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移動が制限された離島の暮らし

瀬戸内海の島旅が脚光を浴びるようになって10年。年々観光客が増えて、離島の疲弊が分断になってきた頃、移動が停止になりました。東日本大震災でクラウドファンディングが台頭し、2020年はありとあらゆることがオンラインになり、事前予約が浸透しました。

オンラインに切り替わることができなかった業種は、何からこぼれ落ちたのでしょうか。または、何かを取り戻したのでしょうか。離島のケースを考えてみます。

豊島(てしま/瀬戸内海)は人口800人を切った、高齢者率の高い離島です。支え合って(老老介護とも言いますが)暮らしている豊島のおかあさんとおとうさんも、どちらかが生活のリズムを崩すと途端に日々のことは支障だらけ。通っていたデイサービスやヘルパーさんの訪問もイレギュラーになり、車を手放したらますます行動範囲が狭まりました。

トリエンナーレの瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)を機に、期間外でも観光客が訪れるようになり、移住者による民泊や食事場所ができて、観光の島になりつつあった豊島。2010年以前から、全国津々浦々から豊島へ訪れる人は、豊島事件を視察あるいは研究する共通項がありました。豊島は産廃の島からアートの島へ塗り替えられ、住民運動でじっくりと力を発揮してきた自治はあっけらかんと観光経済に飲み込まれました。

オンラインというのは、離れた場所同士を近づけるのには役立つことがわかりましたが、物理的距離の近いところでは当人同士にとって必要なものにはなりませんでした。離島こそオンラインが活きて、島内の集まりごとも決め事も従来通り行われたに違いありません。離島オンライン補助金制度があるべきでした。防災無線のように、各戸に行き渡るオンライン。インターネットの普及よりもオンライン化の方が、豊島にはインフラだったと思うのです。徳島の神山町はどうだったのでしょう。

移動が制限された島の暮らしで、取り戻したもの。考えていきます。

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