「治す」と「治る」の違い
整体に限らずですが、身体に痛みがあったり不具合があったりしますと「治る」とか「治らない」ということが論点になることが多いです。
「治りたい」人からしますと、「治す」ことに長けている人を名人と称したりします。
一方で「治す」ことを依頼された側からしますと、「治す」ことを「結果」と称する者もいます。
そうかと思えば「治らない」身体のことを誇りに思っている人もいらっしゃいます。
「治った」とは一体どういうことなのか?それを考える必要があると思いますが、「治る」「治らない」は兎角、取り上げられ、問題となることが多いです。
そもそもといいますか、本来ですと「治る」という現象は、単に医術や薬に頼るだけではなく、私たち自身が持つ治癒力によって支えられています。
ナイフで手を切った時に傷薬を塗ったり、傷口を縫い合わせたりすることもありますが、時間が経つと概ね傷口が塞がっています。
これは赤血球がどうやら、血小板がどうやらというような過程はありますが、身体が勝手にやってくれています。
風邪だって、風邪薬や点滴などをすることで回復するわけではない。
もちろんそれらは効果的ですが、咳をしたり、高熱を出したりしながら、最終的には身体が風邪を追い出すのです。
医学や医術は病気やケガを外側から治すための手段ですが、真の回復には私たちの身体がもつ無意識の治癒力が不可欠です。
「もっと早く傷口が塞がって」と祈ってもあまり変化がなく、「明日の会議までには風邪が治っていますように」と願っても意味がないのは、意識の問題ではなく無意識の問題だからです。
この治癒力とは私たちが意識的に制御できない領域で働き、100%無意識に機能し、私たちを支え続けるシステムです。
むしろ意識的に何かすることが逆効果の時だってあります。
「明日の会議」のことを考えるより、おとなしく寝ておいた方が回復には寄与しています。そんなときに限って、頭の中は動き回り、目や神経が一向に休まりません。そしてそれが、さも責任のある行動として振る舞うのですから、意識というものは不思議なものです。無意識の治癒力に委ねてしまうのが、本来だとは思います。
しかし、この治癒力が十分に発揮されるためには、治癒力が働きやすい環境を整えることが大切です。
環境が整えられてこそ、身体はその本来の力を最大限に発揮できるのです。
治癒力は無意識の領域で働くため、どのような環境でその力を引き出すことができるのかを理解することが大切です。
どのような環境でしょうか?
適切な栄養があること。十分な休息がとれていること。
適切な栄養というと、たんぱく質やビタミン群やミネラルは適切に摂れているか?ですね。
十分な休息ですと、睡眠時間は確保できているかとか、ストレスを回避できているかとか、抗炎症に努めているかなどが含まれます。
身体を温めるとか寝具にこだわるというようなお手当てや生活の工夫は、その方法のひとつです。
無意識のシステムは「積極的に生きていくための工夫」というよりも、「死なないための努力」に近いものです。
この働きはどちらかというと消極的でネガティブなパワーです。
命を途切れさせたくない、生命維持の本能がありますから、私たちの身体は常に生存を最優先に考え、自己保存的な反応として治癒力を働かせます。これは輝かしく生きるというよりは、地味でもいいから生きながらえるというようなものです。私たちにはそのような本能が備わっています。
傷が自然に治癒するのも、身体が自己修復し、元の健康状態に戻ろうとする生理的な働きの一環です。
このような無意識の働きによって、私たちは本来、危険を避け、健康を回復しようとしています。
そのため真に「治る」ためには、この治癒力がどのように働いているのか、その仕組みを理解することが大切です。
先ほども言いましたが、治癒力は意識的に発揮されるものではなく、無意識的に働く力です。
私たちは常にその力に支えられています。
病気やケガに対して、ただ医学や医術に頼るのではなく、私たちの身体が持つ自然な治癒力が最大限に発揮されるような環境を整えること。
そしてその力を信じることが回復への鍵となります。