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幸田露伴の小説「五重塔26~30」

       その二十六

 「源太いるか」と入って来た鋭次を、お吉が立ち上って、「オオ、親分さま、マアマアこちらへと誘えば、ズッと通って火鉢の前に無遠慮に大胡座をかいて、汲んで出された桜湯を半分ばかり飲み干して、お吉の顔を見て、「顔色が悪いがどうかしたか、源太はドコぞへ行ったのか、モウ最早聞いたであろうが清吉の奴がつまらない事を仕出かしてナ、それで話があって来たが、ムム、そうか、モウ十兵衛のところへ行ったか、ハハハ、素早い素早い、さすがに源太だ、俺の考えより先に身体が疾(と)っくに動いているなんぞはたのもしい、ナアニお吉、心配する事はない、十兵衛と御上人様に源太が謝罪をしてナ、自分の教示(しめし)が足りないために手下の奴が飛んだ心得違いを致しました、幾重にも勘弁して下されと三ツ四ツ頭を下げればすんでしまう事だハ、心配はいらない、それでも先方がグズグズ云えば正面から源太が喧嘩を買って始末をつければ可(よ)いのさ、うすうす聞いた噂では十兵衛も耳朶(みみたぶ)の一ツや半分を切り取られても恨めないハズ、清吉の軽はずみな行いも一寸おかしな可(よ)い洒落かも知れない、ハハハ、しかし可哀想に俺の拳固を大分食ってウンウン苦しがっているばかりか、十兵衛を殺した後はどう始末を着けると俺に云われて、ようやく悟ったのか、「アア悪かった、やり過ぎた間違った事をした、親方に頭を下げさすような事をした、アアすまない」と、自分の体の痛いのよりも、後悔でボロボロ涙をこぼしている憐れさは、何と可愛い奴ではないか、ナアお吉、源太はひどく清吉を叱って叱って、十兵衛のところへ謝罪に行けとまで云うか知らないが、それは表向きの義理で仕方がないが、ここはお前のもうけ役だ、あいつをどうか、ナアそれよ、了解か、そこは源太を抱き寝するほどのお吉様に分からないことは無い寸法か、アハハハハ、源太が居なくては話も無用、ドレ帰ろうかい御馳走は預けて置こう、用があったら何時でもお出で」とボツボツ語って帰った後、思えば済まないことばかり、女の浅い心から考えもなく清吉に毒づいたが、逸(はや)りきった若い男に間違いをさせて、可哀想に清吉に自己(おのれ)の世をせばめさせ、我が身は大切な良人までも、憎くてならないのっそりに謝罪に行かせるようになったのは、時の拍子の出来事ではあるが、結局は我が口から出した過ち、どうしたものかと、火鉢の縁にもたれた肘がついガックリと滑るまで、我を忘れて考えに考えを凝らしたが、思いをきめて、オオそうじゃと立って箪笥の大引き出し、開けて麝香(じゃこう)の香りと共に投げて取り出すお気に入りの帯は、ソモソモこの家に来た嬉し恥かし恐ろしのその時締めた、エエそれよ、ねだって買ってもらった博多帯にも繻子帯にも未練はない、三枚重ねの小袖に偲ばれる往時(むかし)は罪のない夢となり、今は苦労の山繭縞(やままゆじま)、ひらりと飛ばす鳶八丈にこの頃好んだ毛万筋(けまんすじ)、千筋百筋と気は乱れるが良人思うはただ一筋、ただ一筋の唐繻珍(からしゅっちん)の帯は、お屋敷奉公した叔母の形見と大切に蔵(しま)っていたが、何を惜しもう手放すを」と、なにもかもの有りったけを出して婢に包ませ、良人の帰らないその中にと櫛(くし)笄(こうがい)も手早く小箱にまとめて、サテその品を無残にも質屋の蔵(くら)に籠らせて、幾らかの金を懐中に浅黄(あさき)の頭巾に小提灯、闇夜(やみよ)も恐れず鋭次の家に。

注解
・源太を抱き寝する:源太と一緒に寝ている。
・山繭縞:縞縮緬とは縞をあらわした縮緬類のことです。縞糸として山繭糸を用いたものを「山繭縮緬」といいます。
・鳶八丈:東京の八丈島から生産される「黄八丈」を中心とする絹織物である「八丈絹」の一種です
・毛万筋:髪の毛ほどに細い縞柄です
・唐繻珍:繻子地に二色以上の横糸を使って模様を織り出した地質の厚い絹織物。帯・袋物・袈裟などに使う。
・浅黄の頭巾:あさぎ色の頭巾。

       その二十七

 池の端の行き違いからガラリと変った源太の腹の底、はじめは可愛く思ったが、今は小癪にさわってならないその十兵衛に、頭を下げ両手をついて謝らなければならない忌々しさ。そうかと云って打ち捨てておけば、清吉の乱暴も自分が命じたかのように疑がわれて、何も知らない身に心地(ここち)よくない濡れ衣をきせられるのも口惜しく、ただでさえおもしろくない今日この頃、余計な魔がさして下らない心遣いを、馬鹿馬鹿しい清吉メのためにしなくてはならない苦々しさに、ますます心は穏やかでないが、ケジメを付けないで済むハズは無く、これも皆自然に湧いた事、何とも仕方ないと諦めていやいやながら十兵衛の家を訪れて、不慮の災難を慰め、且つ清吉を戒めることの足りないことを詫びてのっそり夫婦の様子を見ると、十兵衛は例の無言三昧(ざんまい)、お浪は女の物云いやさしく、「幸い傷も肩のは浅くてたいした事ではござりません、どうぞ心配下されますな、わざわざお見舞下されては実(まこと)に恐れ入りまする」と如才なく口はきくが、言葉遣いが改まって自然とどこか角があるのは、問わずと知れる胸の中に、あるいは源太が清吉に内々でさせたことと疑っているに違いない。
 「エエッ腹が立つ、十兵衛もおおかた俺をソウ見て居るだろう、早く時機(とき)よ来い、この源太の仕返しの仕方を見せてやる、清吉ごときケチな野郎のしたような事を何しようか、手斧で片耳を殺ぎ取るような下らない事を俺がしようか、俺の腹立ちは木片(こっぱ)の火がパッと燃え立って直ぐ消える、我慢も意地も無いような事ではすまない承知しない、今日の変事は今日の変事、俺の癇癪は俺の癇癪、全く別で関係ない、俺の仕方は知るときに知れ、悟らせる時に悟らせてくれよう」と、心の内に不平を抱くが露ほども外には出さず、義理の挨拶見事にすまして、すぐその足を感応寺に向け、上人にお目通りを願い、一応自分の身内の者の不始末を謝罪し我が家に帰り、サテそれからは鋭次に会ってその時に清吉を押えてくれた礼を述べ、その時の様子をも聞いて、また一ツには散々に清吉をののしり叱って、以後我が家に出入りは無用と云ってくれようと、家に立ち帰えり、お吉のいないのを不審に思い「どこへ」と問えば、「どちらかへ、一寸行って来ると云ってお出になりました」と、何食わない顔の婢の答え、口留めされているとは知らないで、「オオそうか、よしよし俺は火の玉の兄貴のところへ遊びに行ったとお吉が帰ったら云ってくれ」と、草履突っかけての出合いがしら、胡麻竹(ごまたけ)の杖トボトボと焼け痕のある提灯を片手に、老(おい)の歩みの見る目おかしくヨタヨタとこちらへ来る婆さん、「オオ清吉のお袋ではないか」、「ア親方様でしたか」。

注解
・胡麻竹の杖:クロチクの一種。幹はやや黒みがかり黒紫色の斑点がある。

       その二十八

 「アア好いところでお眼にかかりました、何方かへお出掛けでござりまするか」と、せわし気に老婆が問うのに源太はかるく会釈して、「マア好いは、遠慮しないでこちらへ入りなさい、わざわざ夜道を拾って来たのは何ぞ急の用か、聴いてあげよう」と立ち戻れば、「ハイハイ、有り難うござります、お出掛のところを済みません、御免下さいまし、ハイハイ」と云いながら、後にしたがい格子戸をくぐり、「寒かったろうに能く出て来たノ、生憎お吉もいないので構うことも出来ないが、縮こまっていないでズッと前へ出て火にあたるがよい」と、親切に云ってくれる源太の言葉にいよいよ身を堅くして縮こまり、「お構い下さいましては恐れ入りまする、ハイハイ、懐炉を入れておりますれば、これで丁度よくござりまする」と、意久地(いくじ)なく落ちかかる鼻水をしわの寄った半天の袖で拭きながら、遠くはなれた入口近いところに蹲り何やら云い出したそうな素振り、源太早くも大方を察して、サゾかしと老婆の心中が気の毒で堪らず、余計な事をやらかして自分をイライラさせた清吉のお先走りを懲らしめて、当分は出入りを禁じると云いに鋭次のところへ行こうとした矢先だが、見れば我が子以外に阿彌陀様より他(ほか)、親しい者も無いであろう孱弱(かよわ)い老婆があわれで、「俺が清吉を見放せば、身は腰弱弓が弦を切られた心地となって、生き甲斐のない命に長生きする張りも的も無くなり、どんなに悲しみ歎いて、永くもない余生を愚痴の涙の時雨に暮らし、晴々とした気持のする日もなく終ることだろう」と思いやれば、思いやるほど気の毒になり、煙草ひねって何となく思いいると、婆さんは少しにじり出て、「夜分に参りまして実にすみませんが、あの少しお願い申したい訳のござりまして、ハイハイ、既に御存知でもござりましょうが、清吉メが飛んだ事をいたしましたそうで、ハイハイ、鉄五郎様から大概は聞きましたが、普段からして気の早い奴で、直ぐに打つの切るのと騒ぎましてその度(たび)にヒヤヒヤさせまする、お蔭さまで一人前には成っておりましても未だ子供のように真一刻(まいっこく)、悪いことや曲ったことは決して仕ませんが、取りのぼせては分別が無くなる困った奴で、ハイハイ、悪気は夢にも無い奴でござります、ハイハイそれは御存知で、ハイ有り難うござります、どういう経緯(すじ)で喧嘩をいたしましたか知りませんが、大それた手斧なんぞを振り舞わしましたそうで、ソウ聞きました時は私が手斧で切られたような心持がいたしました、め組の親分とやらが幸い抱き留めて下されましたとか、マアせめてもでござります、相手が死にでもしましたらあいつは下手人、わたくしは彼(あれ)を亡くしては生きている瀬はござりません、ハイ有り難うござります、彼(あれ)メが小さい時は烈しい虫持ちで苦労をさせられましたのも大抵ではござりません、ようやく中山の鬼子母神様の御利益で満足には育ちましたが、癒(なお)りましたら七才までに御庭の土を踏ませましょうと申しておきながら、ついアレヤコレヤにかまけてお礼参りも致させなかったそのお罰か、丈夫にはなりましたがあの通りの無鉄砲、毎々お世話をかけまする、今日も今日とて鉄五郎様がコレコレとかいつまんで話されました時の私の驚き、刃物の準備までしてと聞いた時には、エエッまたかと思わずドッキリ胸も裂けそうになりました、め組の親分様とかが預かって下されたとあれば安心のようなものの、清メは怪我はいたしませんかと聞けば鉄様の曖昧な返辞、別段のことはない心配するなと云われるだけになお心配で、その親分の家を尋ねれば、そこへお前が行った方が可(よ)いか行かない方が可いか俺には分らない、ともかく親方様のところへ伺って見ろと云いっ放しで帰って仕舞われ、ますます胸がシクシク痛んで、居ても起ってもいられませんから、留守を隣家の傘張りに頼んでようやく参りました、どうかめ組の親分とやらの家を教えて下さいまし、ハイハイ直ぐに参りまするつもりで、どんな態(ざま)しておりまするか、若しや却って大怪我などしているのではござりますまいか、よいものならば早く逢って安心しとうござりまするし、喧嘩の模様も聞きとうござりまする、だいじょうぶ曲った事はマサカ致すまいと思っておりまするが若い者のこと、ひょっとして思い違いした事ならば、相手の十兵衛様にマズこの婆が一生懸命に謝罪して、婆はたとえドウされても惜くない老いぼれ、生(お)い先の長い彼(あれ)メが人様に恨まれるようなことの無いようにしなければなりません」とトロトロ涙になっての話、事情を知らずに一心に我が子を思う老の繰り言、この返答には源太も困った。

注解
・虫持ち:虫(夜泣き、かんしゃく、ひきつけなどの乳幼児の異常行動)を持っていた。
・中山の鬼子母神様:千葉県下総中山の法華経寺の鬼子母神。
・傘張り:唐傘張りの職人。

       その二十九

 「八五郎そこにいるか、誰か来たようだ開けてやれ」と云われて、「なんだ不思議だナ、女らしいぞ」と口の中で呟きながら、「誰だ女嫌いの親分のところへ今頃来るのは、サア入んな」とガラリと戸を引き開ければ、「八ッさんお世話」と軽いあいさつ、提灯を吹き消して頭巾を脱ぎにかかるのは、この盆にもこの正月にも心付けをくれたお吉と気が付いて八五郎めんくらい、素肌に一枚褞袍(どてら)の裾前が広がって鼠色になったフンドシが見えるを急に押し隠しなどして、「親分、なんの、あの、なんの姉御だ」とせわしく奥へ声をかけると、なんの尽しで解る江戸ッ子。「オウそうか、お吉が来たか、よく来た、マアその辺の塵埃(ごみ)の無さそうなところへ座ってくれ、油虫が這って行くから用心しな、野郎ばかりの家は不潔なのが見栄だから仕方ない、俺もお前のような好い嚊(かか)アでも持ったら清潔(きれい)にしようよ、アハハハ」と笑えばお吉も笑いながら、「ソウしたらまた不潔不潔と厳しくお叱りなさるか知れない」と、互いに二ツ三ツ冗談話をした後で、お吉は少し改まり、「清吉は寝ておりまするか、どういう様子か見てもやりたし、気にかかるので参りました」と云えば鋭次も頷いて、「清吉は今はスヤスヤ寝ついて起きそうにもない様子じゃが、別に傷があるでもなし頭の骨を打ち破ったわでもないので、整骨師(ほねつぎ)の先生が云うには、烈しく逆上したところを滅茶苦茶に撲(ぶ)たれたため一時は気絶までしたが、大したことはないと保証した、見たければ一寸覗いてみろ」と、先に立って導く後について行くお吉、三畳ばかりの部屋の中に昏々(こんこん)と眠っている清吉を見ると、顔も頭も膨れあがり、このように撲った鋭次の酷さが恨めしいほど憐れな態(ざま)だが、済んだ事は仕方ない、座に戻って鋭次に対して、「良人はキット清吉の余計な手出しに腹を立て、御上人様や十兵衛への義理の手前もあり、ひどく叱るか出入りを禁ずるか何かするでござりましょうが、元はと云えば清吉が自分の意恨でしたのでは無く、畢竟(つまり)はこちらのために思い違いして腹が立ち、遂ムラムラとしただけのこと、私はドウも良人(うち)のすることを見ているばかりでもいられず、特に少し訳もあって私がドウしてもしてやらなければ、この胸が済まない理由もあり、ソレやコレやをいろいろ考えた末に浮んだのは、一年か半年ほど清吉にこの土地を離れさすこと、人の噂も遠のいて良人の機嫌も治ったら取り成しの仕ようは幾らも有り、マズそれまでは上方辺りで遊んでいるようにしてやりたく、旅路の金も調(こしら)えて来ましたので少しですがお預け申します、何卒よろしく云い含めて清吉メにやって下さりませ、良人はあの通り表裏のない人、腹の底ではドウ思ってもキットつらく清吉に一旦は当たるに違いなく、手加減なしに叱りましょうが、その時はたとえ清吉が何を云っても取り上げないのは知れたこと、傍から私が口を出しても義理は義理で仕方がないし、だからといって慾で仕出かした罪でもないのに、男一人を見放して知らん顔ではドウしても私がおられません、彼(あれ)の母のことは彼(あれ)がいなくなれば良人にも話して扶助(たすけ)ることに厭(いや)は云わせません、また厭というような分らないことを云いもしますまいから心配ないが、私が今夜来たことや蔭で清をいたわることは、良人へは当分内緒にして」、「分った、えらい、もう用は無かろう、お帰りお帰り、源太が大抵来るかも知れない、出っくわしてはマズかろう」と、愛想は無いが真実(まこと)のある言葉に、お吉はうれしく頼みおいて帰れば、その後へ引き違いにくる源太、はたして清吉に出入りを禁止する師弟の縁を断つとの言い渡し。鋭次は笑って黙り、清吉は泣いて詫びたが、その夜源太が帰った後、清吉は鋭次にまた泣かせられて、「犬になっても私は姉御夫婦の門辺(かどべ)は去らない」と唸った。
 四五日過ぎて清吉は八五郎に送られ、箱根の出湯(いでゆ)を目指して江戸を出たが、それより辿(たど)る東海道、至るは京か大阪の、夢はいつでも東都(あずま)であろう。

注解
・褞袍:綿の入った広袖の長着、丹前のこと。
・鋭次にまた泣かせられて:鋭次にお吉のことを聞かされて申し訳なさと感謝の気持ちでまた泣いた。
・門辺は去らない:傍を離れない。
・至るは京か大阪の:行くのは京都か大阪であるが。
・夢はいつでも東都:寝て見る夢は何時も江戸のことであろう。

       その三十

 十兵衛が傷を負って帰った翌朝、何時ものように早く起き出すとお浪は驚いて急いで止めて、「マアとんでもない、ゆっくりと寝ておいでなされおいでなされ、今日は特に朝風が冷たい、破傷風にでもなったら何となさる、どうか寝ていて下され、お湯ももうじき沸きましょうから、うがい手水(ちょうず)もそこで私(あたし)がさせてあげましょう」と、破れ土竃(へっつい)にかけた羽欠釜(はかけがま)の下を焚きつけながら気をもんでいうが、一向平気な十兵衛は笑って、「病人扱いされるほどの事ではない、手拭を絞ってもらえば顔も一人で洗ったほうが好い気持じゃ」と、箍(たが)の緩んだ小盥(こだらい)に自分で水を汲んで、別段悩む様子も無く平時のように振舞えば、お浪は呆れ且つ心配するが、のっそりは少しも頓着しないで朝めしを終って立ち上り、突然衣物(きもの)を脱ぎすてて股引腹掛を着かかるのを、「飛んでもない事どこへ行かれる、どれほど仕事が大事じゃとて、昨日の今日では傷口も合わず痛みもとれまい、楽にしていろ身体を使うな心配ないが治癒(ちゆ)するまでは用心第一と云われた、お医者様の言葉さえあるのに、無理を押して感応寺に行かれる心か、強情過ぎる、たとえ行っても働きはできまい、行かなくても誰がとがめよう、行かなくては済まないと思われるのなら私が一寸ひと走り、お上人様にお目にかかって三日四日の養生を直々に願って来ましょう、お慈悲深いお上人様が御承知なされないハズがない、きっと大切にせい軽挙するなと仰ることは分かりきったこと、サア衣(これ)を着て家に引っ込み、せめて傷口がすっかり治るまで落ち着いていて下され」と、ひたすら止めて宥(なだ)めなぐさめ、脱いだのを取ってまた着させれば、「余計な世話を焼かなくてもよい、腹掛けを着(き)せろ、これは要らない」と利く右の手ではねのける、「マアそう云わずに家にいて」とまた着せる、はねのける、男は意地女は情、果てしない言葉争いに流石ののっそりも少し怒って、「訳の分らない女のくせに邪魔立てするのか忌々しい奴、よしよし頼まない一人で着る、たかが知れた蚯蚓(みみず)膨(ば)れで一日でも仕事を休んで職人共の上に立てるか、お前は少しも知るまいがノ、この十兵衛は愚かで馬鹿と常々云われ、職人共が軽く見て、眼の前では俺の指図に従い働くようだが、蔭では勝手に怠けるやら謗るやら散々馬鹿にしていて、表面(うわべ)こそ装っているが、誰一人本当に仕事を好くしようという意気組を持って、やってくれる者はいないハ、エエッ情けない、どうにかして虚飾(みえ)なしで骨折ってもらいたい、仕事に油を乗せてもらいたいと、諭せば頭は下げながら横向いて鼻で笑われ、叱れば口では謝られ顔では怒られ、遠慮して下手(したて)に出ればすぐに増長される口惜しさ悲しさ辛さ、毎日毎日、棟梁棟梁と大勢に立てられるは立派で可(よ)いが腹の中では泣きたいやうな事ばかり、いっそ穴穿(ほ)りにでも使われた方が苦しくないと思うくらい、その中で何んとかこの日まで運ばせて来たのに今日休んでは大事がつまづく、胸が痛いから早帰りします、頭痛がするので遅くなりました、と皆に怠けられるのは目に見えている、その時自分が休んでいては一言も云えない、仕事が雨垂れ調子になって出来るものも仕損なう道理、万が一にも仕損じてはお上人様や源太親方に十兵衛の顔が向かられようか、コレ、生きていても塔が出来なければナ、この十兵衛は死んだも同然、死んでも仕事を仕遂げればお前等の夫や親父は生きておるわい、二寸三寸の手斧の傷で寝ていられるかいられないか、破傷風が怖ろしいか仕事の出来ないのが怖ろしいか、万一片腕を奪られても一切成就の暁までは駕籠に乗っても行かないではいない、ましてこれしきの蚯蚓膨れに」と云いつつお浪の手中より奪い取った腹掛に、左の手を通そうとして顰(しか)める顔を見れば女房も争えず、争い負けて傷をいたわり、ついに半天股引まで着せて送り出した心の中、何とも口では云い難い。
 十兵衛がまさか来るとは思わない職人共が、チラリホラリと辰の刻頃から来て見てビックリする途端、「精を出してくれるか、うれしいぞ」との一言を十兵衛から受けて皆冷汗をかいたが、これより一同は励み勤め昨日に変る身のこなし、一を聴いては三まで働き、二と云われて四まで動けば、のっそりは片腕が不自由になったが却って多くの腕を得て、日々に仕事ははかどって、肩の傷の治る頃には大方塔も出来上った。

注解
・破傷風:破傷風菌という細菌が傷口から入ることで起きる感染症。
・うがい手水:うがいと手洗い。
・土竃:鍋や釜などを加熱するための土製の竈。
・羽欠釜:竈にかける羽(胴縁)の付いた昔の釜を羽釜と云うが、その羽に欠けのある釜。
・雨垂れ調子:仕事が流れるように連続しないで、ポツリ、ポツリと間をおいて行うようす。
・駕籠:前後から人が担いで運ぶ江戸時代の乗り物。


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