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すみっこの遊び心

世は正にカプセルトイ時代
ゲーセン内のすみっこで暮らしていたガシャ筐体達はその戦力をじわじわと広げ、今ではカプセルトイ専門店が建ち並ぶまでに至った
そんなカプセルトイの魅力
一番は、ガシャというシステムがもたらすギャンブル性の高さだろう
景品のクオリティの高さとかそういうのももちろんあるけれども、いの一番に思い浮かべるのはやっぱりギャンブル性
これを抜きにしてカプセルトイは語れない
他の賭博と違うところは対価分の景品が確実に得られるところで、それがあるから子どもも安心してあのつまみを回せるし、アンパンマンも景品になる

回してみるまで何が出るかわからないギャンブル性が、人々を惹きつけて離さない。
それが、カプセルトイ。

非常によくわかる。
かつての私がそれに取り憑かれていたので。

私がカプセルトイにハマり狂っていたのは高校生の頃まで遡る
今みたいにお店に行けば確実にガシャブースに巡り合えるなんてことはなく、ゲーセンとかスーパーのすみっこにちょっと置いてあるみたいな時代だった
当時、私は「コップのフチ子」シリーズに熱を上げており、筐の中が空になるまで回してコンプリートを目指した日もあった
過疎化したゲーセンの隅、ひたすらフチ子を救い出していた女子高生は、あの日確かに存在した
もはやフチ子は青春の一部と言ってもいいし、バイトの収入は基本的にフチ子に捧げていたことになる

あれから数年が経ち、カプセルトイはあり得ないほど成長を遂げた
品数もめまいを覚えるほど増えて、探すのも一苦労の時代になった
最近のゲーセンは、もうガシャ屋か?と思うぐらいガシャの筐体がずらりと並んでいて、そこには常に人が居て、立派な娯楽のひとつになったのだなと謎の感動すら覚える

最近の私と言えば、だいぶ熱が冷めてガシャブースに寄り付かなくなった
理由は、そこまで欲しい景品が滅多に無くなってしまったのと、ガシャへの理性が強化されたのと、あとはやっぱりメルカリで買えばいいじゃん。と思うようになったのが大きい
メルカリ、だいぶ大きすぎる
「遊び心」を失った大人の典型的な例である

そんな感じで最近までご無沙汰だったのだが、昨日、久々にやっちまった
理性を忘れてつまみを大回ししてしまった
1回300円、全10種類のうちの1つのために、1,000円札を数回両替
あれよあれよと消えていく、1,000円札からうまれた100円玉達
冷える肝に反比例して体温はどんどん上がっていき、取り出し口から出てくる景品を一瞥する能力だけが極まっていく

マジでよくない遊びである
ぜんぜん立派な娯楽じゃねーよ

カイジよろしく視界をぐにゃあ…とさせながら、財布がだいぶ軽くなったところで
もう、終わりにしよう。この戦いを、終わらせよう。と虚ろな目でつまみを回した
もはや力の入らない手で取り出し口から景品を取り上げると、そこに、あったのだ
カプセルにつつまれた、俺だけのワンピースが

ありがとう
ありがとう、この瞬間に運命操作をしてくれたどこかの神、そして、全てのエヴァンゲリオン
あと、私の財布、粘り強さ、日頃の行い…
一瞬でそれらすべてに感謝をし、カプセルからトイを取り出すことも忘れてウキウキのまま秒で帰宅
出先でカプセルを処理しなかったのは久々だったので家のプラゴミが一瞬で増えてウケた
が、それもまた一興と思えるほどに気分は最高

「自引き」って本当に気持ちいいね
狙ってるやつが出た時ってこんなに爽快なんだね
たまたま回してほしいのが出た時より快感指数が段違いだね

うれしい・たのしい・だいすき・カプセルトイ
無責任にバイト代を消費して悦に浸っていたあの頃の気持ちをちょっと取り戻せた
沼る気持ち、思い出した

それはそれとして
ガシャのご利用は計画的に

おわり

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