三者懇談に行ってきました
毎日整体操法をしていますといろんな人が通ってきてくださっていまして、当然のことながら毎日毎日同じ身体というものはないものです。
ですので、同じ身体には二度と出会うことがない。一生に一度と思って観るようにしなさいというのは師匠山本清次先生からも教えて頂いたことです。
はじめの頃はそういったこともあるんだろうな、そりゃそうだなぁ。その人の状態も毎回違うし、くらいに思っていました。
でも継続して通ってきてくださる会員さまを何か月も何年も観させていただいてきますと、ほんとうに同じ方でも同じ身体というのはないというのが実際の感覚として感じてきています。
そうであるが故にその方とはまたお会いする機会があるのかもしれませんが、その身体とは二度と会えない。
一期一会なのだなぁと思っています。
なんでこんな話をしようと思ったのかと言いますと、昨日子どもの三者懇談に行ってきました。
三者懇談って子どもも緊張しているようですし、なんだかそわそわしているように感じます。子どもの学校に行くのもそんなにないことですし、ぼくも何だか緊張している感じもします。
三者懇談の内容は、この時期ですから冬休み前に二学期の成績だとかを聞いて、通知表を見せていただいて、それについて子どもと学校の先生が多少反省とかこうして行きます的なことを話します。
それが一通り終わったら冬休みに向けての生活面の注意とかを学校の先生が話されます。
時間にしたら10分くらいです。学校の先生はその10分のあいだで子どもに勉強のことやクラブ活動や委員会活動など、学校生活のいろんな話をして、保護者からの話も聞いて、まとめて、終わって、次の人に移る。
そりゃ流れ作業ですよ。全然ぼくたちの方を向いていないのがわかります。その話、サッと次の話題に行くの早いですって。おいおい、時間だからってクロージングだけはするのか?学校の先生の気持ちを考えますとそれはそれでわからなくもないですが、それって相手に察知されたらダメだと思いませんか?子どもだって邪険に扱われているって思うでしょうし、少なくともたいせつに扱ってもらっているとは思わないでしょう。ぼくも何のために仕事の合い間を作って学校に来たんだろう?って思ってしまいました。子どものために来たって思うと納得もしますけど、学校の先生との関係だけだったら、じゃあこっちだって仕事してるんだから学校の先生の方が来てよってなりますよ。10分もいらないですよ、2分で帰っていいから。だったらいっそメールでいいですよって思います。何のための儀式なんでしょう?これって。
こういった学校の先生の態度を見てぼくは内心めちゃくちゃ憤慨していたんですけど、子どもの方はあんまりっていう感じでした。
三者懇談が終わって、教室のとびらをガラガラって開けて、「ありがとうございました」ってあいさつをして、教室から出て、子どもと一緒に学校の出口の方に歩いている時に、ぼくはだまっていたんですけど、子どももだまっていて静かなので、子どもはあんな扱い受けて傷ついてるのかな?って思っていたんですね。
でも子どもの方は二学期の反省を心からしているらしく「がんばらないと・・・ね」って吐くように呟いていました。
子どものそういった姿勢を観ることができてぼくは、あぁ来てよかったなって思いました。
学校の先生がどうこう言っているぼくの方が情けないなぁと思います。
学校の先生なんてどうだっていいですよね。子どもがどう思うのか?これから先に子どもがどういう成長をしていくのか?そのことの方がたいせつですからね。
子どももその瞬間瞬間で大きく成長していっているんでしょう。ぼくたち親や保護者が子どものことを知っている、わかっていると思っていること自体がほんとうはそうではないのかもしれません。
その都度その都度、出会って、話して、確認していくことでしかお互いにわかることはできないんでしょう。
今日も明日もまた会うことができるかもしれないけれど、そのときそのときを家族とはいえ、ていねいにたいせつにしていきたいなと思いました。
でもまぁこれだけ毒づいているわけですから、まだ腹が立っているのでしょうけれど、一期一会、また今度会う時の学校の先生はきっと三者懇談のときとは別人のようになっているんでしょう。ほんとうにあんなに雑に扱う人には二度と会いたくないです。
ほら、やっぱりまだ怒っている(笑)
本日もお読みいただき、ありがとうございます。