幸田露伴の随筆「蝸牛庵聯話・苜蓿③」
李時珍における苜蓿との因縁の何と珍しいことか。時珍はラウファーの批判に遇う前に、既にいち早く歙(きゅう)の程瑤田に批判される。瑤田は本草や樹芸の学を為す者ではないが、「爾雅」を考究するついでに目宿を論じて、時珍が「苜蓿は黄花を開く」と云ったことを間違いだとし、「時珍が苜蓿と云うものは水木犀である」として、「大きな間違いに気付かないのである」と喝破し、「皇清経解」巻五百五十二は瑤田の「釈草小記」を収録する。瑤田は云う、「時珍は黄州の人で、種子を北方に求めて木犀(もくせい)の種子を得て、それを用いて試植したのであろう。思うに北方の人の木犀と苜蓿との声音は互いに似ていて、しかも木犀と苜蓿は共に一枝三葉でたまたま同じである。時珍は違うものを誤認してその状態を図にし、これを書に記して、その大きな間違いに気付かないのである」と。瑤田の説は自己の実際の観察から出る。その言によれば、「草木犀は女人がこれを束ねて髻(もとどり)の下に押し当てて、汗をぬぐい取るものであり、南方に生えるものは清香がある」と云う。ここにおいて香りと苜蓿は関係する。しかしその目宿は真の苜蓿ではないと云うのでは、互いに関係しないということになり、大笑いである。思うに瑤田の言は過酷に過ぎる。水木犀は水木犀で苜蓿は苜蓿である。苜蓿には黄花のものもあり紫花のものもある。黄花のものは苜蓿ではないとしてはいけない。「本草綱目」がたまたま黄花を云い、「群芳譜」がたまたま紫花を云うことを以って、瑤田は黄花のものを水木犀としただけのことで、瑤田の学問がどうして婦女子の及ぶ知識程度のことにおいて、間違えることがあろうか。却って瑤田は、人に水木犀の種子を贈られて、そして怪訝に思ったのである。
苜蓿は馬がこれを嗜むだけでなく、人もまたこれを食すべきである。その性質は空中より養分を摂り、自ら養い、かつ地を養うと云う。思うに豆や紫雲英(げんげ・蓮華)の類である。明治の時、本願寺の僧の某は、于闐国(うてんこく)を過ぎる時に、同国の民が新たに土地を開墾するにあたって、先ず、頻りに苜蓿を植えているのを見たと記す。土地を養う効果があるためであろう。我が国では馬ごやしと呼ぶ。馬を健やかに肥すからであろう。それが支那から入ったことは疑いない。しかしながら「和妙類聚抄」を見ると、「おほひ」の倭名が載っている。語形は我が国のもののようだ。この物が繁茂して地を蓋うことから、蓋覆掩蔽(がいふくえんぺい)の意味から名を得たものか。であるならば、「おほひ」を用いて名付ける物は多いようであるが疑わしい。そしてまた「おほひ」の語の用いられた例を知らない。「淮南子」に「穴+友」の字があり、音は寅(いん)で原人の意味である。ただ昔から現在までこの字は一度用いられただけで「康熙字典」にも載っていない。「おほひ」は「和妙類聚抄」がこれを載せているだけで、未だ用いられたことを知らない。文字や言語にもまた、珍しいものがあるものである。
注解
・程瑤田:中国・清代の儒学者。徽州府歙県の人。
・爾雅:中国最古の類語辞典・語釈辞典・訓詁学書。
・皇清経解:清の両広総督の阮元が編纂した叢書で、七十三家・一百八十八種の書籍を収める。
・群芳譜:二如亭群芳譜。中国・明の王象晉の著述、明代の栽培植物を紹介。
・本願寺の僧の某:
・于闐国:現在の新疆ウィグル自治区に在った国、首都は現在のホータン。シルクロード天山南路のオアシス国家。
・和妙類聚抄:平安時代中期に作られた辞書。
・淮南子:中国・前漢の時代に淮南王の劉安が学者を集めて編纂させた思想書。
・康熙字典:中国・清の康熙帝の勅撰により、漢代の「説文解字」以降の歴代の字書を集大成して編纂された字典。