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トイレにいたカエル

 擬似的なものを見つけると思い出す。壁のシミだったり、ガラスの模様だったりが何かの顔に見えたり動物に見えたりする。子どもの頃はそういうものを探していたわけじゃないのに気が付いて、そこにいくと何度もそのシミが気になったりしていた。誰かに言うこともなかったけど、いつぞやに弟に「あそこにカエルがいただろ?」って言ったら弟はカエルじゃなくてひとの顔だって言ってた。

 カナカナと蝉の声が変わってきたころ、ぼくの住んでいた長屋では父がいつも水浴びをしていた。洗面台とトイレが一体になっていて、そこはタイル張りだったから水を流してもほおっておけば乾いてしまう。自宅にお風呂がなかったぼくらはそこで夏の暑い日には洗面台にホースをつないで、水浴びをしていた。

 ちょうどトイレに腰かけたときに右足のとなりにカエルがいた。と言ってもカエルの顔に見えるタイルが貼ってあった。ぼくはトイレに座るたびにカエルと目を合わせていたのだけど、弟はひとの顔だったらしい。

 いまはもう取り壊されてなくなったしまった長屋だけれど、長屋の生活の思い出としてカエルがいる。弟は気が付いていたけれど父や母はどうだったんだろうか?もう父には聞けなくなってしまったけど、母親には聞いてもいいのかな。「何言ってんだ?」って思われるかな。記憶っていうよりも思い出って言ったほうが心情に近い。

 このあいだ知人宅に宿泊させてもらったときにガラスの模様がリーフだったんだけど、そこにオラフがいたんです。多分この家の子どもたちの秘密なんだろう。ニヤニヤしながらオラフに会いに来る子どもたちを妄想する。

 父が亡くなった日はもっと暑い日だった気がする。カナカナと蝉の声も変わってきた。朝晩が涼しく感じてきた。今年の夏が過ぎるのは意外と早いのかもしれないな。


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