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歪んでいるのが当たり前

整体人の昼下がり、というYouTubeチャンネルを運営しています。 
整体人ということですから、私たちは整体をしております。

整体という言葉をインターネットで検索しますと、さまざまな整体にヒットします。いろいろな整体が世の中にはあるものだなぁと思います。それだけ整体が多種多様になったということでしょうか。それはそれでうれしいことだと思います。

整体というと多くのみなさまのイメージでは、背骨を真っすぐにしないといけないと考えるわけです。
背骨のゆがみ云々、姿勢が云々というのは、整体という言葉から多くのみなさまが抱くイメージです。背骨が歪んでいるから、姿勢が悪いから、さまざまな病気や痛みを発症する。というような半ば脅しに近い表現で、整えなくてはならないという強迫観念に巻き込まれる。

その結果、背骨が曲がっているとみなさんは何とかそこを揃えようとするわけです。ところがまっすぐな背骨というのは、生きている人間では存在しません。背骨は日々一日一日動いています。あっちこっちに動いているのが健康な人の背骨です。背骨が動かないと人間も動くことができません。

たとえば人の話を聞くときにウンウン頷く人がいますが、頷くには頸椎6番という骨が動いていないと頷けないのです。講座とか講演会に行って、講師の話を聞いている人の中でウンウン頷いている人がいます。その人の頸椎6番は動いている。頸椎6番がよく動く人は、よく頷きます。頷いているからと言って、人の話を聞いているかどうかは別問題ですけど。

余命云々と言われるような大きな病を抱えている人ほど、背骨はまっすぐです。
その代わりに、あちこちを走り回り、忙しそうに楽しそうに、毎日を過ごしている人の背骨はだいたいガタガタです。「何という歪みがあるのだろう」というほどの背骨です。
でも歪みがあって、その歪みそのものを戻そうとする動きが行動力になる。
歪まないということは、戻らないということですから、行動もしない。

自分の中にある行動要求というのは、背骨のゆがみから現れる。
そしてその歪みを訂正するために現れるのです。

現代社会では行動する人がもてはやされますが、そういった人と行動できない人の差はどこにあるかというと、背骨が動くか動かないかです。まっすぐなまま歪みもなく、動かない背骨の人は行動できないのです。

食事のあとはだいたいどんな人でも胸椎8番という骨が右に動きます。
胸椎8番が右に動くとおなかがいっぱいになります。
小さなお茶碗いっぱいのご飯で右に動く人もいれば、どんぶり茶碗いっぱいのご飯を食べても動かない人だっている。

8番が動かないと食べたことにはならない。
8番が動くと食べたことになる。

ご飯を食べたからお腹がいっぱいになると、どこかで思っていますが、胸椎8番が動かないと満腹感も味わえないのです。

そう考えると、人間の身体は歪んでいって当たり前。
歪んでいって戻って来れるかどうかです。

これを誰かが外からの力で無理やり訂正するということは、みなさんは個性的な生き方を失うということです。
背骨に現われるみなさんおひとりおひとりの個性を楽しんでいただけたらと思います。



読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。