人って脆いな。
こんばんは。
似非の弁が入り交じってるから、読みにくいしなんか読んでていらつくわ〜…って思われるかもしれない。先に謝っておきます。ごめん。なんとなくその言葉遣いで書きたくなってしまっただけなので、許して。
唐突に何?って思われそうやけれども、人間って案外脆いんよな。自分もそうだけど、強そうに見えているあの子も、見知らぬサラリーマンも、クレーマーのお客さんも、みんな脆さがあるのに、普段はそれに気づきもしないで接しちゃうこともままあるよね、って。
ほんでね、そういう人間の脆さ、危なさみたいなのを感じるときって、何もかもを無理やりに終わらせた時のような気がする。個人的にやけれども。
何かしらの出来事が終わって、それが円満に終わればええんやろうけれど、全部が全部、はい、めでたし〜!ちゃんちゃん!となる訳ではないし、寧ろ、うわぁ〜!!!!って感じちゃったり、神経が逆立っている時に限って嫌なことが連続して起きちゃって、それを何とかのみこもうとして、表面だけでも善人の面引き下げて愛想笑いで流そうと頑張って、がんばって…。がんばった、んやけどなぁ…、っていう。
やるせないよなぁ。本人もその本人を支えてくれた、見守ってくれた人にも。
自己が脆くなったとき、崩れちゃったとき、もうあかんってなったときはさ。そういう日もあるよ、って私は自分に言い聞かせながら沈んでいくんやけれども、寝たら割と忘れるんですよね。脳はそら傷つくんで、記憶としては残っちゃいますが。
でもね、その時々の猛烈な痛みだとか、悲しみだとかは、ひきずらないというか、引きずったところでどうもならんし、傷ついてもこれからも傷つくことなんて山ほどあるやろうし、っていうのを脳がこれまでの経験から学んで、わかった上で消そう、消そう、と処理してくれている結果なんやろうな〜…と思っています。
けど、身の回りの人とか、推しとか、自分が好意的に思っている知人が、その脆さを体感してなんとなく辛そうにしていたり、悲しみに明け暮れていたり、そういう場面を見るとさ。なんか、どうしても、やるせんなぁ…って、思っちゃうのよね。別に私ができることなんてミリっぽっちもないから、そう思うだけ傲慢とちゃう?とも思いますけれども。
そういうときに、なんとなく自分がおるよ、って存在を示すことで、その人の心が何となくおちついたり、ちょっとだけ寂しさや辛さが紛らせたらええなぁ…とは思います。そういう存在として、私が今を生きられていたらいいな、と思う。
何があったとかではないんやけどさ。忘れんようにしようって思うことが多い人生です。これからも続くよ。よろしくね、ってことで。〆!
ご拝読ありがとうございました。