「文章が上手い」は強みになりうるか
文章が上手い人のデメリット
ネットを見ていると、文章が上手い人をたくさん見かける。
特にTwitterとnoteには文章が上手い人が多い。
でも、文章が上手い人は、余計に人生が辛い気がする。
そしてインターネット上で彼らは、かなりの確率で社会に対する恨み辛みを書いている。
仕事先の話や高校に馴染めない話、友達ができない話や両親との軋轢など。
文章がうまくて論理展開ができるが故に「如何に自分はダメな人間か」を分析して、泥沼にハマっていく。
ブログやXに書く前に友達と飲みに行って、バーっと愚痴って忘れるのが絶対にいい。
しかし彼らは文章が上手いが故に、自分のダメさを社会に届けたいという義務感に駆られる。せめて自分の無能さを作品に昇華させようという表現力を持ち合わせている。
結果、自分だけが傷ついてしまう。
現代社会にとっては、文章が上手い人は足枷になっていると思う。
メリットは?
文章が上手い人のメリットは少ない。
小説家や新聞記者など、文筆業に就けるなら良いが、なかなか狭き門だ。
ビジネスメールのやり取りで、ちょっと文面が丁寧ということだろうか。
しかし文面の丁寧さなど、少し練習すれば誰でも身につけられる。
普段から読書する習慣が身についている人も多いかもしれない。
でも、読書が具体的なメリットをもたらすケースを見たことがない。
読書って「本読んでる人偉いよね」にはなるけれど、具体的なメリットが存在しない。
古典文学の話についていけたり、物知りだったり、語彙力が高かったり。
その程度にしかならない。
人生が豊かになる、というのはあると思う。
でもそれは個人的なメリットでしかない。具体的に給料が上がったり、人事評価が上がったりはしない。
それなら読書ではなく、英語や簿記、プログラミングといった専門性の高い勉強をして、スキルとして極めた方が、"社会的には"良い。
では、どうすれば良いのか
ここまで、文章が上手い人はデメリットの方が多いと書いてきた。
かといって、文章が上手い人は文章を書くのを辞められない。
文章を書くのが好きだから書いているからだ。
金にもならない、時間だけかかる、評価もされない。
それでも書くのは好きだから。
だから文章を書くのを辞めることはできない。
ではどうすればいいのか。
答えはシンプルだ。
小さなコミュニティに所属するのが一番良い。
身内同士で、文章を書くのが好きな人たち同士で、評価をしあう。
同人コミュニティに所属する。これが一番良い。
お互いに新作の投稿を待って、褒め合って、また次の新作を作る。
それで良い。
実際に、僕のnoteはそうなりつつある。
1ヶ月ほど投稿を続けたら、徐々にnoteでの知り合いが生まれはじめた。
まだ少ないけど、伸ばすつもりはあまりない。
そのくらいで良いと思う。
創作で稼ぎたいなら、生計を立てたいなら、同人コミュニティには入らない方がいい。
プロを目指すなら、知り合い同士で褒め合うのは意味がない。
傷の舐め合いになる。
だから、もっと本気でプロを目指す仲間を集めた方がいい。
それか、一人で黙々と作り続けた方がいい。
でも、創作を趣味で良いと割り切るのであれば、友達を作った方がいい。
一番まずいのは、文章を書くことを趣味にするか仕事にするかを決めないことだ。
どっちつかずで、金にもならない、金にするつもりもない文章を一人で書き続ける。
当然評価されることもないので、勝手に精神をすり減らしていく。
「文章が上手い」は強みにはならない。
だが、それに応じた人生の楽しみ方は出来る。
文章が書けない人と比べて、1つ多く「好きな人たち同士で楽しむ」という選択肢を持っている。
創作で行き詰まっている人は一回、純粋に作品を共有して楽しめる仲間を作ると良いかもしれない。