誰かのためにつくるということ
巻きずしは、節分の特別なごちそう。
そう思ってむやみに作らないようにしている。
というより、めんどくさいので、作らない。
昔から、母の手作りだった、巻きずし。ずっと、苦手だった。
食の細かったわたしは、そんな日は、何も食べなくても平気だった。
ある時期から、好き嫌いはピーマンくらいになり、食欲旺盛になったわたしは、サラダ巻きが最高に美味しいと気づく。
そのころから、苦手な母のハンバーグや父の焼き飯を、自分の好みに改良することを覚えた。学校の調理実習やNHKの子ども向け料理番組で得た知識をプレゼンするわたしは、ただのくいしんぼうだと思われていた気がする。
その調子で、年に一度の節分は、巻きずしパーティという、最高の日になっていた。
映画「ちひろさん」を見終わって、1ヶ月前に済んだはずの巻きずしパーティを一人決行。
自分のために料理をするようになったのは、なぜだったか、いろいろ理由はあるけど、結局「くいしんぼうだから」で解決する。
自分の台所が欲しいのも、自分のためで、くいしんぼうだけど飲食店をする自分を想像できないのは、自分を満足させる味しかしらないし、そんなものを人に食べてはもらえないと思うから。
15年以上前、児童福祉施設に勤めていたころ、「明日から卵焼きは甘くして欲しい」とお願いされた。もうすぐ高校を卒業するような年代の子の、かわいいお願い。
そのころ、父譲りの醤油味のしょっぱい卵焼きが一番だと思っていたし、甘い卵焼きの作り方を知らないわたしは、なんの気なしに「いやや」と軽く返答した。
すると「なんでぇや!わたしのお弁当やで!!」と予想外の怒りをぶつけられ、少しびっくりした。みんな笑ってたけど、確かにそうやなぁ、と翌日から甘い卵焼きを作り始めた。
ただ砂糖と塩を加えただけの卵焼き。
翌日、学校帰りの彼女が、とても嬉しそうにお礼を言ってくれた。
卵焼きを上手に焼けるようになったのが、あの仕事最大の成果だと、まあまあ本気で思っている。無力さを痛感する日々だったけど、ご飯を作って、一緒に食べる時間は幸せだったし、最高のコミュニケーションだった。
あれから、甘い卵焼きが好きになっている。