木曜ドラマ silent 第3話
無理なことってあるんだよ
無理してやったことって無理なことなんだよ
無理するとほんとに全部無理になっちゃうんだよ
「やればできる」ってやらせる為の呪文だよ
期待と圧力は違うよ
戸川湊斗
silent 第3話
『今はもう、好きじゃない・・・今好きなのは・・・』
湊斗の語りから始まった3話。
自分の気持ちより、大好きな友達と大好きな人の気持ちを大事にしようとした湊斗の覚悟と悲しさと嬉しさと優しさが冒頭から溢れ出て、いわゆる"当て馬"としての見方をしていた私は、このファミレスのシーンで、ハッとした。
これはドラマだけど、戸川湊斗も、青羽紬も、佐倉想も、ちゃんといて、それぞれに思い出と感情と事情があって、歴史がある。 これはただの紬と想のラブストーリーじゃない。と、痛感したから。
紬が今もバイトをしている理由。
2話で取り乱す紬に、何も聞かず、「パンダ 落ちる」の動画を見させたのも、コンポタを絶対に選ぶとわかっていて、敢えて2択にコンポタを入れなかった優しさも。
どちらもきっと2人の歴史がそうさせてるんだろうな、と気になってはいたけど、その全部に、湊斗の優しさと紬への気持ちの大きさが詰まっていた。
あのファミレスで、この湊斗の言葉で、あの時紬がどれだけ救われたか。ドラマの中の言葉を借りると、「人が本当の意味で救われた瞬間を見た」と思った。だからこそ、紬の想に対する「今好きなのは湊斗。佐倉くんは違う」というセリフも、苦しかったけど納得できた。
1話と2話で、想と紬が出会うシーン、駅の前で再会して歩きながら話したあの時も、カフェで2人でやっと言葉を交わせたあの時も、まるで2人だけの世界なんじゃないかと錯覚するような、カメラワークと映像だった。2人の他に誰も映らなかった。
でも3話は、2人で会ったカフェも、バイト先の前も、周りには当たり前に人がいて、そこは2人だけの世界なんかじゃなかった。
それが、紬の心には想だけじゃなくて、当たり前に湊斗がいる現実とリンクしているようで、想が言葉を話すことはできるのに、人前では話せない現実を私たちに突きつけられているようで、
ドラマってこんなに表現の方法が無数にあるんだ、と改めて実感した。
そしてラストの「ただ名前を呼んで、振り返って欲しかっただけなのに」という湊斗のセリフ。そこでまた、3話は湊斗と想の友情の話だったんだ、と気付かされる。湊斗はいつも想の背中を見ていて、想の名前を呼んで、振り返ってくれるのが好きで。
想だって、湊斗が名前を呼んでくれるのを何回だって聞きたくて、いつも待ってた。そんな2人の話だった。
湊斗が手話を覚えたくないのも、聞こえないとわかっていて電話をかけてしまったのも、全部全部、想は自分の声にまた振り返ってくれるんじゃないかと、振り返って欲しいと誰よりも強く思っていたからなんだよね。
生方さん、本当にすごい脚本を書く。ドラマが好きな人の作るドラマだ。
本当はもっともっと、いろんな表現と演出に、気づきながら見られたらいいんだけど、今の私にはこれが精一杯なのが悔しい。ドラマの中で紡がれる言葉と溢れる感情を追いかけて、自分の感性の限界に追われてる。
積み重ねられていくほどに、きっとこのドラマは凄くなっていくんだろうな。これから自分のドラマに対する固定概念を何回打ち破って、その先にあと何回「ドラマって最高だ」と思わせてくれるんだろう。
それまでに少しでも、もっと色んなことをした受け取れるようになりたい。