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エンタメなんだから、好きでいいじゃん。

僕はエンタメが好きだ。
特に小説と邦楽バンドが好きだが、それに限らず漫画、映画、お笑い、演劇、ラジオあたりは全部好きだ。
少なくとも、自分ではそう信じている。

だけど、なんとなくそれを公言するのは怖い。
そもそも「エンタメ」って括り自体が曖昧だし、エンタメが好きな人たちは怖い人がたくさんいるからだ。
これはエンタメに限った話ではなく、何かを「好き」というのはかなり難しい。

「〇〇好きってことは、当然これは知ってるよね?」みたいな教養チェックをされる。

例えば、「エンタメが好き」と言えば、絶対に90年代の名作洋画のタイトルをつらつらと並べられる。『ターミネーター2』の…とか『パルプ・フィクション』の…とか。
映画に限らず、本でも『蛇とピアス』の…とか村上龍の…とか。
音楽だとRadioheadとかハヌマーンあたりをチェックされる。

最近だと『ルックバック』とかも観てない奴はエンタメ語れないみたいな雰囲気出てきてる。

この風潮に一言物申したい。

うるせ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!


こちとら娯楽としてエンタメ見てんだよ。
楽しむためにエンタメ見てんだよ。

それがなんだ、「エンタメ好きです」っていった瞬間に急に教養バトルが始まる。「え、あれ見てないの!?」じゃねえんだよ!!

おすすめするなら全然いいけれど「それ見てないのヤバいよ〜」って風潮なんなんだよ!!!

娯楽!

てか、そんな30年前の名作を観てるわけがなくない!?
俺、そういう名作を観てるやつも観てるやつだと思うし。

わざわざ30年前の映画を観てるようなやつは、全然純粋にエンタメとして観てないから。
ファッションとして観てるから!!

そりゃ今の40代とか50代が若者だったときはエンタメだったのかもしれねえよ!?
だけど今やそいつは古典だから!!
正直『パルプ・フィクション』とかって、俺ら世代からすると『平家物語』とか読むのに近いものあります!

そもそも、そんな名作だったら現代の作品にその要素が組み込まれてるんだよ!
例えば二郎とかでも、三田本店に食べに行かなくても、関内とか神保町で美味しいだろ!?
そういうこというと「それぞれの個性が違う」とか「元祖を知らないで語るな」とかいう人がいるけれど、

食事もエンタメも美味しかったらそれでいいんだよぉ!!!
てめえらがマウント取るための道具じゃねえから!!!!

第一、マウントを取るための道具としてエンタメを扱い始めたら、その時点でエンタメが死んじゃうだろ?
マウントなんて取らなくていいんだよ、知らないなら「面白いよ!」って言って好きな理由を説明すればいいんだよ!!

自分がなんで好きかも分からないのに「名作だから」っていう理由で見るのは絶対に違う!
というより、「名作」という枕詞を付けないと観れないくらいの作品は、時代に淘汰されたと考えていいだろ!

令和になっても「昔使ってたから」という理由だけで洗濯板や五右衛門風呂を使い続けているようなものだよ!
もちろん、そういうのには風情があるから残していいとは思うよ!?
でも、そこにはちゃんと「風情」という理由があるだろ!

そういうことを、ちゃんと理解してないのに、「名作」っていう理由だけで映画を観たり音楽を聴いてたら、その時点でそいつらは死んじゃうから!!!


ちょっと声デカすぎて上の階の人から怒られたんで、静かにします。


なんで良いのか、なんで好きなのかを分かっているファンがいて欲しい。
どの時代にも。

それは、言語化できなくてもいい。
だって音楽や映画がいいのは「いいから」としか言いようがないし、全部説明しようとすると、それは岡田斗司夫批評家もどきみたいになっちゃう。

でもね、その「いいから」って感覚がちゃんと自分の心から出てきているのもなのかを確認した方がいい。
周りに流されていいと思った作品だけを追ってたら、もう何にも楽しめなくなっちゃう。

自分の感覚を大切に。


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