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星座の迷走:失われた軌跡と後悔

 誰かの命式がふと気になることがあって、それが今をときめく有名人な場合もあるし、そうではない場合もある。一般人の時もある。気になると眠れなくなり、ごそごそと起きだしては命式を調べてみる。これまで気にも留めなかった人の場合もあるし、気になっていた人のことがさらに気になることもある。それが自分にとって重要な場合もあるし、まったく害にも得にもならないこともある。

 四柱推命の勉強をし出す以前に出会っていた人のことを思い出す。もう疎遠になってしまって、誕生日すら覚えていない。今更聞くこともできずにいる。彼はどういう命式をしていたのだろう?そんなことを思う。四柱推命命式にはその人が大事にしている信念のようなものも観てとれる。彼がどういうことを大事にしていまの人生を生きているのだろう?その通りに生きているのだろうか?それとも見誤っているのだろうか?

 彼が今幸せなのかどうかも知る由もない。どこで何をして生きているのだろうか?ぼくと出会ったあの街にまだいるんだろうか?家族はできたんだろうか?そんなことに思いを寄せる。

 楽しい話は得意ではなかった。一緒に話をしていてもおもしろく話を盛り上げるタイプではなかった。どちらかというと生真面目でおもしろみに欠ける人。待ち合わせに遅れることもなく「遅刻するなんて考えられない」人だった。その気真面目さが彼自身を縛っていたりはしないだろうか?

 もう出会うこともない人のことを考えても仕方ないことなんだけど、無性に気になるときがある。気にしたところでどうにかなるものでもないのだから、不毛と言えば不毛な時間を過ごした。ただ、そういうことを知っていたらもう少し彼のことを理解できたのかもしれないなという後悔が根っこにあって、ときどきぼくを引き戻す。「どうすることもできなかったよ、多分」「多分、何も変わらないよ」って言ってもね。


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