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牛を見ればどこの家の牛かわかる、とはどういうことですか、長老

豊島(てしま/瀬戸内海)の長老は昭和3年生まれ。数年前まで屋敷内の田んぼで不耕起栽培の米を作り天日で乾燥させ、家庭菜園を整え、一次産業に従事していました。長老の聞き書き、今日は牛の顔がわかるってどういうことですか?

「この牛、どこの牛じゃろな」
2019/11/4まで、土庄町旧豊島中学校に民俗資料が展示されていました。そのパンフレットを渡したところ、長老が言います。


■10月29日
豊島の民俗道具を見てきました。石、漁業、農業と暮らし方も時代も異なる道具から、豊かな暮らしというのは安易。道具は夜なべで作った直したと聞きました。11/4まで10時-16時、旧豊島中学校。#豊島 #teshima

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「Sの牛じゃないかな。
昔はこないして1匹だけ飼うて、1匹の乳絞って持って行きよったんじゃ。それで、ええ儲けしよったんで。唐櫃の浜のYのおばさんがおった時に、わし、農協に入ってからじゃ。行ってなんか話よったら、この納屋は牛が建ってくれたんでえ言うてな、きれいな納屋建っとった。

この納屋はうちの1匹の牛が建ってくれたんじゃ言うて。大工さん頼んで、大工さんコンコンして建ちよる間に毎日、乳が出るからな。その売り上げでたったんじゃあて、そない言うとったな。

昔やったら、わかりよったんだけどな、この牛。違うな、Sの牛と違う。Sの牛はめんてがもっと広い。このちちうし(乳牛)の奴はなあ、四つ足が全部白いん、体まっ黒けでも。それから顔のな、顔のどまん中に白いもんがある」

ーー めんてって何ですか?

「めんて言うたら、目と目の間。目と目の間に白い毛があるん。(タイトル写真の)これは毛がちょっとしかないわな、角の間に。」

ーー 例えばみんなが牛飼い(*1)に行っているときに、たくさん牛がいても牛を見ればどこの家の牛ってわかったんですか?

長老は即答でした。
「わかる、わかる。黒牛でもわかったで。体の格好や角の格好」
乳牛はホルスタイン、茶色です。黒牛は肉牛です。

「Sの牛かも、だけどこれは違うわ。Sの牛は顔がもっと白い。」

ーー そうすると、誰々さんの牛ということがわかるんですね。

「わかる、わかる。それで、あそこの牛はよう乳は出るけど脂肪濃度は低い。この牛はようけ出んけど脂肪濃度は高いとか。脂肪濃度が低かったら相場が安いからな。3.2が標準かな。3.2%、脂分がな。」

ーー 牛の乳も、個体ごと把握していたんですね。脂肪濃度は毎日計るんですか?

「ううん、毎日は測らん、1週間かひと月か。獣医さんがとりよったな、サンプルとってな。そこへ待っとって、牛乳持ってきたらサンプルとりよったわ。それを分析してなんぼか見よったんじゃろ。それで乳の相場を割り出して、乳価決めて勘定するんやな。
酪農組合盛んじゃったんだで、豊島。総会には高松屋で会席して、わあわあ言うて遊んでな、飲むんが好きでなあ、酪農部会は。」

豊島には酪農組合がありました(酪農部会は農協に属しますので、それ以前の話です)。酪農組合が独自に獣医さんを雇い、集乳所は集落ごとにありました。長老は、住んでいる神子ケ浜から家浦の集乳所へ自転車で乳を運んだと言います。別の人には「牛で子供を高校へやれた」という話も聞きました。豊島の酪農は乳牛から肉牛へ移行し、今はオリーブ牛の酪農家が1軒です。

戦後の豊島、農業で生計を立てるべく牛の仕入れと販売の差を計算して計画をたて、男木島から牛を借りてきて農耕に活用した長老。牛を見て所有者がわかり、個体の特性も把握できていたのはどうしてですか。長老宅にはいなかったけれども、豊島では羊や山羊、うさぎも家畜でした。家族とともに家畜のいる暮らしです。物言わぬ生き物に日々接する中で、健康状態をはかり経済に変わる時季もはかる。その感性が長老は優れていた、というだけではなさそうです。続きます。







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