2000年6月6日は公害調停成立の日

豊島事件の語り部の一人、石井亨さんからLINEがきました。
「今日が5月7日、一ヶ月後の6月6日は、調停成立20周年です。
何か発信できるコンテンツが作れないかと考えています。
今豊島事件の情報って何が求められているのでしょうね。
コロナとも無縁ではないと思います」

つらつらと考えていたことを返信しました。
「豊島事件は大事な時です。調停成立後の情報がバラバラです。視察の調停成立までの部分のように、語りのパッケージがあるといいです。わたしが学びたいのです。」

大きな紙袋を二つ、預かっています。中のスクラップは黄ばみ、新聞の端は切れ切れになった豊島事件の資料です。ガリ刷りの豊島住民に向けた運動のチラシもあります。一つは豊島の方から、わたしに役立つだろうと託されました。もう一つは「豊島ネット」が住民会議へ返却する資料です。中坊弁護士の紙面掲載用写真がありました。2013年に中坊が逝去したよく年、偲ぶ会でこの写真を使いたいと思い、日経か朝日の新聞社へ電話をしました。著作物の転載について、丁寧な回答を得、故人のご家族の許諾も必要ということがわかり、写真は使わないことにしました。

豊島事件のアーカイブ化は、よそから視察にきた人ほどご意見くださいます。デジタル化だからスキャンぐらい原価でしますよ、という申し出もありました。

豊島に由来をもつ友から、珍しくお茶に誘われた時「豊島事件のアーカイブ化をやろうと思う」と聞かされ、わたしにできることはやる、と即答しました。その友は今、大学院でアートによるアーカイブ化を実践しています。着々と進めている。

わたしは豊島事件をネタに商用利用する企画モノに過敏に反応して、やさぐれているばかり。きちんと抗議もできないのです。それは、わたしも豊島事件という「いいネタに当たったよね」と言われるかもしれないからです。そんなつもりはなくても、貨幣が伴えば売名と思われる可能性は十分あります。長老の語りを文字に起こした冊子を、豊島弁護団の大川先生は「いい本を作ってくれました」とほめてくださいました。砂川三男さんの喜びは一番のやりがいです。ご兄弟や豊島の人へ、砂川さんは冊子を送りました。


豊島事件の公害調停成立から今まで、産廃現場はどのように跡地になっていったかを伝えるのが急務です。そういえば、視察で豊島事件を語ることが「責務」と砂川さんは言っていました。とても大事なワードを思い出しました。



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