云い、今の煮て作る飯を載せていないところを見れば、思うに古は蒸して作るのが普通で、煮て作るのは稀であったようだ。同書の水漿類に「饘 かたがゆ、粥 しるがゆ」と載っている。これが鍋釜で煮たものなのは明らかであるが、今の飯は古(いにしえ)の濃い粥、即ち「饘 かたがゆ」の一層堅く濃くしたものでもあろうか。蒸して飯を作ることは大層易しく、煮て飯を作るのは、水の多少や火の加減に些か技巧が必要で、古では手に負えなかったものと思われる。かつ同書の器皿部で、「甑 こしきありて、飯を炊く器なり」と注釈する。甑は本(もと)は瓦の器なので字は瓦に従うが、後には季を用いて作った。今の「せいろ」と云うものは「こしき」の製法の変わったものである。この「こしき」と「かしぐ」と云う語がその根を同じくするときは、古の炊くことは総べて甑で行ったと云うことで、古人の飯は煮て作ったものではなく、蒸して作ったものと考えられる。古人が飯を盛る器を笥(け)と云うのも、蒸した飯を盛るのにふさわしく、煮たものを盛るにはふさわしくない。また笥も「け」であり食も「け」であり、飯も笥も同じ語であるときは、あれやこれや考え合わせるとる古人の日常の飯は蒸して作ったものと思われる。今の語では飯を「めし」と云う。めしはめすより出て、めすは身に受けること事を云う。めしは聞し召すのめし、めしあがるのめしで、遂に飯は即ちめしとなった。ということが普通の説であるが遠回りも甚だしい。めしは蒸米を少し変化させて下を省略したとしても通じるだろう。豆を蒸して味噌を作る、これをむしと云うのは蒸豆を少し変化させて下を省略したのである。饅頭なども蒸し物と云う、蒸して作るからである。めしは蒸すを少し変化させて下を省略したものなのは、明らかである。ただし両説のどちらを正しいとすべきかを早急に判断してはいけない。かつ「いひ」と云うのは神代からの語ではあるが、「めし」と云うのは新しくて、何時からの語であるかは明らかでない。「和名抄」の頃には未だ「めし」と云わなかったのではないだろうか。「(食+丑)」は雑飯なので今は「かてめし」と云うが、同書では「かしきかて」と云う。「油飯 あふらいひ」、「糒 ほしいひ」、「𥹝 かれいひ」、「強飯 こはいひ」、「𥼩 かたかしきのいひ」など総べて「いひ」と云うが、「めし」と云うのは無い。「めす」などと云う古い語と「めし」は隔たりがあるようである。しかし「拾遺集」巻の八の歌に、「月の林のめしに入らねば」と、「召す」と「飯」とをかけたものがあるので、「召す」と「飯」を同一のものとする説も出たのではないかと思われ、かつ早くより「めし」と云う語が間違いなく存在したことを知る。「和名抄」に「めし」の語が見えないのは不思議である。また同書の水漿類に「糄𥻨」の二字があり、これを「ひめ」と訓じている。「米を煮て水を多くしたもの也」と注釈している。このことから後人が、「ひめは姫であり、姫の御物と云うのは常の飯の事なり」と云う理解が生じ、煮て作る飯の軟らかいものは、姫の食べ物として用いられたのである。古は男は蒸して作る飯を用い、女は柔らかいものを用いたが、今は総べて姫飯を用いて古を忘れている。これは糄𥻨の「ひめ」と、姫媛の「ひめ」を混同した理解で、伝わりの痕を隠すことはできない。糄𥻨の「ひめ」であれば姫媛には関係ない。姫媛が用いたところの飯、即ち媛飯を略した「ひめ」ならば糄𥻨に関係しない。二ツの語の別なことはハッキリしている。本来「和名抄」が挙げた糄𥻨の二字は甚だ宜しくない。糄と𥻨は連ねて一語として用いるべきではない。二字は共に後世の字であって古書には見えない。確定し難いが、「集韵」で「糄は稲を焼きて米を取るなり」と云うので、これは杵臼以外の別の方法で米を取るもので不精(ふせい)のものである。𥻨は「食経」に、「𥻨を作る方法は、蒸し米一升を取って沸騰した湯に置いて、過熱(熱は恐らく熟の誤り)させること無く、出して新籮(きれいな箕)の中に入れる」と云えば、これは炊く方法に一手間掛けて作る飯である。糄と𥻨は互いに異なる、連ねて一語とすべきではない。ただ糄も𥻨も不精なものであり、糄は乾燥しすぎた米、𥻨は古くなって乾燥の甚だしい米で、何れも一炊きした後に、更に沸騰した湯に置いて水分と熱で柔らかくしなければ食せないものなので、並べて挙げたものであろうか。米に従い扁に従うの扁には卑の意味・小の意味・狭の意味があり、米に従い索に従うの索には散の意味・尽の意味があり、糄𥻨が悪米であることが知れる。この悪米を処理して食えるようにしたのが、「ひめ」であることを知るが善い。「米を煮て水を多くする也」と云う注釈文も、これでその意味を知ることができる。煮ると云う語も、もとは水によって熱を伝えて物を熟すことを云うのではない。これはただ物を柔らかにすることを云うのであり、「に」は和であり、柔であり、熟である。にぎ魂・にぎたえ・にぎぶ・にごもののに・なごむ・なぐ・なごやかな、皆その根を同じなのである。蒸すと云う語も本(もと)は蒸気で熱を伝えて物を熟すと云うのではなく、これはただ物を生成することを云うので、「むす」は生であり、産であり、化である。むすびの神の「むす」であり、この作用によって物がその結果を得ることを云うのである。「ひめ」であって糄𥻨なときは云う価値は無い。また「媛飯即ち今の日常の飯なり」の説も詳しく考えることは面倒だ。古の飯は蒸して作り、後に次第に煮て作るようになったと思うだけである。
 今の人は蒸熟することをしなくなり、家々に甑や鬲の類の器のあることも稀になり、甚だ愚かなことに、すべて物は煮るよりは蒸した方がその物の本性を失わないので味も宜しいのである。製茶の方法を見ても分かるであろう、もし水で煮て茶をつくれば茶は死んで仕舞う。魚や鳥や蔬菜の類を汁の多い中で煮るときは、その物の精気が汁の中に融け去って、無駄になって仕舞うのである。であれば、そうならないようにと、その道の賢い人のする心遣いには並々ならないものがあって、「何々は一ト沸き、何々は二タ沸き」などと、物によってその度合いを誤らないように、見計らって煮あげるのである。どうして常人にこれが出来よう。煮るよりは蒸すべきなのである。しかし今の人は、何処の人も薄い鍋にガスの火をしたたに用いて、醬油や砂糖を徒に多用して煮るのである。費用も掛かり、味も良くないものが出来ることは、何とも愚かである。才ある人が蒸し器の良いものを作って世に出せば、各家の人々に益をあたえること極めて多いことであろう。
 
注解②
・釜甑:甑釜(こしきかま)。米などを蒸す時に甑(蒸篭・せいろ)をのせる釜。
・王充:中国・後漢の文人・思想家。讖緯説や旧伝などの非合理を批判し合理的なものを追求した「論衡」を著す。
・緯書:儒家の経書を神秘主義的に解釈した書物。「緯」とは「経」に対する「よこ糸」であり、経書に対応する書物を指して緯書と云う。
・拾遺集:「拾遺和歌集」のこと。「古今和歌集」「後撰和歌集」に次ぐ第三番目の勅撰和歌集。「三代集」の最後の和歌集。
・月の林のめしに入らねばの歌:拾遺和歌集0472、藤原後生、昔わが折りし桂のかひもなし月の林の召しに入らねば  
・集韵:中国・宋代に作られた韻書の一つ。


いいなと思ったら応援しよう!