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わたしは、わたしのまま、母になった


娘が寝返りできるようになった頃、家族3人でラーメン屋デビューをした。
以前から通っている、行きつけのラーメン屋。
夫が午後から休みの日、だいたいお昼ご飯は2時過ぎになるのでお店も空いている。
ソファー席に通してもらい、交代でラーメンをすする。
これこれ、お店のラーメンだよ。美味しすぎる。

味をしめて、焼肉にも行った。
娘は座敷でゴロン。
お店で食べる、焼きたての、焼きすぎていない牛肉。
美味しすぎる。

ここまで来るともう外食への恐怖はなくなり、どこでも気軽に行けるように。もっぱらお寿司、焼肉、ラーメンだけれど。
彼女はお店の雰囲気を楽しみ、椅子や机の感触を楽しみ、わたしたちの語りかけを楽しんでいる。


夕方、近くのスーパーまで家族3人で買い物がてらお散歩した。
まだ暑さの残る秋口の日、帰り道に待ちきれなくてビールを開ける夫、ノンアルを開けるわたし。
あなたにはまだ20年くらいはやいからねと言い聞かせ、飲みながら上機嫌で家路につく。
彼女は抱っこ紐をはむはむし、足をバタバタし、時々きゃっきゃと笑う。


娘が寝た後は、夫との晩酌タイムが始まる。
リビングとつづきの和室で彼女は寝ているので、部屋の電気は消し、すみっこで薄暗い間接照明の灯りのもと静かに飲む。
彼は最近はまっているウイスキー、わたしはカフェオレ。

暗く、静かな、大人二人の自由時間。時々娘の様子をうかがいながらも、話が弾んで仕方がない。
今日忙しかった?
最近お風呂でバタ足できるようになって
あなたの観察力ってほんとすごいよね

彼の仕事の話、娘の話、娘と関わる彼とわたしの話、政治の話、最近始めたカメラの話、昨日見た夢の話。

「寝る時間です」ってアレクサが教えてくれたら、おしまい。
歯を磨いて、ハグしてお互いの一日を労って、寝る前のキスをしておやすみ。
わたしは和室へ、彼は寝室へ。




***


子供を産んだら、変わってしまうのか?
今までとは違う自分になってしまうのか?

それが少し不安だった。
わたしは、なるべく変わらずに、わたしのままでいたかった。
世の中に反抗する気持ちも、少なからずあった。これまでも、わたしはわたしのままで幸せだったじゃないか。
もう一人の、選ばなかった方のわたしを否定したくない気持ちもあった。子供を産まない人生を生きるわたしを。


実際に母になってみて、どうだろう。
変わった部分もあるし、変わらない部分もある。

妻、母、という肩書が増えて、生きやすくなった。
現金なものだ。
これまでだって、彼と二人の生活も十分幸せだったのに、社会的身分を手に入れたとたん、どうせだったら使っておこうと鼻の穴を膨らませるわたしがいる。

わたしにとって大切な存在が一人増えた。
時間の使い方は、もちろんがらりと変わった。
でもなんだかこれは、あまりにも自然。
もうずっと前からこうなることが決まっていたような、ずっと前から彼女がそばにいたような、そんな感覚。

家族が二人から三人になった。
新入りの彼女を尊重しながらも、わたしたちらしい暮らしが続いている。三人家族をみんなで作っている感じ。
彼女のおかげで笑顔が増えて、刺激が増えて、夫婦の思考は広がり、深まっていく。

自分について色々な発見もあった。
子育ては案外楽しくて、向いているかもしれない。備えあれば憂いなしを座右の銘にしよう。頑張りすぎない、がこんなに得意だったとは。
これはまた今度、頭の中を整理したい。



大学の頃、半年かけて世界を回った友人が言っていた「こんなことで新しい自分にはなれないよ」という言葉を思い出す。

わたしは子供を産んだけど、いい意味で、わたしのままだった。
わたしのまま、アップデートされたような。
まあ、普通に少し歳をとったのとそんなに変わらないのかも。

今夜も彼女は、隣ですぴすぴ眠っている。
最近はいっそう寝相が悪くなってきた。だんだんと近づいてくる温もりが愛おしい。


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