磯部一郎さんへ心からの感謝を
享年46歳 人生を変えてくださった大切な恩人 磯部一郎さんが9月26日(木)19時5分にご逝去されました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
磯部さんがとても大切にされていたご家族や、会社の皆さまが、少しでも心身ともにお疲れが出ませんよう、願っております。
磯部さんの最期のメッセージ、描かれていた未来、ご一緒させていただいた沢山の思い出、歩まれた軌跡を残したく、地域社会や日本を良くしていきたいと願われていた磯部一郎さんという方を1人でも多くの方に知ってほしいと思い、noteに記録させていただきます。
磯部一郎公式サイト
株式会社福水戸家
著書「生き急ぐ」
IT社長の秘密ブログ
X(旧Twitter)
https://twitter.com/ichirowiki
note
YouTubeチャンネル「ISOTUBE」
磯部さんという人を知る
自身の事業が衰退した2020年、コロナ禍真っ只中の7月に、運命鑑定で大変お世話になった清藤誠司さんの鑑定を受けに、日本橋蛎殻町のいいオフィス日本橋に伺いました。
「この素敵なオフィスを経営している社長さんが素晴らしい人でね、機会があったらぜひ紹介したい」と清藤さんからお名前をお聞きしたのが磯部さんのことを知る一番最初のきっかけでした。
その後、たまたまFacebookライブ配信で清藤さんと磯部さんの対談『ラジオ宇宙船地球号』を拝見し、磯部さんの壮絶な人生のお話に物凄い衝撃を受けました。
つい先日まで、骨髄移植や臍帯血移植という壮絶な治療と合わせ、5年闘ってきたステージ4の難治性の悪性リンパ腫(ホジキンリンパ腫)という癌の治療であと二ヶ月という余命宣告を受けて、重篤な副作用が引き起こす可能性が高い治療に臨み、奇跡的に癌が小さくなり退院を果たし、その翌日に会社を一つ立ち上げた、というお話だった。
日々後悔のないように大切に生きている「つもり」でしたが、そんな事が全て吹き飛ぶような
「こうしてはいられない」
という何か強い衝動に駆られました。
その後、磯部さんのことを知れるセミナーとか講座とかが無いかな?と探し、パラレルキャリア研究所代表 高村エリナさん(現:慶野英里名さん)がファシリテートするパラキャリ酒場というオンラインのイベントを見つけ、申込みしました。
先日の清藤さんとのFacebookライブ配信でも、パラキャリ酒場でも「ぜひ、Facebookでお友達申請くださーい」と仰っていた磯部さん。
勇気を出して、清藤さんとのLIVE配信を聞いて、パラキャリ酒場に参加してお話に感動しましたとメッセ―ジを送りました。
ISOBU
その後、磯部さんのまわりには沢山お話を聞きたい方や、相談したい方がたくさんいらして、「自分探し」がテーマのオンラインサロン「ISOBU」が立ち上がりました。
私もオンラインサロンへ参加させていただき、磯部さんと交流が深い方々で有志の運営が立ち上がり、分科会ができ、何かお手伝いができないかなと思い、私は広報の分科会に入らせてもらい、イベント告知などの文章やサムネイルやバナーを作ることを(勇気を出して)立候補させていただきました。
先程から「勇気を出して」とありますが、清藤さんに運命鑑定していただき背中を押していただいた時の言葉や、磯部さんの姿を見ていると「やりたいと思った時にやらないでどうする」という気持ちが強かったから。それは、現在でも全く変わりません。
そんなこんなでサムネ作りやオンラインサロン活動の動画編集をさせていただく中、運営のメンバーから「運営を手伝ってもらえないか」と打診をいただきました。
もちろん、ハイかYESか喜んでしかありません。
コロナ禍真っ只中だったので、交流はほぼ全てオンラインでしたが(あっという間に定員が埋まってしまう人気のレアな分科会読書会は何度かリアルで開催されました)
私は、この磯部さんが立ち上げてくださったコミュニティ「ISOBU」で、たくさんの方と交流させていただき、出会い、仕事にも繋がり、今でもとても大切なご縁となっています。
会社設立
運営をやりながら、その中でも磯部さんが私が6年前に漫画家と二足のわらじで立ち上げた事業「漫画ブランディング」にご興味を持ってくださり、漫画好きな磯部さんは即断即決でLINEスタンプをご依頼いただきました。
IT社長イチローのスタンプ
その後も、オンラインサロンの勉強会(グループコンサル)で事業の相談に乗ってくださったり、アドバイスを下さったり(有料級です)
私の目下の夢は、「漫画で世界平和」現在は個人事業主として開業しているけれど、漫画ブランディング事業を法人化して会社にしたい。と目標を語っていました。
オンラインサロンが立ち上がって4か月ほど、忘れもしない2020年の暮れ12月の初旬。磯部さんが経営する株式会社福水戸家の二大代表、取締役 税理士の河合真悟さん、お二人からZoomで話があると呼ばれ、
「何か私、やらかしてしまったのだろうか…」
と青ざめつつ頭に「????」がついたまま恐る恐るZoomに参加したところ、磯部さんから
「菅野さんの事業を応援したくて、もしよければ一緒に会社を作ろうよ」
と、出資のお話を持ち掛けてくださいました。
まさかの驚きと嬉しさでとにかくびっくりして、涙が出ました。
そのあと、物凄いスピードで会社設立の準備に取り掛かり、磯部さん、河合さん、清藤さんにご尽力いただき2020年12月22日(確か、風の時代の幕開けの日だったと思います)株式会社MANECTを設立。私は代表取締役に、磯部さんが取締役、河合さんが顧問税理士として応援に入ってくださいました。
MANECT経営
会社設立後、それはもう初めてのことだらけで、毎日が学びの日々でした。
思い返すと失敗・欠点、判断の間違い、上手くいかなかったことばかりが思い出されますが、そんな中でも、助言を下さったり、会議を開いてくださったり、励ましてくださったり、お叱りを受けたり、経営の大先輩として磯部さんの近くで「経営とは」を近くで見せていただけた事、生涯忘れることのない経験となっています。
損益分岐点をなかなか越えられず、ご迷惑にご迷惑を重ね続け不義理を行い、わずか9ヶ月弱、会社を一年と持たず営業停止にしました。
この時、信頼を失う大変なご迷惑をおかけしたので、ここでご縁がなくなってもおかしくない状況でしたのに、磯部さんはそのあとも個人事業主、MANECTの第一取引先となってくださり、今日までの3年間も株式会社福水戸家の協業パートナーとしてずっと歩ませていただきました。
会社を営業停止にした理由は、全て私が未熟だったことが原因なのに、この時の磯部さんの
「菅野さんが会社を作りたいと言ってた時のこと、僕が煽ってしまったというか、焚きつけちゃったのかなと思って責任を感じている」
という言葉、今でもはっきり覚えています。
こんなに迷惑をかけたのに、明日から縁を切られてもおかしくない状況なのに、こんな風に言葉をかけてくれるなんて、なんて器の大きな人なんだろうととても言葉では言い表せない気持ちになりました。
お詫びする言葉と涙しか出ない私に、付け加えて
磯部さんはご自身でよく仰っていましたが、顔はこわもてだけどとっても気配りが繊細で、
「会社をすぐに畳む決断をしたのは褒めてあげるよ」
「なかなか会社をやめるって決断はできないもんだよ」
と心が和むようなことを言ってくださったことも忘れません。
会社を営業停止にし、東京を離れ、家族と実家の埼玉へ移住し、それでも変わらずずっと応援し続けてくださった事、一緒に仕事をしてくださった事、励ましてくださった事、家人と一緒にBBQに呼んでくださった事、お叱りを受けたこと、オンラインやリアルで麻雀をご一緒させていただいたこと(すごく強い福水戸家二大代表のお二人)全部忘れません。
また東京で再出発
昨年末、また東京へ引越しをしました。
私の仕事も再出発から少しずつ立て直し、家人の職場へ少しでも通勤が楽になるようにと都内墨田区へ。
膝の故障と引越し疲れで体調を崩していた私を、
「引越しは体力つかうよね、体調悪かったら体調優先で」
「無理はしないでね」
と気遣ってくださった磯部さん。
もちろん仕事はクライアント様との信頼を一番に大切にされているので、とにかく仕事の進め方やクオリティ、心配りに厳しいですが、ご自身が健康や身体の事をとても大切にされているので、私だけでなく、周りの方々の身体の事は本当に心配してくださり、人一倍気遣ってくださる方でした。
今年は年始から磯部さん講師の「こだわりブランディング講座」も受講させていただき、毎月二回、さらに事業の精度を上げていく学びをさせていただきました。
後悔の無い人生を歩むと決めていますが、磯部さんが旅立たれた今、心残りが二つ。
1つは、ブランディング講座を半年受講して目途をつけようと考えていたことを磯部さんではなく、窓口となってくださっていた社員様へ最初にお伝えしてしまったことで、「直接言ってほしかった」と伝えてくれた磯部さんを悲しい気持ちにさせてしまったのではないかという事。
もう1つ、今年はさらに新規お取引先のご縁を作っていこうと、8年ぶりに経営者交流会に所属し、夏に大きな納涼祭イベントがあり、そちらの広報担当になり一生懸命活動していたことで、私のスケジュール管理の甘さからあらゆる取引先の皆さまをいつもよりお時間をいただいたりお待たせしてしまい、
「Facebookでご活躍なのは拝見してるけど、それとは裏腹にうちの仕事、やっつけ仕事になってない?」
と磯部さんにご指摘・忠告いただいた事。
全くそんなつもりはなかったのですが、そう感じさせてしまったことはまぎれもない事実で、磯部さんと話をさせていただき、お詫びし今後の指針をお伝えしました。
ここでも、もうMANECTとの協業を打ち切っても良いような状態だったのを、まだお仕事を任せていただき、2か月も経たないうちに磯部さんが旅立たれてしまいました。
悲しい気持ちにさせてしまい、残念な気持ちにさせてしまったままのお別れになったのではと、今ではもう確かめようがないですが、最後、磯部さんと話し残してくださった仕事への取組み方、アドバイスを、自身の行動や態度を改める指針として一生忘れずに糧として胸に刻んでいきます。
最後に
9月頭に磯部さんが入院され、磯部さんのXでの病状の現況つぶやきや、福水戸家の社員様や磯部さんの奥様から、少しずつご状況はお聞きしていたので、したくない覚悟はしていたつもりでした。
磯部さんが旅立たれる一週間前、毎月少しずつ返済させていただいていた、会社を営業停止にした際に応援いただきお借りしていた清算金額を、可能なら生前に全て返済してほしいとご連絡いただき、これは本当に覚悟しないといけない、と思い、なんとか無事清算させていただき、そこから毎日、願わくば奇跡が起こる事と、少しでも痛かったり苦しまれないようにと祈るばかりでした。
Xに投稿されていた、磯部さんの旅立たれる12時間前の渾身のメッセージを、ぜひご一読ください。
10月8日(火)お通夜
10月9日(水)告別式
両日参列させていただき、最後のお見送りに行ってきました。
家族葬や、御身内での葬儀が多い昨今、沢山の方に参列いただきたいと託され、芝の増上寺光摂殿でご葬儀が執り行われました。
お別れの場を設けてくださり心より感謝申し上げます。
沢山の方が参列にいらしていて、磯部さんのご人徳だなと
告別式での幼馴染のご友人と奥様のお言葉から、磯部さんは本当に人を大切にする方で、大切にされている方ほど、自分が嫌われることを厭わず厳しく接し、その場限りで誤魔化すことはせず、愛情深く、最後の最後まで本当の優しさで包んでいてくださったんだなと改めて感じました。
ご出棺は、磯部さんが長年所属され、愛していた日本橋人形町二丁目青年部「浪花会」の皆さまに、お神輿のように担がれ、参列した全員で手拍子・掛け声で送り、旅立っていかれました。
なんて粋な旅立ちでしょう。
磯部さん、行ってらっしゃい。
仕事をしていると痛みが忘れられると仰っていたくらい仕事のことが大好きでしたね。
少しはゆっくり休んで、セブンイレブンのコーヒーを片手にたべっこどうぶつや、とんがりコーンを好きなだけ食べてのんびりしてくださいね。
でも、退屈やヒマだと言って、しばらくしたら天国でまた何か面白いことを始められていそうですよね。
大好きなサーフィンも、ぜひ。
やり残したことがない、と言っていた磯部さんがワンピースを最後まで見れないのが残念とXに残されていましたね。可能なら、ワンピースの新刊が出るたびにお墓参りに行って完結するまで物語の行く末を報告させてください。
磯部さんが先に天国へ行ってくれているなら、この世とお別れする時もまたお会いできる楽しみを抱いていけそうです。
また、天国で麻雀対戦してくださいね。
今生で出会ってくださり、本当にありがとうございました。
磯部さんから学んだこと、一生大切にしていきます。
清算させていただいた株式会社MANECTを、新たに合同会社から再スタートさせようと準備を進めています。一人でやらず、たくさんの方の力を借りながら生き急いでいくので、天国から見ててくださいね。
心より御礼申し上げます。
ここまでの長文、お読みくださりありがとうございました。
また後日、追記するかもしれませんが区切りとして投稿させていただきます。
2024年10月10日(木)菅野佐智