極端になってしまう
極端になってしまう。
片方を選んだら、もう片方は選べない。最善と思う方や最悪と思う方を避ける。選ぶ理由は様々あるけれど、どちらかを選んだら、もう片方は選べない。片方ともう片方が両極を為し、片方を選んだら極端に陥る。言葉遊びのようにも感じるけどその通りなのだ。師匠からも「極端は避けなさい」と教えられた。極端でない方にいたつもりが極端だったことにも後から気が付く。
クルマの運転をしていて、同乗させてもらっていてこわい人がいる。ただ単に速度が超過しているのもこわいのだけども、車線を変えるときの急激な操作が恐怖を加速させる。速度自体は落ちているんだけど恐怖は加速する。まるでレーサーのような彼の運転は長時間は勘弁してほしいと思っている。
まるで何もしないのも極端である。過剰に食べすぎたり、バタバタと動き過ぎたり、何かとやり過ぎるのが人間のようだけど、「天にお任せ」とか言いながら何もしないのも極端な行いだ。モノが少ないのがいいことだとして、ほんとうに食器棚を空っぽにしてしまうのも極端だ。
そう考えるとぼくたちはいつもいつも極端の中に生きていて、両極端を行ったり来たりしているのだろう。そうやっているとある側面では片方の極端にいて、別の側面ではもう片方の極端にいる。あっち行ったりこっち行ったりしているだけで草臥れてしまう。ずっと同じ極端にいるとしまいにはバランスを崩して転落してしまうだろう。
そんな動きを想像しているだけでも極端は避けたほうがいい。それなのにぼくたちはいつも極端ばかりを選んでいるんだなと思う。
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