けものフレンズ2の1話感想
・1話「きおくのかなた」感想
コールドスリープ(?)から目覚めたかのような描写。OPは省略。
カラカルとロバの会話が始まるけれど、いきなり無関係の得意なこと自慢に夢中になっているロバに不安になる。敵を目撃してから記憶力が関係するほどの時間が経過している? それなら対象も移動しているのでは? カラカルの方も自分の特徴を自ら説明するのが工夫がないし、エピソードが絡まないため印象に残らない。
場面は変わって、主人公と最初に出会うのはカラカル。「見慣れない顔ね」も「あんた何のフレンズ?」からの矢継ぎ早の質問も一方的に話しかけているだけで会話は成立しておらず、その点で前作と大きく異なる。、作品のつかみとして弱いし特徴もない。出会いのシーンを思い返したときに、けもフレ2で二人が「最初にしたお話」は何だったのか記憶している人はかなり少ないでしょう。
セルリアンと遭遇後、ひとまず「逃げる」という、前作では何度か見たがけもフレ2では珍しい行動を選択。この時はまだカラカルがまともに見える。二匹のセルリアンはかけつけたサーバルがあっさり粉砕して再び会話に。前作では弱いと言われていたサーバルなのに、カラカルが逃げを選ぶほどの相手を倒せるなんて……彼女が強くなったのか別個体なのか、まだこの時点では判断不能。
会話中に少年のお腹の音が鳴ったことで腹音が名前に決められてしまう。独特のシルエットや変わった音が名前の由来になることはよくありますが、今回は不自然な人工音に聞こえるために音声ありで視聴するとキツイです。キュルルという音に聞こえない。字幕のみなら多少は違和感を軽減可能だったでしょうか?
そんなチープな完成度という印象は次の一期オマージュで吹き飛びます。
>た、食べないで―(おふざけ声で)
そのセリフは、前作視聴済みであれば特別に感じる言葉です。一期ではその短い言葉にいくつもの意味があった。フレンズとヒトは捕食関係でないと端的に否定する導入部、自己犠牲として「食べるならボクを」と命乞いの口癖が変化した成長と友情、思い出として語られる最初の会話、建前がなければフレンズの会話に参加できないボスを仲間に入れるためにセットで使われた言葉。そんな価値のある言葉を単なるギャグとしてだけ使って終わるのは、前作ファンへのサービスがゼロを通り越してマイナスです。ここぞという場面で使えば感動も呼べたはずなのに、もったいない。仮にギャグのつもりであったとしても、雰囲気作りに失敗しているため笑いが起こらない。
さて、作品を象徴する名言をギャグで使い捨てた代わりに本作品で頻出するのは「ケモノじゃない」という発言です。第一話でもこの台詞は登場します。主人公は自分がヒトという確信は持たないものの、何故かケモノではないことには確信を持っている。この主人公の発言は前作で掘り下げたものより浅い思想に退化していると感じられる。前作でヒトは「動物」の一種でした。動物とヒトを隔絶する構図にはならず、支配者でも奉仕者でもない。カバンがヒトを探す理由さえヒト独自のものではない、群れを作る動物が仲間を求めるのと同じくらいの普遍的な感情でしかなかった。
ヒトを特別扱いしない思考が既に前作で提示されているため、ヒトを特別扱いする目線からやり直しを強制されるのは退屈だし、この主人公には共感しにくいです。新主人公はまだヒトはケモノとは違うという認識なのか、前作では特権意識を持つことはなかったのにと残念に思ってしまう。
※もっと後の回にて、ヒトが動物に直接的な悪影響をもたらしていると示唆される場面が来ますが、そのことについて先に少しだけ書いておきます。この作品は、罪深きヒトをケモノの仲間扱いしてもらうわけにはいかない……なんていう謙虚な気持ちはありません。主人公にあるのはケモノより特別であるという驕りだけでした。
閑話休題。
サーバルがカバンと一緒ではない理由が不明のまま、別個体ではなく本人らしいのに記憶がないという衝撃の展開が語られる。これでは新主人公の曖昧な記憶よりもサーバルの反応や行動、顔見知りの様子の変化にしか目がいかなくなります。続けてヒトという手掛かりを思い出し、この主人公というよりも、むしろコールドスリープしていたらしい施設のことが気になり、新キャラより前作の重要キャラであるカバンとサーバルに何があったか教えて欲しい気持ちでいっぱいになる。このあたりの不満点は、サーバルのことを知らない完全新規であればただの説明不足扱いで終わるのでしょうか?
けっきょく最終回まで見ても原因は語られませんでしたが、この構成は(ファンの愛着という意味ではなく、物語を追いかけるのに前作で見た情報が邪魔になるという意味で)新規以外を切り捨てる行為に近いです。
いっそタイトルをけもフレ2とナンバリングせずに『キャシャーンSins』のように『けものフレンズSins』とでもしておけば、BADエンド版のパラレルワールドなんだと受け入れやすかったかもしれません。
謎の施設がゴールではない、帰るべきところは他にある、と旅の目的が設定されるシーン。「おうちに帰りたい」と主人公のイメージするものが物質的な家であり、家族やほかの人間がイメージ映像化されない。ここも首をかしげるところでした。カバンの場合は仲間とそれらが住んでいる土地は不可分のまま語られていた(モノローグやイメージ映像は使われず、だからカバンは仲間や住みかがどんな外見をしている記憶を持っているか等が視聴者に伏せられていた)。人類絶滅説と同時に「ヒトに適した地方」の概念を教えられて初めて、仲間と住みかが分離されました。適した地域に住んでいるかもしれないし、違うかもしれない。今回はそれが最初から当然のように分離済みになっていて、しかもヒトの絶滅を知っているかのように家だけ想起することに違和感がある。迷子が家族のことを考えないで、いきなり家だけを懐かしむのは不自然です。人の顔が思い出せなかったり認知できなくなる病気があるのは知っているものの、フレンズの顔は見分けがついていますし、記憶喪失だからといっても自分に近い姿をした群れをイメージしないのはやはり変です。家だけあっても孤独のままでは、謎の施設と「あたたかみ」は大差ないでしょう。明るい、あったかいを言葉通りにサバンナの気温より暖かい場所と解釈せずに、抽象的な表現を理解しているかのように振る舞う二人のフレンズも、知性が安定せず乱高下しているようで不満です。まるで複数人で脚本を書いていてその全体を統括する人間がいないかのように、頻繁にキャラクターの知的レベルがぶれている。
手掛かりのスケブ(後述)を見つけ、カルガモ(マガモ?)と出会う。いや、これはマガモなのでは? アプリ版からのエプロン姿=有袋類の法則も崩れているため、ここでも古参をふるい落としに来ています。
ともかく彼女の案内で次の目的地に向かいますが、大地にわずかな溝があり、跨ぐ事が可能な程度でありながら過度に危険と言われる。飛び越せて当たり前なのにやたらと褒められ、まるで幼児であるかのような扱いに困惑させられます。漫画版(内藤版)では遊びとしてやっているため多少受け入れやすいものの、大真面目にこれを試練として描かれると「たいしょうねんれい5さい」のアニメなら深夜に放送しないでよとついつい口汚く言いそうになります。
目的地に到着後、風化している景色から面影を見出す一行。本作品では数少ない、真面目に劣化を描いているシーン(その代わりに他のシーンとで経年劣化の設定が食い違ってしまうが)ですね。謎のアルマジロコンビが施設を調べるシーンが挟まるけど、これはアライさん達の代替なのかな?
主人公視点に戻り、大きなセルリアンが登場する、カルガモの擬傷というワザで敵の注意を引く……うん、この場面だけ見れば(もちろんサーバル達に何があったかの謎は忘れるという前提で)大きな問題はないように見える。前提が無理難題というのはさておき、前作を見ていない新規なら平気。
主人公がカルガモ(マガモ)の案内に対してお礼に絵を描く行為はちょっと共感しにくいですね。というのも、プレゼントするまで誰からも絵が上手と評価されていないんです。しかもサーバルが「すっごーい」と言うだけで、カルガモ(マガモ)本人は無事に案内できたことを大げさに喜んでいて、絵に対しての感情がどうなっているか判断が付きにくい。そもそも、感動したと言われても先ほど狭い溝をジャンプするシーンであまりに過大評価しすぎたせいでその「感動」という言葉が軽くなっているんです。脚本家は「案内できた人数」を絵に反映させているからこそ彼女は喜んでいるのだと解釈して欲しいのかもしれませんが、何をやっても感動したと言われたし、カラカルも言うように険しい道のりじゃなかったという明確な事実があるため、よかったネという気分になれませんでした。せめて出発前に描き上げたうえでゴールしてからその絵をプレゼントなら、生き残った者だけを描いたのではなく、最初からのメンバーと照らし合わせて全員生存をチェックするのを兼ねることもできたはずなのですが。
ラッキービースト亜種が出てくるのは悪くないですね。前作は量産型であることに大きな意味があったためにボスの外見は無個性でしたが、ストーリーのために無個性が必要とされないのなら、地域差を出すことで画面に変化が生まれる、いいアイデアです。本編さえまともなら活かせる可能性はあった。ラッキービーストがボスのように「無理だよ」と喋るのはファンサービスだったのかな。意味ありげな謎のフレンズがセルリアンを倒してくれて、ピンチを脱してからカルガモも無事だと分かる。後の残酷な展開を知らない初見(かつ一期未視聴)なら「とても退屈だったけど、アンケートの最低記録を更新するほど駄目だったか?」と言ってもらえるかもしれない締め方ですね。基本的にけもフレ2は行動描写からその行動の問題点が表面化するまでに時間がかかるため、汚点を隠して先延ばしにしている序盤は「後の展開に期待」と言ってしまえる、だから前作を見ないままこちらの1話だけ見たなら、まだそれほど嫌悪することはないでしょう。退屈ではあるけれども。
予告(通称本編)
コーヒーゼリーとPPP(ペンギン)達。
フルルの「まぜちゃえー!」からのアルパカ達のリアクションがいいですね。おそらく五分アニメとしてこの予告パートのみで構成するのが、二期製作陣でもできる次善の策だったはずだと思われます。この予告パートにすらダメな回もありますが、今回は当たり回だったと思います。
さて……今後の展開に少し触れたり、脱線するところも多いので後回しにしたシーンについて触れます。手掛かりとしてスケッチブックが登場するシーン。(何故か自分の描いた絵だとわかる)謎解き要素が盛り上げてくれる可能性のあるアイテムですね。
しかし、第一話ではまだ問題が可視化されないものの、数話進むとアイテムの使い方が拙いを通り越して大失敗しているのを誰もが感じ取ります。絵が順番に並んでいるため、途中経路を省略してゴールを最速で探すという発想が当然あるべきなのにそれがない。モノレールの線路が壊れていても次の目的地は線路沿いにあると推測するのが普通でしょう?
ショートカットは試そうとしてから失敗したほうがいいんです。ゴール候補が複数あるので途中の絵をたどりながらでなければ正解はひとつじゃないのでわからないとか、いきなりゴールでは記憶が戻らないとか。あるいは「次の駅」がスケブの示す次の目的地ではないかと推測したのが大当たりでも構わない。だというのに、彼らは一度も省略しようとせず、また順番通りの旅でも主人公の記憶を段階的に取り戻せるわけでもない徒労感のせいで、順路を示す絵を意味のない引き延ばしツールに感じてしまう。しかも、なぜか事故で迂回したはずのルートの絵が事前に描かれている……。
この後の四話及び五話で「事故が原因でルート変更」するなどの偶然が重なりながらも、何かに導かれるようにスケブの絵が示す目的地が待っているのは「その謎に何も理由が設定していない」のを知らない視聴者を期待させる要素ですね。やっと面白い要素が出てきたとワクワクする人もいると思います。しかし残念ながら、4話でルート変更しながらもスケブ(予言書)が主人公を導き続けたことに誰かの意思や理由はなかったのです。スケブの最初のページが旅のスタート地点のそばになっていて徐々にそこから遠ざかるのにも関わらず、主人公が眠りについたのがそのスタート地点の施設である奇妙さも、線路から外れた地域の絵が何故か事前に描かれていたことも、本編には考察する材料も正解もまったく設定していなかった。これは2話や4話が虚無と感じる直接的な理由の一つになっています。何の手掛かりも使わずに勝手に妄想するしかないため、無駄にミステリー的な要素をにおわせる描写をしているのがかえって落胆を生む結果につながっている。
1話の感想はひとまずこのくらいで。次は2話を見ます。いくつか先取りして話してしまった状態ですが、あの虚無回を見て果たして何か語ることがあるのか……
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