ガルクラ感想?書きなぐり

ガルクラの余韻があります CD買いました。

あの作品を作りながらまさに今売れる売れないの線状に立たされている彼女らはどういった心境なんだろうか

なんか最終話なんか違うな~って感じが拭えなかったのでnoteを漁ることに

批評とか全然触れてきてなかったけどまあ言葉を貰うには悪くないかもね


その前にできる限りの「なんか違う」のちょっと深堀り

まずガルクラの何に惹かれたかってのは分かりやすく、ニーナの自分が納得しないこととそれを当たり前として生きている全てへの敵意だよね。要するにせからしか

ここに自分とのリンクを感じて「面白い」になった訳だ。

ほんで最後どう捉えたかっていうと、敵意の象徴だった小指が単なるバンドの振り付けみたく扱われて、新川崎(仮)のライブ時に桃缶にロックと評されたニーナの気持ちが綺麗さっぱり消えちゃった(変わった)ように見えた

いや僕はロックとか知らんし楽器一つもできないし楽譜も読めないけどあの小指に敵愾心を感じなかった

でも副題は「ロックンロールは鳴りやまないっ」なんだよね


のけ者同士が仲間になり、僅かでも受け入れられることに嫉妬したってのが正しいかも


勝手に自己解決したな。最終話を見終わってから、西加奈子の夜が明けるを思い出したのもそんな感じだったからかもしらん。

夜明けは見えない。
“夜明け前が最も暗い”のだと“夜明けは来ます”と言ったあのヒーローは闇堕ちするけど、その言葉に勇気をもらった人たちは星の数ほどいるのだ。

以下多分自分語りだウザいね


少なくとも自分はクセのある人間だと自覚していて、他人に理解されたと感じたことがなく、自分が何を考えて行動したかを説明できるようにしている。そうじゃなきゃ謎の異常者になるから
少なくともこんなことを書いているのはそういうことだ

これは半分間違ってて、ここ数年までは幼いので説明しようと言葉を用意するプロセスすらしなかったので自分も自分のことを理解しようとしなけりゃ一旦の正解も分からんので誰一人理解できないだろとなる

ただ、多少自意識?が成長して言葉を持つようになっても、そもそも人一般の抱える他人像がこれほど適当な状態でコミュニケーションを取ってたなんて知らなかった

ここを起点に孤独が始まってる気がする

どれだけ説明しても他人の抱える俺像は何も変わらないし理解しようと歩んでくる人なんている訳ない

そこにあるのは社会一般にありふれてる属性由来の変なボヤっとした人間像だけだ

全てを知り合える関係なんて無理だなんて正論やめてくれ。そんなの知ってる。単にコミュニケーションを取れる生きた人間が欲しいだけだ

読書もアニメもゲームも何もかも全てこの代替に過ぎないゴミだ

代替がちょっと自分の思ってる姿と違っただけだ


先月と同じようなこと書いて捨てたけどここで泣けたので成長かも

このゴミを抱えて俺はこれからも存在しているし、今後も理解者なんてものは現れずにつらつらと謎のテキストを月1程度で書く人間なんだろうと思い込んでいるので、俺はニーナにそのまま勘違いでもなんでも突き進んで小指突き出したまま野垂れ死んでほしかったわけだ。

この孤独だけは変えられないと絶望しているからニーナにも同じ道を行ってほしかった俺の勝手だ

もちろん序盤のニーナには癒された。でも癒しを求めすぎたのかもしれない。

また一つ嫌な思いをして悲しくなった。今後も俺なりに真剣に生きたい。
少なくとも放送中の数か月は生きる理由になったからどんな評価になろうと名作だけどね


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