社会人2年目、ヒッチハイクをした話
社会人2年目お世話になった会社を退職し、フリーランスになった。フリーランス最初の仕事は大阪のものだった。
1度行けば成り立つ仕事だったが、より良いものを作るためにどうにか2度いきたい。
いただいた交通費は1度分、自分で出せなくはないが東京から大阪まで安くはないし、悩ましいところ。どうしようかな。
そんな相談をライブ配信でしたら『ヒッチハイクでいったら?』と冗談でリスナーに言われた。
最初は完全に笑い流してた。「えー?ヒッチハイク!?無理じゃない!?」なんて言ってたのに。
配信が終わってからはもう、ヒッチハイクのことで頭がいっぱいだった。
どうやってやるんだろう。できるのかな。時間かかるよね。しんどいんじゃない。無理でしょ。
いやでも、私の人生でヒッチハイク経験しないで死んでいいの?!?!(死なない)と思い始めたらもう止まらなかった。
ライブ配信では「リスナーのみんなが、各サービスエリアに迎えにきてくれたら、大阪まで行けたりしないかな!?」
なんて冗談を言いながら盛り上がっていたが、実際は全く知らない方々に助けてもらった波乱の10時間だった。
大雨ヒッチハイク、スタート
生憎スタートは大雨で、
「今日無理では…???」
「なぜヒッチハイクをしなければならないのだ…」
と自問自答モード。
前日の夜も、何が楽しくて明日ヒッチハイクなんてするんだ。って思ってた。こういう気持ちになる理由を私は知っている。
できないと思っているからだ。全くもってできる気がしない。できないからくるやりたくないという気持ちが、ただでさえ時間のかかるメイクをさらに遅くする。
でも今日やらなければ一生やることがないヒッチハイク。
雨だろうとできない気がしようと関係ないと腹を括り、⏰14時頃、あまりにスタートが遅すぎる、人生初ヒッチハイクがスタートした。
ヒッチハイクの聖地"用賀IC"をスタートに選び、ゴールは大阪の難波にした。
出発は用賀ICから
雨の中初めてのヒッチハイクがスタートした。自分が作った行き先ノートを渋々鞄から取り出した。恥ずかしい。
目立つこと第一優先で各ページにカニやタコなど生き物までつけてしまった。🦀
恥ずかしいのは初めだけだから。そう言い聞かせながらノートを掲げた。10分も立った頃には慣れてきて、恥ずかしさよりも誰か乗せてくれという気持ちが強くなってくる。
何事も最初が難しい。
立っているうちに思ってくる、そもそも最初はここで良かったのか。前日に調べたヒッチハイク経験者の方の記事では、ローソン前の方が良いと書かれてた。確かにその方がいいのか。どうなんだ。
いや、とりあえず待つしかない。ちょろちょろ移動しようとするな自分!待て!!!待つんだ!!!
通り過ぎていく車の運転手を見つめて笑顔でアイコンタクトを送り続けた。
それから10分後、最初にのせてくれた神様が現れる。同世代のお兄さんだった。
通り過ぎていく車の中から見つけてくれたお兄さんとしばらく目が合った直後、わざわざ大きく迂回して戻ってきてくれた。
『海老名までしかいけないけどいい?』迂回して車を止めてまで声をかけにきてくれた優しさに震えながら、「いいんですか!?」その言葉しか出てこなかった。
【用賀IC(東京)→海老名SA(神奈川)20代】⏰14:30着
世の中の優しさに触れながら向かう海老名はあっという間すぎて、まだまだ話し足りないのに一瞬で着いてしまった。
「頑張ってね」そう声をかけてくれたお兄さんに心から感謝をしながら去っていく車を見送った。
目的地より遠くへ
1人目のお兄さんのおかげで高速道路に乗ることができた。このままいい流れで次の人にも乗せてもらいたい。
平日でも人の多い海老名サービスエリアで、お手製のノートを掲げる恥ずかしさに耐えながら、振り切って爽やかな笑顔で立ち始める。
目立つ色の服に目立つ色の髪をしていたからか、視線はかなり集めていた。
立ち始めてから10分後「静岡まで乗ってく?」と声をかけてくれた方が、2人目に乗せてくれた神様だった。
「よろしくお願いします!!」嬉しい。どこまででも心から嬉しい。どうして乗せてくれたのかから始まり定番の話を進めていく中で、静岡の浜松でお友達と予定があるということがわかった。
お兄さんの職業について聞いたり、人生の失敗談について聞いたり、話が盛り上がって、海老名から静岡までもあっという間の時間だった。
そろそろどこかサービスエリアでおろしてもらわないとなと思い始めていたのだが、まさかの『話が面白いから愛知まで行くわ!』と急遽愛知まで行ってくれることになった。
愛知刈谷まで、今回のヒッチハイク最長の4時間二人で喋り倒した。
お兄さんについて職場が家の近くということまで判明してしまうくらいには、いろんなことを聞かせてもらった。
【 海老名(神奈川)→刈谷(愛知)30代 】⏰19:00着
すれ違い様のエール
思いもよらない形で、愛知刈谷ハイウェイオアシス(サービスエリア)まで連れてきていただいた。大きな観覧車に、まるで異世界かのような綺麗なお手洗いに大感動していたのも束の間。
時刻は20時とあっという間に日が暮れてしまった。こうなると難易度が格段と上がる。もはやここまでくるとお手製のノートを掲げる恥ずかしさもない。
なんなら目が合った人に「こんばんわ!」なんて挨拶までした。
暗くなってきたからか『頑張ってください!』と声もかけていただきながら、普段の生活ではすれ違い様にエールをもらうだなんてない経験だよな。と改めて今している体験を噛み締めていた。
できる限り明るく人通りが多いところで立っていたところ、『滋賀までどう!』と声をかけてくれたのが、3人目に乗せてくれた神様だった。
ありがたい。ありがたすぎる。車内では私のライブ配信の話が盛り上がり、またもあっという間の時間だった。おろしていただいた後も無事にヒッチハイクが進んでいるのかと、私のライブ配信にまでコメントをしにきてくれた。
【 刈谷(愛知)→草津(滋賀)40代 】⏰22:00着
暗闇の中で
しかし、困ったことになってきた。いける限界まで連れて行っていただいた結果、最後のヒッチハイクスポットはパーキングエリア。
ここまでとても大きなサービスエリアが続いていたが、今回は歩いている人もほぼいない。
もしもこのままだったら、自力で高速から降りられるのかな・・・タクシーとか呼べるのかな・・・。最後の手段を考えながらとりあえず立ち続ける。
20分後『大阪までどうぞ。』と声をかけてくれたのが、最後に乗せてくれたとても素敵なご夫婦だった。
【 草津(滋賀)→難波(大阪)50代ご夫婦 】⏰24:30着
最後のヒッチハイクは、家族の話を聞かせてもらいながら過ごす温かい時間だった。時間はあっという間に過ぎ最終目的地としていた難波で、おろしていただいた。
東京から大阪まで
結局ヒッチハイク時間は14:00〜24:30の10時間半で達成🎉
乗せていただいた回数4回🚗
乗せてくださった人数5人👬👫
乗せてくださった皆さん本当にありがとうございました。
ヒッチハイクに必要なもの
ここまで私が経験したヒッチハイクの流れを話したが、実は3日前くらいに急遽やりたいと思い立ったヒッチハイクだった。
何を準備したらいいのだろう。悩んだ結果、私が持って行った荷物はとことん減らした必要最低限だった。
1.目的地を書いたノート
選ばれた必要最低限の中で特に重要だったのは、目的地を書いたノート。これがないと始まらない。
静岡方面・愛知方面・関西方面とエリアごとに細かく区切って複数枚印刷して貼り付けた。これがすごく助かった。
のせてくれる人の大半は、〇〇までなら!とのせてくれる人が多かった。
東京からいきなり大阪!と遠すぎる目的地を提示しているよりも、中継地点をいくつか用意しておいた方が、双方のハードルも下がり、早くのせてくださる方が見つかる。
通り過ぎる車の中から見つけてくれたり、離れたところから様子を伺って載せようか吟味してくれたりするので、遠くからでも読めるような大きさがいい。
2.思い出を残すチェキ機
ノート以外に持っておいて良かったものはチェキ機。人生初のヒッチハイクにしては楽しむ気が溢れ出ているが、のせてくれた人に何か記念に残るものをプレゼントしたくてチェキ機を持って行った。
私がのせてもらうのが初めてのように、きっとのせてくれるのが初めての人もいるだろうと思った。
よりスムーズに渡せることを優先し、撮ってくれる第三者を探さなくていいよう、携帯で自撮りをしたデータをその場で転送しチェキとしてプリントできる機械を持って行った。
持って行って良かった。もう2度と会えない可能性が高い人へ、今私が渡すことができる最大限の思い出のパーツだった。
ヒッチハイクのコツ
はじめてのヒッチハイクを通して、個人的なコツがいくつか見えてきた。これからヒッチハイクをしようと思っている人に役立ったら嬉しいと思ったので文字にしてみる。
1.無駄なものを持っていかない
ちなみに、チェキは持って行って、パジャマは持っていかなかった。笑
身軽に動けるようにとにかく荷物を少なくしたくてパジャマ以外にも、今必要じゃないものは基本持っていかなかった。
勿論距離次第ではもう少し持って行った方が良い場合もあると思う。今回の場合は立っている時間の疲労も、軽減されたので少ない荷物で正解だった。
2.とにかく笑顔で立つ
のせてもらうこっちもドキドキだが、のせてくれる相手もドキドキ。だからこそとにかく笑顔で立っていた。
わかりやすいくらいの爽やかな笑顔で。通り過ぎる人にも笑顔を届けた。
今通り過ぎている人やヒッチハイクをする私をみている人達は、この先の人生きっと会うことはないのだから、今日はこの挑戦を記念して笑顔をいっぱいばら撒こう。そんな気持ちで、ヒッチハイクを楽しんでいた。
3.話す力ではなく聞く力
妄想のヒッチハイクでは、楽しい話題を提供できる話す力が必要だと思っていた。しかし実際やってみると、必要なのは話す力ではなく、聞く力だった。
なぜのせてくれたのか、何をしている方なのかなど、自分の情報を自然に挟み込みながら、相手に不快感を与えない程度に話を上手に聞くことが重要だと気がついた。
何か面白い話を求めているのであれば、ラジオを流しながらドライブすればいいのだから、私をのせてくれたからこそ相手に与えられる対話の時間を届けたいと、ライバーで培ってきた力を最大限活用した10時間だった。
4.優しさに感謝を
勢いでヒッチハイクをしていなかったら、この広い世界で出会えていなかった人と出会えた。それは大前提、声をかけてくれた優しさがあったからだ。
全ての人が、力を貸してくれるわけではない。事情も予定もそれぞれにある。
でも、それでも、優しさを届けてくれる人がいるからこそ、届けていただいたその時に、感謝を伝えていきたいと思った。もう2度と会えない人かもしれないのだから。
両親と私とヒッチハイク
「急なんだけどさ、ヒッチハイクしようと思ってるんだよね」
出発前、そんな私の発言を聞いた両親は、笑っていた。笑いながら数分後にはヒッチハイク経験者のブログを送ってくれた。
『都内なら高速手前の用賀ICから行くのがいいらしいよ。』と、私の訳のわからない"やりたい"を否定しないどころか、後押ししてくれる二人だった。
心配しないわけがないだろう。それでも私を信じ尊重してくれた。
本当に素敵な両親に育てていただいたと心から思っている。今の私がいるのも、この二人のおかげだと、改めて感謝を伝えた。
ヒッチハイクは簡単ではないし、とても危険も伴うことだと思う気持ちはやってからでも変わらない。
『やりたいんだけど』って相談されたらさりげなく濁して、”やりな”とも”やるな”とも私は言えないと思う。
だけど、自分が想像していた"絶対にできない!"ではないと体験してわかって、できないと思ったことにも挑戦しようと改めて思えた。
もちろん今回出会った方々に恵まれており、大きなトラブルが何も起きなかったことは、運が良かっただけということも理解している。
私は出発する前も、出発しても、ヒッチハイクを無事に終えても、最後まで心配してくれる人を安心させる言葉は見つけられなかった。
心配しながらも私の挑戦を見守って支えてくれる人がいるから、挑戦できていることを決して忘れてはならないと強く思った。
まだまだできることは少ないけれど、沢山の経験を配信や活動を通し届けて、これが誰かのきっかけを作ったら嬉しいし、みんなが私の未来を楽しみに思ってくれたら嬉しい。
noteはそのために書きたい。私の経験をまるで自分が体験したかのように誰かに届けるために。
そうだな、とりあえず絶対にできないと思ってる筋トレからはじめよう…笑