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不調和について

昨日のnoteで調和について書きました。

調和について書いたのですが、調和調和というけれどだったら私たちの今、むき出しの私たちは調和と言えるのだろうか?と思ったので不調和についても考えてみました。

調和と不調和。単純比較しても「調和ではない」のが不調和です。「不」という文字がついているので調和の反対側に属するものだと考えます。調和していない状態のことを不調和という、これで話を進めて問題ないかと思います。

さて、私たちの今、調和なのか不調和なのか?です。調和しているの?いないの?です。これを考えようとしますと「調和している」というのがわからなければ「不調和」もわかりません。

ここで調和について書かれた書籍から抜粋します。

不調和が神から来るものではないということが分かった程度に応じて不調和の克服ができるのです。あなた方の運命を形造る神は何も陶工が粘土でも細工するように外からあなた方を細工するような強者ではなく、あなた方自身の中と周囲及びすべての質料の周囲と中とに在る強大なる神聖な力があって、それはあなた方のものであり、意のままにそれを使うことができます。このことが悟れなければ自分自身に対する自信は出てきません。不調和に対する最大の癒しは不調和が神から来るものではなく、神はそのようなものは創り給わぬと知ることです。

おそらく「調和だ」「不調和だ」と言っている内は「不調和」なのだろう。むき出しの私たちは不調和に他ならない。「調和」とは単なるバランスのことではありません。「調和」を保つことは我慢して他人を受け入れることでもありません。

「調和」。難しい言葉ですが、何となくつかめてきたような気がします。

読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。