苦手な人は苦手なままでいい。そして同時にその人の幸せを願う|自分のためのポジナレ
苦手な人、いますか。
私は少しいます。
でも、年々減っていってるなとも感じます。
苦手意識を下げる考え方や距離感は掴んできたし、自分勝手な「期待」を他者に押し付けなくなったからかもしれない。
まぁそれでも1人や2人、いますけれども。
そんな苦手な人に対する向き合い方について、Voicyで「慈悲の瞑想」という仏教の話を聴きました。
苦手な人の幸せを願うことで
自分の心が軽やかになっていく
といったメッセージでした。
この話を聴いていて、ネガティブな感情に対する考えを深められたので、このあともう少し詳しくご紹介します。
感情はひとつの心象風景だ
「苦手」「嫌い」「辛い」「寂しい」…
暗い感情も、醜い感情も、
自分のなかに湧き出てくることはあります。
そういう時は、とてもしんどい。
そんなネガティブ感情に対する私の考え方が、はっきりと変わった出会いがありました。
それは、2022年6月の宇多田ヒカルさんとジェーン・スーさんのインタビューの一節。
いや、複数節。
あああ、
どの言葉も素晴らしくて、
記事をぜひ読んでもらいたい。
いろんなことが人生に巻き起こりながらも、自分に向き合い続けてきた宇多田ヒカルさんの言葉だからこそ、とても受け止めやすく、リアルで説得力がありました。
この記事に出会って、私ははっきりと
「感情は自然現象であり、心象風景だ」
「何を感じるかに評価なんていらない」
という考え方を持つようになりました。
(& すごく心が楽になった!)
願うことで、心をあたたかい感情に向ける
しかし。
「この人は苦手だ」という感情が
心象風景だとしても、
気持ち良いものではない。
よって、次は
「ネガティブな感情で重たくなった心を
どう軽くするか?」にぶつかる。
ここで、冒頭の話に戻ります。
私がよく聴いている、京都のお寺の副住職 とうりょうさんのVoicyの番組。
「#529 自分のことを嫌いな人も幸せでありますように」の回で、自分を嫌っている人への対応のアドバイスとして慈悲の瞑想をおすすめされていました。
慈悲の瞑想の部分をすこし抜粋・まとめると、
こんな感じのお話です。
(放送聴くのが一番正確なのでぜひ!)
___
生きとし生けるものが幸せでありますように。
そう願うと、あたたかい方向に心が向く。
そうしたら次は、
私が嫌いな人も幸せでありますように。
私のことを嫌いな人も幸せでありますように。
と願う。
そう心から願えるようになると、
その人との関係が良い方向に変わったり、
自分自身が達観した目を持てるようになる。
軽やかに、楽に生きていけるようになる。
___
…聴きながら、これ、ちょっとだけ無意識でやってるなと気づきました。
この人にも親がいるんだ。
名前の由来はなんだろう。
私と考え方や正義が違うだけなんだ。
とか。
「慈悲の瞑想」の考え方を強めることで、苦手な人を減らしたり、気持ちを軽やかにしていけそう。
そんな気づきをくれた回でした。
最後に
自分の感情は、あるがままに、
そこにあってオッケーとする。
なぜなら、感情は風景であり自然現象だから。
ネガティブな感情、苦手・嫌いな人にはその人の幸せを願うことで、自らあたたかい方を向き、心を軽やかにしていく。
この2つをちょっとずつでも実践していくことで、人と関わりながら生きていくことがまた少し楽しくなりそうな気がします。
今日の見出し画像は、
いつかのうみたまご。(大分の水族館)
それでは、また!