健康と整体の定義
まず整体とはどういうことかという問題から入るべきでしょう。
整体は無病ということではない。
普通、身体が整っているということを健康ということと結び付けて考えています。
確かにこれは間違いではないのですが、では健康とはどういうことかというと、それを無病ということと結び付けている人がいる。
無病とは病気がないということですね。
痛いところがないとか、異常がないということにも通じます。
そのために病気になったら、痛いところがあれば、もう健康ではなくなったと思う人がたくさんいるのです。
ところが整体という観点からすれば、病気があるということは整体であることと矛盾しないのです。
たとえ病気になっても整体は整体なのです。
というのは何故かというと、悪い物を食べて吐いたとか、下痢をしたとか言っても、それは胃袋にそういう悪い物に対して正当防衛をする力があったということであり、胃袋は丈夫だった、腸は正常だったと言うべきだからです。
それを吐いたから病気になったとか、お腹を毀したとか言って騒いでいる。
正常な活動を止めるための手段を講じたりもします。
ばい菌が入ってくれば熱が出て、のどにゴミが引っかかれば咳が出ますが、
それらも皆、身体の機能が正常に発揮されたからであって、身体がまともだったらそうなるべきなのです。
おクスリを使うのも、すべてがすべて悪いわけではない。
必要であれば使用することもやむなしと思えばよい。
細菌類は三十六度五分だと急速に繁殖する。。
しかし熱が四十度も出ると、それっきり繁殖できなくて消滅してしまうのだから、身体はばい菌が繁殖しにくい状態を素早くつくろうとして熱を出すのです。
人間の生きるという要求を果たすために、身体は万全とは言えないにしても 最善の方法や手段を講ずる力を発揮してきました。
だから丁寧に人間の身体の変化を観てゆくと、病気だと思われているものの中に、たくさんの整体の現象があることがわかります。
病気になるとすぐに整体でなくなったと考えることも、健康でなくなったと思うのも、我々の錯覚に過ぎないということです。
けれどもその逆に、病気にならないのに整体ではない人もあるのです。
強いて言うなら無病の病気。すなわち無病病とでもいうべきでしょう。
これもまた平均値がどうとか言っているようなことではないのです。
生き物には平均値というものはないのですから。
~野口晴哉 整体指導の目的~より 一部抜粋